ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

60歳からの個人事業主~突然ですがブログをお休みします

 

 こんにちは、長井です。

 「60歳からはじめる個人事業」についてあれこれ書いてきましたが、とうとうネタが枯渇しました。はっきり言うと書くことがなくなったのです。

 ですのでブログを当分お休みします。何か別に書くテーマが見つかればまたこのブログで書きますが、その時はまったく違うテーマになるでしょう。実は本ブログは一度、長期休んでいます。書くことがなくなり、その後、「60歳からはじめる個人事業」というテーマが見つかったので書き続けていましたが、鉱脈も尽きてしまいました。別の鉱脈が見つかれば書くことができるかもしれませんが、今はなかなか難しいです。ただし、50代から60代のなかでどう生きるかについて自分なりの考えをまとめたつもりです。

 私は50代の現役のサラリーマンがいろいろと不安を抱えて生きていく中で、応援歌みたいなものを書いたつもりです。

 私は50歳からの大きなテーマは、「下りる」ことでした。まあ競争から「下りる」ことによって幸福度をアップする生き方を模索し、実践しつつ紹介する内容が本ブログでした。

 私の場合、ブログで稼ぐというよりも気ままに書くという楽しみでのスタンスですから続けることは本来可能なのですが、ネタがなくなるというのはつらいものがあります。

 また、旅行記のようなものは書くつもりです。映画や美味しい食事も紹介することもあるかもしれません。

 これは自分の備忘録のようなものですから、そのまま残しておきます。多分、これからの人生は自分のブログをなぞるように生きていくでしょう。投稿数565、ブログ日数541 日と飽きっぽい私にとって結構長く続きましたが、ブログはお休みします。

 最近、読者になられた方には申し訳ない気持ちもあります。

 ライターの仕事は当然のことながら続きます。ではいつかまた別のテーマでお会いしましょう。それでは読者の皆様、またどこかでお会いしましょう。

60歳からの個人事業主~フリーランスはサラリーマン時代の知り合いと疎遠になります

 私はもともと友達をつくるタイプではありません。そもそも友達自体がサラリーマン時代にもおりませんでした。仕事上で仲良くなったり、だべったり、愚痴の言い合いなどはしていました。ただそれを友情で育まれた友達であるかといえば、まったく違い、単なる話が合う知り合いという感じでした。

 サラリーマンは共通した仕事内容でお互いにチームを組んで協力し、その間、雑談したり、飲んだり、いろいろとします。そうすると知り合いでも親近感がわくものです。

共通の仕事も多いというのも大きいですね。でも友達ではないです。

 友達といえるのは、妻くらいなものです。今年も、前職の知り合いのサラリーマンから、「焼肉食べたい」と書かれた年賀状が届きましたが、残念ですが、今この人と話をすることってなにもないのです。

 サラリーマンの三大不満も「給料」「長時間労働」「人間関係」であることも理解していますので、こちらが愚痴を聞くだけになります。愚痴を聞いて、「それは大変ですね」というだけの話であればこちらとしては得るものが何もないのです。また、相手が「昇進をしたい」という話をしても辞めた私に人事権がないのでどうすることもできません。

 私が今できる話は、サラリーマンの愚痴を聞いた後、「退職届を出して個人事業を起こせ」という話ですが、そうするとみんながみんなあなたのようにできるわけではないといわれます。ですからますます話が合わなくなります。

 ただし、不思議と広報や取材相手とはかなり前向きな話ができ、勉強できるのですが、これが取材でなくなると、相手から得ることが少なくなるのです。そこでサラリーマンの知り合いとますます疎遠になるのです。

 そして結果的には孤独になります。特にライター業は家で文章書くことが多いのですから、孤独依存体質がますます身に付き、孤独になっても平気でいるようになります。

 そこで大事なことは自分が心地よい人と一緒にいることが一番いいです。私の場合は妻であり、妻と過ごすのが楽です。個人事業主になることは出世や昇給を捨てることになりますから、普通の奥さんでしたら激怒します。ただし私の妻は応援してくれます。これは大変心強いです。

 ですから個人事業では、パートナーの存在を大事にすべきです。そしてかつての知り合いを捨てるのかという意見も出るかもしれませんが、友達は変遷していくものです。特に、サラリーマンを降りて個人事業を開始すると、付き合う人が一変します。これはかなり大きな出来事です。

 ですからサラリーマン時代の知り合いとは、フリーランスはどうしても疎遠になります。それを悲しむことではなく、新しい道に進んでいるという考えで、生きていくのがいいのでしょう。

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60歳からの個人事業主~現役復帰の誘い

 沖縄旅行から少したってからある日の頃、旧知の人から一本の電話がかかってきました。詳しくは話せませんが、現役に戻らないかということでした。現役に戻れば、それはお金も入り、その仕事内容はよく知っていますが、私はその仕事を担うことによって、私自身が幸せになれるとは思わなかったのです。

 その人は私が会社を退職していることを知っており、ひょっとしたら今は無職なのではと思ったのかもしれません。しかし、今、私がどんな仕事をして、何をしているかをまったく知らなかったようです。人間は結構、自分以外のことは関心がないものです。

 まあ、その仕事を誘ってくれたことは光栄です。何よりも自分の力量をそれなりに評価してくれての誘いですから。とはいえその仕事はもろに政治にからみ、身分的にも副業をすることができません。ということになると今、私がいろいろなところで書いているニュースサイトその他すべて辞めなければなりません。それに社史編纂は途中から放り出すこともできません。

 もちろん、一度は個人事業主をやってもサラリーマンに戻る人もいます。それは各人の選択ですからそれはいいと思います。ただ、私は2年間頑張って、クライアントや取材先を確保してきたのですから、それを放棄するのはもったいないという計算も働いています。

 しかも、現役に復帰すれば旅行もできませんし、そもそも妻に相談すれば真っ先に反対することも分かっていましたので、その人には丁重に断りました。実際、後からこの話をしたら、断って正解と妻は話していました。

 妻としてはお金は稼げなくても今の生活が幸福であり、それを壊すような仕事に変えることは好ましくないと考えているのです。確かに安定という観点からすれば、現役に戻った方がいいです。

 加えて、私がもう少し若くて政治に対して野心があれば話は別です。政治にコネができれば、ひょっとしたら、どこかの市議会議員になれる可能性もあります。ほかの人はわかりませんが、そんな生活が楽しいとは思えません。政治に野心がなければこの仕事に就く意味はなく、静かに暮らす方が正解なのでしょう。実際、この仕事を経て、市会議員になった人は多いです。

 私は人間がどの仕事を選択するかについては、「幸福」と「満足」がポイントだと思います。50歳代中盤に入り、シニアの仲間入りしている私にとってはそろそろ自分の満足のいく仕事をしたいです。

 人生は思った以上に短いです。野心と幸福、人間にとってどちらが大切であるかよく考えて仕事の選択をした方がいいです。

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60歳からの個人事業主~労働がすべての老後不安を解決できます

www.nikkei.com

 日経新聞を見ていますと、「70歳以上まで働く」が3割で、老後に不安が77%だとのことです。これは日本人が悲観的なのかわかりませんが、お年寄りになることに対して、不安になりすぎです。

 それはいつかは足腰が立たなくなり、介護が必要になる時が来ます。認知症の父とも付き合いましたので、老後は大変であることはわかりますが、それは誰もが通る道です。私が父の介護について一切書かないのは、この経験があまりにも辛かったからです。

 前にも書きましたが、ある意味、高齢者の問題を解決するためには、高齢の労働だと言っています。「お金」「健康」「孤独」という老人三大問題が解決されます。この日経新聞の記事を見ると仕方がないから働くという意味に捉えますが、楽しく働く起業も将来的に考えてもいいのではないでしょうか。

 ただし、定年後で飲食業をやるのは反対です。特に「そば打ち」にあこがれる方もいますが、なかなか地元で定着するのは困難です。逆に退職金を食いつぶす可能性があります。

 私は70歳まで満員電車に乗ってサラリーマンやるのは反対です。そこまで働くと会社が健全な世代交代が進まないからです。そのオーナーが自分が死んだときに会社がつぶれると認識していれば問題はありませんが、若い従業員はそこで詰むことになりますので、若者は老人ばかりいる会社にいるべきではありません。

 ですから、一定の時期に、会社を退職すべきです。私の場合、たまたまそれが早かっただけです。そこで私は個人事業を起こすことを提案しているのです。私はこれから、60歳~65歳の間で個人事業を開業することがこの少子高齢化では当たり前の社会になればいいと思っています。

 ですから、それまでに会社から学ぶだけ学んで、学び終わったら、独立すればいいのです。これは建設業界にはよくある話で、トビの業界は親方のもとで修業して一定の力をつけて目先が利く職人は独立します。左官業界も似たようなものです。

 そこで大事なことは大人の学びです。大人は学ぶことによって大きく変わることができます。今の日本企業は驚くほどOJTをしません。それであれば自分で自主的に学ぶしかないのです。

 ところが私がサラリーマン時代、社内政治や社内忖度ばかりうまくなっていく人を見て、これではいけないねと落胆したことがあります。

 そして学ぶための軍資金は、いろいろと理由をつけて会社のお金で資料を取り寄せ勉強していくことがとても大事です。これからは社内政治よりも大人の学びに力を注ぐ人材が高齢になっても楽しく働けるようになります。

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義理チョコバレンタインに思うこと

 私もオッサンですから、義理チョコバレンタインで一喜一憂する歳でもありません。サラリーマン時代、女性事務員も義理チョコの差配は面倒くさいと思っていたと想像しています。男性、女性いずれかは思い出しませんが、義理チョコをやめようと言って双方がほっとしていたことを思い出します。男性側もホワイトデーで商品券をお返しするので面倒でした。一番面倒だったのは、総務のとりまとめ役でしょう。この点については同情していました。

 私も甘いものが好きですから、チョコは好きです。むしょうに食べたい時があります。ブログで結構高価なチョコやケーキを見ると、「これいいな」と食べたいと思います。

 義理チョコっていつごろから発生したかわかりませんが、私の大学生時代にはありました。ですから30年前から確実に義理チョコの概念はあり、結構長い習慣です。私は、当時、女性の知り合いが存在したわけでもないので、チョコをもらえる当てがないのもよく分かっていました。これがサークルで顔役の人とか、顔が広い人であればもらえたことでしょう。

 こういう義理チョコは基本、お菓子メーカーの宣伝で後に、友チョコとかいろいろと派生しましたが、単なるチョコがさらに面倒くさくなりました。

 バブルの時は意味のない儀礼がはやり、私のようなものぐさタイプの人間にとっては面倒なことでした。そういえば、「アッシー、メッシー、みつぐ君、キープ君」などの用語もこの頃、流行っていましたね。

 今の時代はとてもいいです。というのもこうした意味のない儀礼から降りても別に問題がないからです。やりたい人はやればいいですが、特段、流行りに乗らなくても普通に生きていける時代が到来したことはとても良いことです。

 生き方というか、人生を考えるうえで、今の私は軽快そのものです。私たち夫婦は見栄からは下りた人間ですので、意味のない儀礼、冠婚葬祭からは遠ざかっています。その代わり、実利的に美味しいものや心から癒される旅に出ることがとても多くなりました。

 隠遁生活というわけでもなく、取材やライター業務を通じて少しばかり社会とのかかわりあいは持ちつつも、いわゆる一般常識から距離を置いた生活をしています。人間好きなように生きていくというのはとても大事で犯罪でなければ問題がないのです。

 いろんな人が常識を振りかざして生き方を指導しようとする人もいますが、人はそれぞれです。あまり周囲に振り回されず自分の生き方を模索してもいいです。

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コミック高岡閉店の裏側にあるもの

 大学時代、オタク生活を満喫している中で、存在感を示していたのが、コミック高岡でした。当時は週に一回くらいは、神田神保町に行っていた気がします。

 それだけ、本好き、マンガ好きでした。しかし、最近、街の本屋が次々と閉店しています。ちなみに大阪出張の時にお世話になっていた本屋も破産しました。

 

www.tsr-net.co.jp

 そんな中、神田神保町のコミック高岡が3月31日に閉店するニュースが飛び込んできました。

news.livedoor.com

 当時、Amazonもネットもなかった時代に漫画本を探すとなると、コミック高岡に行くのが一番効率が良かったのです。当時のマンガ好きは、必ずこの書店に立ち寄り、書店は人であふれていました。その反面、立ち読みには厳しかったです。ここでなかったら、多少高くてもいいのであれば、中野の「まんだらけ」で探すパターンです。

 コミケが今のビックサイトではなく、晴海の国際展示場時代がコミック高岡の全盛期だったかもしれません。その全盛期がしばらく続く中、Amazonが日本にやってきましたが、私の周辺の本屋でもそれほど危機感を抱いていなかったのです。やはり本は手に取って確認してから購入するだろうと予想していたのです。さらに数年後、電子書籍kindleが登場します。kindle登場後、私も電子書籍に移行しました。

 しばらくたち神田神保町も昔と比較して本屋がずいぶん少なくなりました。出版不況と言われていて、紙の本が売れなくなっています。野球漫画の水島新司氏は頑なに紙の本にこだわり、電子化にしませんが、やはりいろいろな作家さんを見ると電子化に踏み切る人が増えました。

 実は、このあたり周辺取材した人に聞くと意外にも「漫画村」の影響は少ないとのこと。やはり、Amazon楽天のような電子書籍参入や本の発送の利便性が高くなったことがとても大きいです。

 ですから書店と出版取次の経営はとても厳しくなっています。私も「コミック高岡の閉店はショック」と言いつつも、ここ数年Amazonkindle本に頼り、行っていないかったというのが実情でした。Amazon自体が考えようによっては出版取次みたいな存在です。

 出版取次はリアル本を本屋に配給しますが、返本も増えています。そうすると次に出版社が行うことはリアル本を減らすことです。電子書籍が普及するにしたがって、この負の連鎖が次々と起こり、リアル本屋と出版取次の経営が厳しくなっています。

 本屋だけではなく、レンタルビデオ店TSUTAYA」などが次々と閉店していますし、残る業務形態は何かを見定めることが必要になってきます。

 ちなみに、「TSUTAYA」は図書館経営にシフトしているようです。私は大学を卒業したら本屋か出版社に行きたいと希望していました。出版社は当時、1000人に一人が合格という狭き門でした。

 そんなかんやで今はネットで文章を書く仕事をしていますが、若い方に言いたいことは一つあります。それはやはりこれからも残る仕事とは何かを見つけることは大切です。

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60歳からの個人事業主~これからの老後は労働と趣味の両方を楽しむ時代に

 60歳以降の労働について様々な意見が新聞やネット上で議論されていますが、割に悲観的な意見が多く感じられます。ネットでは、「65歳過ぎたら働きたくない」「体がもたない」「国は我々を殺す気か」などの辛辣な意見です。

 それはサラリーマンを60歳以上もを続けると辛いです。特に私は中小零細企業を渡り歩いてきましたが、55歳から給料が減り、60歳以降ですと給料が半減し、責任は変わらず、正直これを60歳以降も続けられるかといえば、なかなか厳しいです。

 実はマスコミが報じる高齢者の労働の在り方は大企業のことで世の中のほとんどのサラリーマンが働く中小零細企業の再雇用についてはあまり関心がもたれません。だからこそ、悲観的な観点で論じる人が多いのかもしれません。

 そこで私は、60歳以降の働き方は雇われであること辞めて、労働も趣味も一緒に楽しむ人生をグラウンドデザインとして描いてみてはいかがでしょうかと提案しています。

 日本人は労働を苦行であると考え、実際その部分は否定していませんが、これからはメリハリのつけた自身の裁量で働き、休む時も同じく裁量をもって、旅行などを楽しむことはとても大事なことです。そうすれば働くことも趣味も同時に楽しめます。

 しかし、会社勤務であればこの人生のグラウンドデザインは描けません。特に有給休暇取得に厳しい中小零細企業ではこの働き方を望むのは困難であります。ただし、以前も書いたように私が60歳を超えればオリンピックみたいに全員が個人事業になればいいと思う反面、やはり向き不向きがあります。

 ですから自身で大人の学びを行い、自己研鑽につとめ、自身を大きく変革し、会社人間から個人事業主に向く人に変わっていくことも可能です。私も実は、個人事業主開始の数年前はサラリーマンにどっぷり浸かっていましたので、個人事業を起こすことは考えもしなかったのです。ですから、大人も変わることができるのです。これは50過ぎて伸びしろがないとみられるかもしれませんが、そんなことはありません。

 そして個人事業で働きつつも、旅行を楽しんでいますが、私も妻も満足度の高い生活を維持しています。12月に台湾、1月に沖縄とそれぞれ旅行しましたが、こんな生活は、サラリーマンであれば不可能であったでしょう。いずれも繁忙期を外しているので旅費は安かったです。

 サラリーマンを降りることは、社会的地位、出世、学歴その他のことを捨てるわけですから相当な勇気が必要です。しかし、降りたことで満足度の高い生活が得られています。

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