ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

もっと日本は、多様化と寛容な社会へと

50を過ぎたオッサンが深夜アニメを見たり、まったりとした働き方を選択していることについて許せないと思う人もいると思います。

私はたいていのことは人それぞれが好きに生きていいと考えており、働き方、生き方も多様化してそれを寛容の精神で受け止めて欲しいと願っています。

「人はこうあるべき」と人様から言われますと息苦しさを感じることが多いです。

人はなぜ、杓子定規にいろいろと決めごとを押しつけるのか分かりませんが、サラリーマン時代には特に思うことがありました。

日本は確かに便利になりました。社会インフラも含めて、生活はしやすくなった反面、ちょっとの間違いでも怒鳴り散らす人もいますが、私は人間ですので間違いがあるのは当たり前であり、それをいちいち指摘していればサービスを行なう人がいなくなるのではと危惧しています。

それが犯罪であれば別ですが、細かいことについて指摘する人もおり、その細かさについて不寛容な方もサラリーマン時代にはおりました。

サラリーマンですからその細かさについての作業を行なっていましたが、本心からすればこれは意味があるのだろうかとずっと悩んでいました。

さらに、修正案を要請する上司は幾人かおりましたが、謎なのはその上司同士が一切話さず、私を介して修正案のキャッチボールをしていたことです。

私からすればどっちでもいいから決めてくれと内心考えていたのですが、こうなるとメンツの張り合いであり、いつまでたっても決まらない状態が続いていたことは不寛容さの表れだったのでしょう。

この調整作業に異常な時間を費やしていました。

私はなんともいえませんが、このような不寛容さといつまでも生産性が向上しないことと直結しているように感じていました。

どうも日本人はどうでもいいような細かいことに執着するようです。

妥当な線を提示すると、「オレの言うことが聞けないのか」と憤慨する人もおり、気の弱い私はさらに修正案をつくり、時間はどんどん経っていきます。

サラリーマン時代、こんな仕事をしていましたが、共通していることは、上長は多様化への思いや寛容な精神に欠けていた方が多かったように思います。

その反動のためか、働き方、生き方、暮らし方などについて多様性や寛容さを強調したライティングが結構増えていきました。

サラリーマン時代、日本社会は面倒くさいと考えていたこともあり、個人事業主になった今、ダイバーシティー、男女平等、働き方改革などの原稿をのびのびと書いていますが、せめて日本企業も先進的な取り組みを学んで欲しいと願っています。