ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

60歳から始める個人事業主~家族の理解

フリーランスに憧れる方も多いですが、これはご家族の協力がないとできません。

ご家族が全員一致でフリーランスジョブチェンジすることについて賛成であれば、結構ですが、奥様などの反対があれば、かなり難しいです。

私の家は妻と2人暮らしなのですが、妻は賛成してくれました。まあ理由は、会社でもいろいろありましたし、限界に近く、最後はボロボロの状態であったということです。

妻は私以上に私のことを評価する面もあり、はじめた当初から、「フリーランスになってもそこそこ稼いでくれる」と信じていました。

ダメな点はだめ押しはしますが、評価する点は評価していました。

妻とはそれほど仕事の話をしていたわけではないのですが、妻は確信を持って、そこそこうまくやるだろうと予想していました。

だから反対をしなかったとのことです。

逆に私自身はそこまで自己評価が高くなく、失敗する可能性も当然見込んでいました。今となれば妻の見立ての方が正しかったのです。

ですから個人事業主フリーランスジョブチェンジしたいという意向があれば何はともあれご家族と相談することが最初にやるべきことです。

奥様は客観的にご自身を評価してくれる最大の理解者でもあります。その最大の理解者の話をよく聞くことが一番でありますし、それが成功の道でもあります。

私は両親はすでに鬼籍に入っておりますが、ただ世代が大幅に違う両親に相談してもあまり意味がなかったでしょう。というのもフリーランスという働き方は理解できませんし、父は個人事業を行なっていましたが、物書きで食べていくことについて果たして「いいだろう」とは言わなかったと想像しています。

母は大反対していたでしょう。もともと公務員にでもなってくれれば御の字と思っていた人でしたので。

姉はかなりの理解がありました。

家族にはそれぞれの考えがありますが、真っ先に相談するとすれば奥様でしょう。私の経験を話せばそういうことでした。

サラリーマンとして「終わった人」はどう生きるべきか

内館 牧子氏の小説『終わった人』を読んでいます。舘 ひろし氏が主人公で同名の映画も放映されています。

主人公が「定年は生前葬だな」とぽつりとつぶやいたいうシーンは印象的でした。今読んでいる途中なのですが、目的もなく歩き回る姿はこういう人は多いのだろうなと想像しています。

主人公の略歴は東京大学法学部を卒業し、銀行畑を歩きつつ、順調に出世を重ねていましたが、子会社に転籍、最後は関連会社の専務取締役で終わります。本来であれば銀行本体の役員まで出世するキャリアですが、これも運命だったのでしょう。

注目したのは、定年した人はなにをやるのだろうと思っていたのですが、本当にやることがないとあらためて驚きました。

この人もまだ十分働けるにもかかわらず、仕事がなく、ぷらぷらしているのを見て、やはり定年前から何らかの準備はした方がいいでしょう。

私も50代前半で退職した後、基本的にはサラリーマンとしては文字通り「終わった人」です。

もし、何かをやりたいという希望がなければ、することがなくなって毎日ぼんやりと過ごしていたでしょう。今はそうでななく、そこそこ仕事もあって充実しているのですが、65歳以降の人生について50代から考えた方がいいです。

内田氏の小説にはいろいろとサラリーマン定年後あるあるがかなり盛り込まれており、丁寧な取材の後が垣間見られます。この小説が面白いのは定年後の人生のエピソードが挿入されているからです。

まあこの主人公も後に、社長になって大忙しな日々を送るのですが。

小説で重要なのはリアルの話で、リアルティーが薄いと面白くないのです。定年後、妻と旅行やいろいろと自由になれると考えるのであれば、それは考え直した方がいいです。

うちの妻もそうですが、妻なりのコミュニティーの世界があり、夫にずっと付き添っているわけではありません。

もちろん、私と妻は仲が良いのですが、現役時代から私は愛妻家と称しているのですが、それはそれこれはこれです。

思えば昭和時代でも定年退職後の夫に対して奥様の中には「粗大ゴミ」と言った人もいて、テレビで話題になったこともありました。

それに夫が定年後、妻に愚痴ばかりこぼしていてもこれも困りますし、サラリーマンとして「終わった人」はなにをすべきかを考える時代に突入しました。

そういう意味でタイムリーな小説であり、50代のサラリーマンが読んで今のうちに準備した方がいいです。

 

 

 

60歳から始める個人事業主~人生の風呂敷はまだ閉じる時期ではないです

50~60歳はまだまだ若いです。健康寿命はさらに延びます。ライフスタイルはコンパクト化は余儀なくされるものの、生き方としては好奇心は抱いた方がいいです。

ちょとした分からないこと、知らないこと、興味のあることについては目移りしてもいいです。

一定の企業であれば再雇用になり、中小企業であれば人員の余裕がありませんので、役職は変わることはありませんが、給料は大幅ダウンになります。

私はこの時点でフリーランスをすすめていますのは人生の後半戦においては多少のワガママが許されてもいいのではないかと思っているからです。

風呂敷についてまだ閉じる時ではありません。水島新司氏は79歳ですが、長期連載である『ドカベン』もようやく終わりを告げようとしています。

水島氏の考えを忖度すれば、そろそろ風呂敷を閉じようと思ったのでしょうか。

実はいつか父の個人事業主の話を書きますが、父は80になって個人事業主の役割を終わりました。亡くなったのは80代後半です。

個人事業主の働き方は結構長く持つもので、私も記憶が曖昧なのですが、父も60歳から個人事業主を始めたような気がします。これがサラリーマンであれば65歳でリタイア。

健康寿命が仮に75歳であれば膨大な時間が余ります。

父の人生を回想すると、60歳から風呂敷をさらに広げようとしていたような気がします。

定年後の人生でやることがないというのはもったいないです。その後の父はぼんやりとした毎日を送っていました。

年を取ってやることがない高齢者をいくどとなく見てきましたが、毎日ひながテレビを見るだけで過ごし、生きているという感覚がまったくなかったのです。

それに父も友達らしい友達もいなかったせいか、父の死去後、特に線香を上げたいという人もいなかったです。

私も父の経験で言えば風呂敷を閉じるのは80くらいでいいのだろうと思っております。それからそうそう身体に不具合も出てくるでしょう。そうすると仕事を続けるのも難しくなります。

 

 

地震の予知や予測はいつからできないと気がつきましたか。

私は阪神・淡路大震災の際、地震予知・予測は難しいのだなとうすうす感じ、3.11の東日本大震災でこれは無理だなとほとんど確信を持ちました。

私は地震関係の予言については信じていませんし、それでパニックを起こせば問題です。ただそれ以前、現在の科学を総動員しても地震予知・予測が難しいことは科学の限界も感じています。

ただしいつかは科学が進歩し、地震予知・予測は可能であるとも信じていましたが、今では私が生存中は無理だとも思っています。

私はある大学の先生に、ズバリ「先生。現在の科学的見地では地震の予知予測ができないことはいつから気がつきましたか」と質問しました。

その先生は1980年代末と答えたことで結構ショックを受けました。当時は、「東海地震」が明日にでも来るような報道が多く、予知・予測に関する情報が多かったのです。

この先生は東海のデータを収集し、解析していた研究をしていたとのことですが、「これをいくらやってもダメだなと思ったのが1986年頃で1980年代末には、もう地震予知・予測は現段階ではいくらやっても無理」と結論づけたとのことでした。

内閣府など国が認めたのが2017年ですから、ようやく国も地震予知・予測は現段階では困難との知見を発表しています。

当時、地震学者の人々も予知・予測はできるという人もいたり、無理という人もいて混在はしていたとのことでした。

ただし、おおぴらに無理ということを言える雰囲気ではなかったとも言っておられました。私としては地震予知・予測は現段階では不可能と発表して欲しかったですねと先生に話しました。

その意味で日本は学術でも空気により支配されているともいます。

今、冷静になって考えると地震予知・予測の領域はオカルトだったのかもしれません。冷静な議論をしていればここまで多額な予算をつぎ込むこともなく、防災での知見から議論を進めていけば防げていた被害もあったでしょう。

でも地震学界もやはり、地震予知・予測の問題について一度は総括して欲しかったです。いろいろな政治的な思惑もあったのでしょうけれど、最後に声明文は発表して欲しいです。

 

 

 

 

ドカベン46年の歴史に幕。

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少年チャンピオンで46年にわたって続いた『ドカベン』が次号で幕を降ろします。私は作者の水島新司さんの作品はかなり読んでいるつもりですが、それでも追い切れなかった作品もたくさんあります。

子どもの頃から『ドカベン』を読んでいましたがそれも大甲子園編からは追っていません。しかも、水島氏自身の美学なのかは分かりませんが電子書籍を拒んでいるので、今から再読するとしても書斎が満杯になります。

水島氏の作品では、ほかにも『野球狂の詩』『あぶさん』が好きでしたが、あぶさんは高校3年生からで、野球の中に丁寧な人間模様や人との巡り会いを描いていました。

南海時代はそれぞれ選手だけではなく、あぶさんをとりまく女性たちの心理も実に見事に描いていました。

パリーグの選手や野球機構はもっと水島氏に感謝してもいいと思うのです。大阪に出張した折、時々大阪球場で南海の応援をし、あぶさんの看板を見たことはいい思い出です。

野球狂の詩』もいろいろな物語があってどれも素晴らしいです。そんな中、女性投手の水原勇気が登場しますが、これは当時、南海の監督兼キャッチャーだった野村克也氏に助言により誕生したのは有名な話です。

左のアンダースローで独自の変化球でワンポイントリリーフであれば可能であると野村氏の助言に基づいて水原独自の変化球「ドリームボール」が生まれます。

女性投手というと『ナックル姫』の愛称で知られた吉田えり選手が後に独立リーグで登場しますが、残念なことにコントロールなどの問題もあり、大成しませんでした。

ただ、本格的な女性投手が誕生するしたら、このタイプのピッチャーだと今でも思っています。

イメージとしては昔、西武で活躍した史上最強のワンポイントリリーフであったサイドスロー永射保投手です。

永射投手は左殺しと言われ、左打者の背中から曲がるカーブを得意としていました。一方、水原のドリームボールは、ボールがホップして沈み、そして揺れる特徴があります。

水原は、カーブやフォークも使い分けしつつ、いざとなるとドリームボールを投げます。この心理戦にセリーグの当時の打者は翻弄されていきます。

その後、『野球狂の詩』平成版も登場しますが、そこで水原は復活します。そして、山田VS水原という夢の対戦もありました。

あぶさん』はすでに完結しており、『ドカベン』も次号で完結します。しかし、『野球狂の詩』のみは掲載誌が休刊になったため、未完です。

水島氏は79歳で今でもイキイキとした絵を描いています。私としては次には、『野球狂の詩』の水原がどのように終了していくのか関心があります。

私個人としてはマンガや物語は、完結して欲しいのです。風呂敷を広げすぎて未完の物語はたくさんあります。私が水島氏をリスペクトしているのは、完結する責任感が強い方であると言うこともあります。

 

 

個人投資家の90%はなぜ損ばかりするのか

私は株屋ではないのでよくわからないのですが、まあ株については今は時期が悪いですね。というのも日本株は比較的に上がりすぎているので、こういう時に手を出すのは最悪です。

株は上がったり下がったりするもので、今はまさに上がりすぎている状態です。こういう時はもし所有している株があれば売った方がいいです。

そもそも私は退職後の投資をあまり推奨していません。しかし、中には、手元に現金があるため、どうしても投資をやりたいという人も少なからずいますが、この際どうすればいいかといえば、人間の心理として株が上昇機運になった時、株を買いたくなる気持ちがありますが、その時はプロの機関投資家手じまいをして売りに動くのです。

株の雑誌は山ほどありますが、この銘柄が上昇機運というニュースが流れた時点では、ほぼ手遅れです。

なので素人が手を出せる世界ではないと繰り返し申し上げていますが、一番いいのは100円からはじめる積立投信を進めています。それが毎月10000円くらいの積立投信であれば損をしてもそれほど打撃は被らないでしょう。

投資はあくまで遊び金でやるものであって、本気で全財産をつぎ込むものではありません。

個人投資家が勝てる世界ではありません。株に関する本は相変わらず書店で出回っていますが、私から見るとプロが素人を食っているもので魑魅魍魎の世界です。

情報戦に勝る機関投資家に素人である個人投資家が勝てるはずもありません。

もし、株をどうしてもやりたいというのであれば1つだけヒントがあります。それはリーマン・ショック級の大暴落の際に株を買い、しばらく保有していることです。

そうなるといつかは株が上がります。株が上がったときに売るのが一番ですが、人間の心理としてまだ上がると思うので売り時が難しいです。

まあ結論からすると株に手を出すと日常生活に支障を来たすのでやめた方がいいということです。

株をやるよりも日々働いた方がずっとお金が貯まるのは私の実体験から申し上げたいことです。

60歳から始める個人事業主~聞く力と教わる力

私は個人事業主になって以来、白紙の状態で仕事に臨んでいます。

分からないことがあれば、分からないので教えてくださいと言いますし、それははじめて知りましたので教えてくださいと遠慮なく取材対象者に話します。

取材の中には私の不得意分野もありますので、そういう際には、笑いつつ、

「すいません。素人でも分かるように説明お願いします」と話します。

世の中、森羅万象なんでも知っていれば、どのような取材でも対応できるのですが、そういう人はそうそういませんし、いたら少し気味の悪さを感じます。

もうサラリーマンでもないのですから、プライドも全部捨てて一からやり直す気持ちも大事であり、その際大きな武器になるのが、「聞く力と教わる力」です。

「このオヤジはいい年してこんなことも知らないのか」と思われてもいいじゃないですか。

私も得意分野ではさすがに素人とは言いませんが、「これは難しい分野だなあ」と感じたら、「申し訳ないです。この分野には素人なので、教えてください」と頭を下げることは厭いません。

こう話しますと、みなさん非常に丁寧に教えてくれます。変に知ったかぶりをするよりも好感を抱かれるようで、「そもそもこの単語の意味はなんですか」と聞くと、30分くらいかけて説明してくれますのでわかりやすく頭に入ります。

やはりその道の専門家というのは精通しているようで、説明もわかりやすいです。そうしますと原稿も書きやすいです。

これはサラリーマンにも言えることで、50代を過ぎれば、エクセルのマクロなどを扱えない人も多いかも知れませんが、若手社員に頭を下げて、「よろしく頼むよ」と言ってもいいでしょう。

あるいはやり方を教えてもらうというのもいい手です。

これはオッサン世代に限らないかもしれません。若手でも「聞く力と教わる力」を養っていけば、どの世代でも知識を吸収できますし、オッサンでも新たな伸びしろが生まれます。

私はオッサンでもまだまだ仕事を楽しめると思うのです。ただし、変にプライドを持ち、「オレはなんでも知っている」という態度で臨めばあとあとの人生で逆に恥をかくことになります。

50代に限らず、「知らないので教えてください」という態度で生活していれば世間はそれほど悪いように致しません。

そしてこれも付け加えたいのですが世の中は、知らない人に対しては善意をもって教えてくれる人の方が圧倒的に多いのです。