ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

ライバルは人を成長させる。S部長の思い出

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人生において欠かせないのはよきライバルというのが私の考えです。

これは昔の話ですが、昔ライバル会社でSさんという方がいました。

たまたま、私と同時期に同業他社に入社し、配属された部門も私と似たような部署で外回りではよく対決しつつも会っていました。

さまざまなプロジェクトを巡って争いましたが、結論を言いますと1勝9敗でほとんど私の負けでした。

しかし、負けたからと言ってSさんに悪意を持つこともなく、時には飲み食いをする。。そういう仲でした。

仕事は間違いなくSさんの方が優れていましたが、Sさんもいろいろあって左遷の憂き目もありつつも頑張っていました。

一方、その後、私もいろいろあり、さらに同業の別会社に入社するのですがその際も彼とはよく会っていました。つきあいも15年間くらいだったでしょう。

業界が同じですと、時には敵対しつつも、お互い情報交換をする。ライバルでありつつも協力する不思議な関係でした。

Sさんが部長昇格になったときに、私の電話に「部長昇格が決まった!!嬉しい!!」と報告してきましたが、私もその報告を我がことのように喜びました。

ちなみに、私が部長になったのはずっと後で、サラリーマン最後の1年前くらいでした。

私の持論ですが、サラリーマンであれば、出世を望み、部長、、、その先に役員を目指したいと思うのは当然の志です。

S部長は、口はものすごく悪いです。普通、私はこんな口のきき方をする人を遠ざけるものですが、一方愛嬌もあるため、多くの顧客から好かれました。

また企画立案能力にも優れ、次々と自社を成長させるアイディアもあり、本当に能力的にも人間的にも優れていた反面、社内政治ができなかった面もあり、不遇でもありました。

S部長は自身の娘を非常に溺愛し、バイオリンが好きだと言うことから結構な高価なものも買い与え、いろいろと学ばせていることを誇らしげによく語っていました。

その後、彼はガンが発覚しました。亡くなる数日前まで仕事をしていました。

葬式の折、奥さんと娘さんにはじめて挨拶しました。聡明そうな娘さんでした。

私は今でも彼には長生きして欲しかったですし、業界で暴れ回る姿を見たかったですが、それもかないません。

彼がいたからこそ、私も反撃のために精一杯仕事が出来ました。

S部長がいなくなった今、わたしはとても寂しいです。

私は今、前の仕事と似た仕事も個人で請負っています。その仕事でのライティングしている最中、時折、S部長を思い出します。

「S部長よ。この記事は何点だ」