カネは使わなければ貯まるものなのですが、吝嗇はいけません
個人事業主になって以来、家計簿をつけるようになりましたが、まあ、実際、カネは使わなくなりました。
人間の欲望はコントロールできるのかということですが、実際できると思います。サラリーマン時代はあれもこれも欲しいと、あるいはあの本も読みたいとかいろいろ考えてはいましたが、個人事業主になって以来、適度な生活をするようになりました。
実際、生活費+事業費などは私が支出し、妻の稼ぎはそのまま貯金に回っており、生活はそれなりに安定していると思います。
これがサラリーマン時代と同じように支出していれば、とてもムリでしょう。サラリーマン時代は私にも一応、立場があり、若い人と時々、会食したり、諸雑費もありましたので支出も多かったのですが、今はそういうことはありません。
以前の勤務先の人から、「焼き肉食べましょう」と今年の年賀状に書かれていました。要するに、奢ってくれということなのでしょうけれど、私もそうそうお金も無いので、「私がもっと有名なライターになりましたら、行きましょう」と返答しました。
しかし、カネは使わなければ貯まりますが、吝嗇とまで行くと人生の楽しみがありませんのでこちらはお勧めしません。
北欧ミッドセンチュリーな家づくりを進めているブログ主であるmashleyさんの執筆内容は、私は多くのヒントをいただいておりますが、お金の使い方についても同様ですのでご覧ください。
吝嗇になりすぎますと、人生なんのために生きているか分かりません。私は人生楽しむために生きているのだと考えますが、豊かな家具、食器や焼き物は必ずや人生をも豊かにしてくれるでしょう。
私の場合は本ですが、人生の豊かさをもたらすものは人それぞれ。愉しみ方を個々人が見つけ、それについてはお金の支出は厭わなくてもほかの面では抑えていくことが賢明な支出といえるのでしょう。
つきあいがあるから飲み会に出なくてはと思う方もおりますが、その飲み会は、本当に自身に必要かを考える必要があります。
会社が全額負担というのであれば問題はありませんが、全額自費負担となればかなりの支出です。
必要かは厳選することも大切でしょう。
とにかくカネは使わなければ貯まります。しかし、吝嗇になれば人生に面白みが欠けますので、バランスの取れた支出こそが賢明な支出であることを重ねて伝えたいのです。
中国企業の日本技術者引き抜き加速について
中国企業が日本技術者を次々と引き抜いているとのことです。
これについては愛国的ではない、数年で捨てられるなどいろいろな意見がありますが、私は結構なことだと思います。
今は別に日本企業は終身雇用でもなく、それほど技術者を厚遇する環境でないなかで、かなりの大金を提示し、引き抜かれていくということは事務系の私には縁の無い話ですが、うらやましく思います。
日本企業の悪いところは規模の大小にかかわらず社内政治で疲労してしまうことが多く、根っからの技術屋にとってはいい環境ではありません。
もちろん会社により、技術者の楽園のような企業もあるでしょうが、官僚的で息苦しさを感じる企業の方が多いでしょう。
技術者が、「オレは技術開発をしたいんだ」という夢を叶える場所は別に日本でなくともいいわけで、アメリカ、中国、韓国、欧州どこでもいいのです。
それに今の中国はかつての世界の工場という概念で見ればそれは時代遅れでイノベーションの場で技術者からすれば、腕が震える場所です。
これまでの中国は粗悪なモノマネ製作でしたが、今後は「創新時代」に突入し、中国発のイノベーションは次々と誕生するでしょう。
日本が国内で社内政治をやっている間、中国は規制緩和し、イノベーションに邁進し、そのための技術者を世界中からかき集めているのです。
しかし、日本に油断がなかったかと言えばそうではなく、「中国のバブルが崩壊する」や「中国崩壊論」がよく売れていましたが、現実は中国は順調に技術革新を進めていたと言うことです。
今の中国も問題が多い社会ではありますが、日本もまた、「中国崩壊論」に惑わされ、中国の現実を理解していなかったというのが本当のところではないでしょうか。
技術にカネを惜しまない中国と社内政治で疲労する日本で、技術者にとってどちらが環境が良いか分かる話でして、技術者が日本から中国へと鞍替えするというのはよく理解できます。
日本では引き抜かれた人を責める傾向にありますが、技術者は技術一本で食べて行っているので、どこに行こうが自由だと考えています。むしろ、引き抜きの話があって一人前です。
引き抜きの話でもないと、技術者に夢はないですからね。
ご恩と奉公が崩壊したのに奉公だけ求める日本企業
鎌倉時代での鎌倉殿と御家人の関係は、「ご恩と奉公」によって成立したということは学校の授業で習いました。
このご恩と奉公はよくできたシステムだと思いますが、これが元寇により崩壊します。元が攻撃し、撃退したとは言え、相手の国の土地を奪うわけに行かず、結局、恩賞が少なかったので、鎌倉殿に対する忠誠が失われ、鎌倉幕府の崩壊につながったと言うことです。
日本の高度成長も上記のようにご恩と奉公によって成立したという考え方もありますが、私は割合にこの考え方に賛成です。生活も安定していたのでしょう。
ただし、その後日本企業もバブル崩壊により、社員にご恩を施すことが出来なくなった一方、奉公だけは求めるという異常な働き方になりました。
日本と韓国は兄弟のような国で、働き方もよく似ています。
しかし、同じアジアでも中国は割合にのんびりした空気が強く、一定の時間がたつと中国人が好きなダンスをみなで踊る文化があります。
ヨーロッパの働き方については、こちらのブログを是非参考にしてください。
ブログ主であるmashleyさんは、ヨーロッパについて文化、社会、働き方、家具についての造詣が深く、私も多くの示唆をいただいております。
私はヨーロッパに行ったことがありませんが、なぜ日本の働き方はヨーロッパのようにならなかったのかと時々考えることがあります。
儒教に毒されたのか、滅私奉公の文化が根付いてしまったのか、それとも旧日本軍の働き方の残滓がそのまま残ったのか理由はさまざまあるでしょうが、いずれにしても日本の働き方は望ましいと思っていません。
しかも、従業員でありつつも、「経営者目線が必要だ」と謎の理論を持ち、お互いがお互い有休を取らせないようにするという極めて異常な監視社会になっていることも日本社会に生きていて不思議に思うことです。
これは戦前の隣組の名残なのか、よくわかりません。
実は、日本はスゴイデスネーという番組を見ると違和感を強く感じます。
スゴイデスネーという外国人が日本で働く選択をするかといえば答えは恐らくノーでしょう。
彼等はニンジャやゲイシャのように日本のファンタジックに憧れても、日本の労働環境の実態を知れば、「働きたい」と思う方はいないでしょう。
今は、外国人技能実習生が多く来日していますが、主力はベトナムです。そのベトナム人も労働環境が嫌になって逃げ出し、別の所へ鞍替えするところも増えてきます。
移民論の賛否は別として、この労働環境の改善をしなければ観光で来る外国人は多数来日しても、労働者として来る外国人がどれだけいるか疑問に思う日々なのです。
就活本番。しかし新卒至上主義はどうかと思いますね
私の時代と比較して、新卒者や学生にインタビューした印象を話しますと、しっかりしている学生は多いです。
受け答えも明確ですし、学生のレベル全体が上がっています。3月1日から採用活動も解禁され、これから6月1日までにおおよその企業が内定を決めることになりますが、この3ヶ月か4ヶ月の間に自分の人生を決めることにやや気の毒だと思います。
そして企業は相も変わらず新卒至上主義。企業としては、新卒者を自分色に染めたいと言うことなのでしょう。
変に自主性を持たれても困ると言うことですかね。自分が提案する風土のある会社以外は、欲しいのは兵隊ということなのでしょう。
ユニクロの柳井氏は「中間管理職になるな」と発言したそうですが、その趣旨はよく分かりませんが、兵隊組と幹部組を明確に分けると言うことなのでしょう。
ユニクロがブラックかは論じませんが将来、独立したいという人には向いている会社なのかも知れません。
こういってはなんですが、企業では入社時点から、将来の幹部候補は決まっています。幹部と兵隊というのは民間会社でも明確に分かれていて、幹部同士での競争、兵隊同士での競争は、別の次元で行なわれます。
それはともかく、日本もいつまで新卒至上主義を貫くのかと思います。進路も就職もいろいろあって良いと思うのですが、この3ヶ月か4ヶ月で将来を決める就活は異様に感じます。
そんな短期間で決めてくれと言われても、なかなか難しいでしょう。
私でしたら今の短期間就活で会社を決めるのはムリです。
新卒者も企業側も困惑する就活ですが、10年後は新入社員も企業もどうなっているかは分かりません。
意外なことに独立を模索する道も探っているのかも知れません。
私は繰り返しいいますが、会社というのは徹底的に利用尽くした方がいいと考えています。忠誠心をもったところで給料やボーナスが上がる時代でもなく、自分はどういう道に向いているか、会社を通じて業界研究などを行なえばいいと考えます。
忠誠心をもったところでリストラされるときはされます。狡知に長けて会社を利用尽くすというのが、これからの1つの生き方だと考えています。
社長という病
私もいくつかの中小・零細企業の社長にに仕えましたが、例外なく、社長は都合の良いことしか信じなくなるという話には同感です。
ネガティブで否定的な情報を伝えると不機嫌になり、世論はこのようなことですというとあまり信じず、むしろ都合の良い話を伝える人を重宝するという傾向にあることは間違いありません。
ですから従業員が必然的に茶坊主になるというのは必然です。これは茶坊主を否定しているのではなく、茶坊主にならないと生き残れないため、そのように振る舞うのは致し方ないのです。
といいますのは、社長の本音をいくつか聞いたことがありますが、社長はものすごく孤独を感じるというのです。
私はこの孤独についてはよく分かりませんが、私が仕えた社長は例外なく仕事が出来る人でしたが、同時にかなり派手好きでもありました。
たとえば日本に数台しかないスポーツカーを乗り回したり、万事派手好みです。このスポーツカーを売れば相当従業員に還元できるのになと思うこともありましたが、お金持ちでありつつ、恩賞という段階になりますとケチでした。
口ではいろいろ言いつつも、従業員を最後まで信用していないのでしょう。家族経営というのはおおよそ信頼できるのは家族だけと言うことになり、従業員は悪く言えば使用人扱いから逃れることは出来ません。
ある業績の良い会社では、従業員が稼いでも稼いでも、やはりいつか業績が悪くなると言う極度な不安に陥るようで、カネはなるべく従業員に渡したくないという確固たる信念のようなものがありました。
その割りには、社長は平日から仕事の友達と会社の経費でゴルフ三昧でしたが、漠然とした不安はいつもつきまとうのかも知れません。
私は個人事業主ですので社長とはいえませんが、実はオーナー企業の社長は気の毒に感じることはあります。オーナー企業は借金も当然するのですが、その借金も個人補償を求められるため、事業が上手くいかなくなったとき、個人の財産もすべて失うからです。
カネに対して貪欲なのはこんな不安があるからだと言えます。
事業が上手くいっている時は豪遊するのは、不安を隠すためとも言えます。
そんなかんやで社長は決して楽ではありません。社長は万事派手になるのは、事業が失敗する可能性があるという不安を払拭するためなのでしょう。
「心の闇」を抱える社長は多く存在します。
私には社長は無理ですね。
スナック文化は好きではなかったですね
ソースにある日刊ゲンダイは昔、よく読んでいましたが、今はさっぱりご無沙汰しています。カネのある時は、夕刊紙も購読していましたが、止めました。
フリーランスになった今、混雑した電車に乗ることもありますが、今は夕刊紙を広げているサラリーマンはサッパリと見ません。
大阪は昔、事件報道に強かった夕刊紙を読む人が多かったようですが、どんどん廃刊になったと聞きました。東京も遠からず、日刊ゲンダイや夕刊フジのような夕刊紙もいずれは読まれなくなるのではと考えています。
夕刊紙がどこで収益を上げているかは謎ですが、私はいずれ夕刊紙文化も消滅するだろうと予測しています。
日刊ゲンダイに、『1人で生きていける時代ゆえ スナックに行かない若者たち』という記事が掲載されていましたが、これは別に若者だけではありません。私のようなミドルも同様です。
前の会社の社長はスナックを貸し切ってカラオケパーティーを開くのが好きでしたが、私はどうもスナックにはなじめませんでした。
それにこういってはなんですが、スナックでも当然、上下関係があり、社内接待のようなものです。サラリーマンの飲み会全般言えるのでしょうが、社内接待は純粋に楽しめるものではありません。
スナックにはじめて行ったのは大学時代でしたが、あまり面白いとは思わなかったです。わざわざお金を自分が払ってまで行きたいとも思っていませんでした。
サラリーマンになってからもスナック好きの先輩や上司がいて、行きつけの店に連れて行かれましたが、まあみなさんあの当時、お金があったのでしょう、結構奢ってくれました。
奢ってくれた人には申し訳ありませんが、私はスナックに誘ってくれた人にはあまり感謝はしていません。
「お前も一人前のサラリーマンなんだから行きつけの店くらい持たないとだめだぞ」
と上司にいわれましたが、今でも意味がよくわかりません。
これは個人的な感覚なのですが、スナック文化というのは50代より上のシニア世代独特のものではないかと思っています。
もともと私にはお酒にそれほど興味が無く、お酒にお金をかけることの意味がわからないのです。
スナックは好みで、若い頃は夜10時頃までバカ騒ぎしていた時代もありますが、先輩や上司には悪いですが、スナックに行ってもまったく楽しめず、むしろ早く家に帰らせて欲しいとそればっかり考えていました。
会社の人と酒を飲むというのは結局の所共通項は、仕事なので、仕事の話ばかりすることになりますが、そういうことは昼間やって欲しいと思いました。
先輩や上司の独特の説教や自慢話を聞くのもほとほと嫌な思い出です。
フリーライターの悩み
フリーランスで一番大切なのは、意外と思われるかも知れませんが、人間性です。
やはり、「この人に仕事頼んで大丈夫かな?」と思われるよりも、「この人なら大丈夫そうだ」と安心感を持たれることが肝要です。
でも難しいことではないのです。常に名刺を常備するとか、身だしなみも整えているとか、一般的な常識を兼ねそろえていることで十分です。
私の持論は、「フリーランスになる前にサラリーマンは一度は経験すべき」ですが、サラリーマン時代は貪欲に吸収した方がいいです。資料についても会社は揃えていますので、勉強した方がいいです。
こんなことを言うのはなんですが、今は終身雇用は事実上、崩壊していますし、自分の身の振り方というは自身で決める時代になっています。
悪く言えば、会社を徹底的に利用するほうが勝ちです。私のサラリーマン時代は、自分の職務を利用して、業界紙を熟読し、業界研究をしていましたがこれは役に立っています。
ただし、フリーランスにはマニュアルはありません。自身で開拓して、仕事の内容も自分で決めるということが不可欠です。
決定権が自身にある反面、自身で答えを出すことが求められます。
「どうすればフリーライターになれるか」「フリーライターになる方法」を検索したり、関連本を読むことも必要ですが、どういうライターになりたいかは、最終的に自身で決断すべきです。
サラリーマンとの違いはここにあるでしょう。
サラリーマン時代に培った人間性を維持しつつも、マニュアルのない世界で生きていくのですから、楽ではありません。
売れる記事もあれば売れない記事もあり、悩むことも多いです。
日々悩み、私も辛い思いをして、フリーランスを続けているのです。