ライター 長井の気ままな生活

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沖縄旅行記12~沖縄県平和祈念公園で平和への尊さを考える

 そろそろ沖縄の旅も終わります。沖縄での旅行は大自然を楽しむことも大切ですが、もう一方、平和への祈念や戦争での犠牲者の慰霊も忘れてはならないことだと思います。

 「平成」という年号に意味があるとしたら、日本においては戦争がまったくなく平和であったことは良かったです。何しろ、明治政府が誕生して以来、日清戦争日露戦争第一次世界大戦後と年中戦争しているイメージがありました。そして満州事変から太平洋戦争まで15年(数えでの計算)間も戦争が続くという世界歴史史上珍しい時代でした。

 実はガイドさんはこの説明の折、「15年戦争」という用語を使っておりました。実は、「15年戦争論」は歴史学会では正式に認められていない用語なのですが、それでもガイドさんの沖縄戦に対する思いも強かったのでしょう。そこで15年戦争論に触れないことはやや不親切であり、ここで少し解説します。

 満州事変勃発の1931年から起算すると1945年は15年目にあたることから15年戦争と呼ぶことも一定の合理性はあります。中国東北部の旧奉天(瀋陽)から始まった15年戦争のほぼ終結の場といえばもちろん、広島や長崎の原爆投下、旧ソ連の参戦も大きいですが沖縄戦終結15年戦争終結の場所としてはふさわしいのかもしれません。

 では沖縄戦はいつをもって終結したかといえば、首里防衛線が崩壊したのち、一部は南部である糸満市の地下壕で抵抗をつづけながらも牛島満軍司令官の自決により、組織的な沖縄での抵抗は終わっています。

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美しい光景ですが、沖縄戦では一般市民もこの崖から飛び降りたとのことです。

 そして沖縄では組織的な沖縄戦終結を6月23日と考え、「慰霊の日」としており、事実上の公休日の扱いになっています。

 今上天皇は皇太子時代から沖縄を訪問し、特別な思い入れがあるようです。今上天皇の感想として、やや驚いたことは2015年1月に、「終戦から70年という節目の年」に当たり、「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」と述べています。すなわち、1945年に終わった「この戦争」の起点を1931年の満州事変とし、太平洋戦争と一体のものと見る認識を示しています。

 実は「15年戦争論」はかなりリベラル的な史観で、今上天皇がこれを支持したことは極めて異例な出来事だったのです。

 

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沖縄県平和祈念資料館

 私は政治家や評論家が特定の国々に対して強気な発言や執筆することが愛国だと思っておりません。その発言は時として国の方向性を誤らせると考えています。

 過去の汚点は正直に認め、各国の歴史観や齟齬を解消するには膨大な時間がかかるにしても、そのことについて真正面から取り組むことが過去の人々への慰霊と償いにほかなりません。

 私は普段は政治について言及することがなく、執筆することはありません。ただ、それでも沖縄旅行記で執筆した動機としては、平和教育基地問題、米軍問題などが極めて沖縄の日常に近い場所であるからです。ですからこれらのことに言及することなく、沖縄旅行記を執筆することは私にはできなかったのです。

 私はリベラルや保守の思想を超えて、これらの問題について向き合うべきかと考えます。

 最後までお読みいただき、感謝します。読者登録よろしくお願いします。