「好きか、嫌いか」
reasongomainstream.hatenablog.com
天機さんは、「この世界の不思議」を執筆されていますが、そのなかで「好きか、嫌いか」をテーマにするコーナーがあります。
人間の意識感情の中に、「好きか、嫌いか」は当然あり、言葉を言い換えると「敵か味方か」という二元論で考える場合もあります。
ただし、私個人は「好きか嫌いか」をむき出しに表現することはなく、日々淡々と生きています。
復讐とか怨念も私にとっては分かりません。
それに私は好きか嫌いかでビジネスを動かす人の気持ちがいまだに理解できないのです。
ただし、人間は合理性だけで生きるものではありませんから、嫌いという感情でビジネスをゆがめる人がいるのもそんなものかなと思います。
実は、ある会社から依頼があった際、「私を嫌っている人もいるから、請負うのは無理じゃないかな」と、先方に伝えました。
しかし、会議であいつを起用しようという声が全員一致で決まったことは正直狐につままられたような印象であり、人によっては、合理性を優先するのかと思った瞬間でした。
合理性を優先するのであればうぬぼれではなく私自身も起用した方がいいと判断しましたが、人間はそれほど単純ではなく、「好きか嫌いか」という非合理性で判断する生き物であると思っていたのですが。
そう考えると、私は多分この人から嫌われていると思っていましたが、その方からも、「賛成だ」という話を人づてに聞いて、やはり腹を割って話せば、分かる方だと考え直しました。
そして、別の仕事もお願いしたいとの話がありましたが、こちらの責任者はもっとハードルがいろいろな意味で高く、社内調整は無理じゃないかなと思いつつも、好きか嫌いかを超え、この人にとって必要な企画を立案しました。
私は酒を飲めないので、腹を割って話すことよりも、企画書提案が私にとっての友誼でもあります。
実は、企画書立案というのはほとんど無償奉仕なのです。これで一円もお金が入ってくるわけではありません。
私はこの仕事の依頼が実現してもしなくても困りません。ほかの仕事にシフトすれば十分だからです。
ただし、この方に友誼を感じる以上、お酒を飲みつつ愚痴を聞くよりも、企画立案がより現実的なサポートになります。
私はお酒で百の愚痴を聞くよりも1つの企画書の方が助けになるという考えですので、無償奉仕でやっています。
「優しい人だなあ」と思われるかも知れませんが、それは少し違います。
フリーライターになってから、孤独感を抱き、自身の味方が欲しいと言う思いがあります。
私自身の思惑を言えば、ライター業界は味方をつくるのがすごく難しい世界で、なるべく私は味方を増やす努力はしています。
この無駄になるかもしれない企画書一本で後々、味方になる人が増えるという思惑もあります。
それが後々になって生きてくる。。。そういうもとで日々仕事をしています。