ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

理容業界倒産最多で思うこと

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私は、多少身だしなみは気をつけていますが、おしゃれではありません。服装も基本、ユニクロを愛着しており、服装にはお金をかけていません。

 

また、床屋さんも昔は理容組合加入理容店に行っていましたが、駅前に1,000円床屋が出店して以来、そちらを使っています。

妻もまあまあ安い美容院に通っていますが、そこは予約制ではないため、常に満員だということです。

組合加入理容店ですと3800円。これは率直に言うと高いです。

サラリーマン時代からわれわれの給料が上がっていないなか、代用になるものは、次々と節約モードに入っていましたが、床屋さんについては早々に1,000円床屋を使うようになりました。

しかし、私だけのことではなく、女性によくもてるある知り合いの男性ミドルも1,000円床屋を使っていることは意外でした。

みんなカネがないんだなとサラリーマン時代を思い出しますが、理容業界自体も大変そうです。

ただ、考えてみるとこのデフレ時代に協同組合により金額を縛るというのはそろそろ限界に来ているのかも知れないと考え始めました。組合価格というのは、各都道府県によって異なるのでしょうが、消費者にお金が無くなっているご時世に一律の金額というのはどうかと思います。

その金額に一定の合理性があれば私も納得しますが、やはり3,800円は高いです。

だからこそ1,000円床屋という市場が生まれたのでしょうが、新たな市場が台頭すると旧来の業界が衰退するというのは世の常かも知れません。

昔、街中には喫茶店がたくさんありましたが、それがドトールなどの台頭により、ほとんど駆逐されました。

ところで理容業界も業界団体があり、規制を政治家にお願いしていることについてやや異議を唱えたいです。

その規制についてみんなが納得できること、一定の合理性があれば、国民の支持も得られるかも知れませんが、単に1000円床屋潰しのような要望はいかがなものかと考えます。

もちろん政治家に陳情を行なうのは陳情権があり、当然の権利だとは思います。

1,000円床屋や協同組合の床屋も両方あっていいのですが、それは各個人の選択に委ねるべきであり、政治が口をははさむべきコトではないと考えます。

 

実はオッサンも〇〇離れをしているのです。

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若者の〇〇離れと言われて久しいのですが、私のようなオッサンも〇〇離れをしているのです。

上記に書かれている一覧に結構当てはまることが多いです。よく言われることにお金が無いということがありますが、そもそも最初から関心が無いのではと思っています。

私は本が趣味ですのでさすがに本は買いますが、ギャンブルも一切しませんし、キャバクラもなにが楽しいのかも分かりませんし、若い頃から夜遊びや賭け事の楽しさも分からなかったのです。

スポーツも全然ダメなので、こちらにも近づいていませんでした。

就活の時はバブル時代でしたがそれを謳歌していたかというとそれも疑問でした。騒いで遊んで楽しいという人もいるでしょうけれど、私には違和感がありました。

こういってはなんですが、静かにひっそりと暮らしていくのが私のライフスタイルに合っていたのでしょう。

仕事が終わったら早く帰らせて欲しいと思ったときも、居酒屋で会議することも本当は心底嫌だったのです。私は寝酒は飲みますが、社長が主催する居酒屋会議は大嫌いでした。

「仕事が終わったのになんで夜の6時~10時まで付き合わなければいけないのだろうか」

心の中でそんなことばかり考えていました。酒飲みながら会社のことをあれこれ議論するというのはサラリーマン時代ではもっとも理解できませんでした。

アルコールを飲んでまっとうな議論が出来るはずも無く、だらだらと時間を過ごすだけでした。これでなにがしか生産性が上がれば意味はあるのでしょうが、なんの意味の無い居酒屋会議を嬉々として主催する社長の心情も分かりませんでした。

寂しかったのかも知れません。

それはともかくオッサンの〇〇離れですが、私もお金を得ても欲しいものがとりててありません。まあせいぜい近辺の温泉の旅行を妻と行くくらいですが、それほどの豪勢な旅行ではありません。

オッサンも若者も一概には言えませんが、欲しいものが少なくなっているのかも知れません。

たとえばありえない話を事例に出しますが、仮に数億円宝くじがあたったとしても、使い道が分からないため、当面貯金をすることが目に見えています。

退職後の会社からの質問電話について

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退職後の会社からの問い合わせはいいものではありません。

こちらにとってなんのメリットもないですし、仕事をしている時にかかってくれば、少々いらだちます。

私の場合は、原稿書いているときは集中していますので、仕事関連以外の電話は困ります。

とはいえ、やはりお互いオトナですから分かっている範囲であれば誠実に答えるのが望ましい姿勢です。

詳しい内容を言えば、前に作成した資料で、この根拠となるデータはどこにあるのかという質問でした。私も辞めてから1年もたっているので、少し考えつつ、何とか思い出して、そのデータ作成の経緯について話して、事なきをお互い得ました。

その人からは、「たまには遊びに来なさいよ」と言われまして、私も、「時間がありましたら」と答えて電話を切りました。

私への退職後の問い合わせは2回目でしたが、ホンネを言えば1年もたったので、前職の会社からは、もう問い合わせはなしにして欲しいと言う気持ちが強いです。退職してから2ヶ月や3ヶ月での問い合わせは常識的に受けるべきと考えますが、さすがに1年経ってからの問い合わせはやや常識の範囲を逸脱していると考えております。

冷たいことを言うようですが、会社を退職すれば基本、一時期は上司や同僚が同志であったとしても今は他人です。

私も今の仕事に専念したいので前の会社にはまったく連絡しませんし、先方からも連絡して欲しくないというのがホンネです。

このデータについても思い起こせば私個人で作成したものではなく、複数人での共同制作ですのでほかの社員に聞けば良い話でありましたのでやはり、問い合わせは時間泥棒だなと痛感しているところです。

先方からは気軽に聞いてみようと言うことなのでしょうが、こちらからすれば迷惑であり、なるべくであれば問い合わせは遠慮して欲しいという願っています。

これは私だけの問題では無く、退職後の電話での問い合わせについて悩んでいる方は大勢います。

あえて代弁しますが、連絡や問い合わせは一定の期間が経てばもうなしにして欲しいと言うのが退職者からのいい分です。

退職者もそれぞれ別の人生を歩んでいて日々忙しいのです。

 

 

 

 

 

サラリーマン辞めて個人事業主になると付き合う人が一変します

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サラリーマンを辞めるとそれまでの仕事上で交際があった人とは徐々に疎遠になります。これは淡々と受け入れるべきで、続けたいというのであれば、飲み会に誘うなど一定の努力が必要です。

サラリーマンを辞めると収入ががた落ちしますので、飲み代で借金が出来てしまうとこれまた人生設計が狂います。

使うべき所は使いつつも、交際などのお金についてはシビアにしていく部分も必要です。

しかも、仕事でのメリットがなくなった時に、どれだけの人が飲み会に参加するでしょうか。今はそもそも飲み会自体面倒だと考える人も多く、場として機能しなくなっています。

疎遠になったとしても時々、当時受けた恩を忘れない程度に思い出すくらいで良いのではないでしょうか。逆に施した恩をいつまでもネチネチと言うタイプの人は好きになれません。

私の場合、サラリーマンを辞めて個人事業主になりましたが付き合う人がガラリと変わりました。基本、編集と広報が中心ですが、連絡については結構しております。

いずれも年齢的には30代くらい。若い方が多いです。仕事もやり手の方が多く、個人的にはリスペクトしています。

こうした若いやり手の方と付き合いますと、私もまだまだ老け込むわけにはまいりません。

と同時に、ミドルである私に何を求めているか、それを十分に理解しつつ、もう一働きするのがこれからの私の人生です。

前職の仕事では、社長が70代後半、役員も70代近くの人々で締められ、50代の方ははな垂れ小僧の超高齢化会社でした。

私は若い方とお仕事をする上で気をつけているのは、自慢話は極力避けるということです。ただ、経歴上、触れざるを得ない部分については、触れますが、それが自慢になると鼻につくモノです。

問われているのは、ミドルが今、具体的に何ができるのかということです。

過去の業績というのは会社のバックがあってからこそ実現出来たことが多く、独立した時にどのようなことができるのかをアピールすることが大事です。

過去の栄光は過去のこととして、今が何が出来るか、それは実務や交渉能力が必須です。

ライターは執筆するだけでは無く、先方とこの媒体に掲載されれば御社にとってこのようなメリットがありますと訴える必要があるのです。ですので、現役時代に仕事を部下に丸投げされていた方は、厳しいかも知れません。

逆に実務で揉まれた方は、独立できる幅が広がると考えています。

 

会社の広報力で強みをアピールする方法

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会社にとって広報・宣伝は大事です。

特に、これからは一般紙や業界紙だけではなく、webニュースにおける戦略を重視するときに来ています。

ただし、問題なのはそのwebニュースライターの実力は、各人違いますので、そのライター個人の力を見極めることも必要になってくるでしょう。

なかには、でたらめを書きおもしろおかしく記事を書くライターもいるので、広報は大きな注意が必要です。そういう意味では、広報は会社のガードマンでもあります。

しかし、ライターを味方に付ければ、そのライターが助太刀するという役割も果たします。これは広報個人の人間的な魅力によることが大きいです。

フリーライターの地位は世間では低いのですが、意外と影響力は高いものです。フリーライターは企業の敵ばかりやっている人もいますし、人それぞれです。

私は企業であればなんでも味方になるという節操の無いことはせず、企業の社風である「働き方」や「多様性」などを重視することが大きいです。

これは個人の私見ですが、昭和時代のような働き方を推奨するような記事は書きたくありません。その場合、いくら広報力があってもトップがこの姿勢では、なかなか広がりを見せることは難しいでしょう。

といいますのは、今はどこの媒体でも昭和時代の働き方が素晴らしいというような記事は見受けられないからです。

せいぜい掲載されるのは、広告とバーター契約を結ぶ業界紙くらいなものでしょう。

そもそも仮に収益を上げたとは言え、社員の健康を犠牲にした会社は存在することが私は悪だと思っています。それに荷担することは私にはできません。

そういうなか、ある企業の広報から会食に誘われましたが、なかなか普段、金額的に食べられない料理でしたが、その会社といい関係を築いているので、ねぎらうお気持ちと

もう1つは別の商品の説明がありました。

ライターは結構孤独な作業が多いので寂しがり屋が多いのです。なので、「食事でもしませんか」と言われますと、結構嬉しいものです。

これは会社員にはなかなか理解できないかも知れませんが、広報との会食の機会は貴重です。

とはいえライターは単なる宣伝マンでもないのです。問題は興味深い視点から、この商材をどう切り込んでいくかです。その別の視点が無いとなかなか、取り上げにくいのも事実です。

そこで重要なのはお互いのコミュニケーション。

双方が智恵を出しつつ、これでいきましょうと話に落ち着くモノです。

広報力というのはその人個人的な人間の魅力につながるのかも知れません。

民団の新団長の次世代の在日に込める願いと思い

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            会見で意見表明する呂新団長

私は、家族はこうあるべき、日本に長くいる外国人は国籍はすべからく帰化すればいいという意見には反対です。

個人の国籍選択については、あくまでその人個人が決めることであって、他人が口をはさむべきことではありません。帰化するのもしないのも個人の決定事項です。

個人の意見はもっと認められるべきものですし、日本はもっと多様な考え方で、いろんな生き方があっていいと思います。

「自分は在日コリアンの生き方が心地よい」と考えれば、それを尊重することは当然の権利だと考えております。

また、別に、「自分は日本社会のなかで韓国系日本人として生きる」という考えだって尊重されるべきで、そこでその人が日本社会で生活するにあたり、息苦しさを感じるのであれば、それは日本社会全体で直していくことが、健全な社会につながります。

先日、韓国民団の団長が交代し、呂健二(ヨ・ゴニ)氏が新たに就任されました。

私はその際、「次世代の在日コリアンはどう生きていくのでしょうか。」という質問を投げかけました。答えのない質問であることは承知していました。

呂団長は、こう答えました。

「難しいですね。答えはみつかりません。私は在日二世です。子どもは三世で、孫は四世です。そのうち孫ふたりは日本国籍者です。これが在日社会の実像なのです。個人の国籍選択は個人が決めることです。この子たちが屈託なく生きられるような社会であって欲しい。それが参政権にもつながってくるのです。韓国籍であっても、日韓のハーフであっても堂々と出自を明らかにできる日本や韓国社会であって欲しいと願っています。
私の子どもの時代はとんでもなかったですよ。毎日、学校で、「朝鮮人」と言われて喧嘩し、翌日は抱き合って仲良くし、その翌日にはまた喧嘩で過ごしていました。改善されましたがこういう時代は二度とあってはいけないです。怒りの拳や涙をふくハンカチで生活するのでは無く、明るく生きられる社会をつくりたい。」

呂団長の意見にまったく同感でした。在日コリアンであってもそれをオープンにし、それでもみんなが屈託なく暮らせる社会であれば、それは基本いい社会です。

私が何故、在日コリアン問題の記事を書いているかと言えば、日本社会の多様性が問われているからです。

私の執筆テーマは同一性では無く多様性です。人の生き様も、いろんな形があっていいのです。多様性の一環として、在日コリアンのそれぞれの生き方をコツコツと取材しているということです。

私は友達らしい友達はいません

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私には友達らしい友達はいません。

カネもないので、金目当てで近寄ってくる人もいませんし、人望もありません。とはいえ、自分が不幸だと思ったことは一度もありません。

大学時代はともかくとして、心から信頼を寄せる友達に出会ったことはありませんし、会社を辞めれば、同僚や先輩からただの知り合いになるだけで、人生そういうものかなと思っています。

とはいえ、サラリーマン時代でもフリーランスでも仕事関係で会う方は多く、打ち合わせもいたしますが、そういう方を一方的に友達認定したことはありません。

とはいえ、仕事仲間については尊重し、リスペクトしております。

LINEはやっていますが、ほとんど妻との連絡でしか使っていませんし、ほかの方とわざわざLINEで「飯でも食わないか」と言うことに、自分にとって違和感があります。

シニアに近くなり、ミドルの花盛りの世代ですが、仕事はそこそこあり、それなりに忙しいです。

私が、釣り、山登り、ゴルフなどの趣味があれば、趣味友達もできるかもしれませんが、そういう趣味もなく、本を読むことが趣味らしい趣味でこれも1人で完結できるので、友達がいなくても本は読めます。

ただ、上記のプレジデントにあるような記事に全面的に賛同しているわけではなく、友達がいて仲良くしたければ友達を普通に続けてもいいのではないでしょうか。

とはいえ、この記事には一面真理があり、60歳を超えれば役員で残らなければ、その後の会社人生はなかなか厳しいのも事実。

島耕作シリーズ』の弘兼憲史氏は、こうも言っています。

「定年を前に、出世ルートを外れていると感じるならば、仕事以外の自分の幸せを考え直すよい機会と捉えるべきです。自分の身辺を見直し、不要なモノを捨てることで、身軽に生きられます。整理を始めるなら、早いにこしたことはありません。その分長い時間を“手ぶら”で生きることができるのですから」

問題はこの冷酷な事実を受け入れられるかどうかです。

たとえば会社を退職して、知り合いの業者とゴルフコンペを開いても誰も集まらなかったという話は星の数ほどあります。年賀状も激減した話も以前、書きました。

再雇用でいくら残りたいと言っても65歳を超えるとさすがに体力が続きませんし、いずれサラリーマン人生からの退場を余儀なくされます。

 

私は残りの人生を妻と一緒に楽しく暮らしてフリーランスの仕事で生きていくことに決めましたが、サラリーマンを辞めるに当たって、手ぶらで生きようと決断したのも事実です。

私見を言えば、弘兼氏の言うように「友達を捨てる」というよりも自然に疎遠になっていくことが多いのです。連絡を取らなければ、やはり友達は自然消滅していくものでしょう。弘兼氏のように「捨てる」という言葉には違和感があり、大上段に構えなくとも、自然消滅という言葉が私にとっては一番ぴったり来ます。

それよりも妻が大事というのが私なりの価値観です。

私はサラリーマン時代から、「会社よりも妻が大事」とよく公言していましたので、なかには私のことを嫌っていた方もいたでしょう。

調子に乗ると時々、「いやぁ、私はマイホーム主義者ですから」とよく言っていました。会社第一の方からすれば、私の姿勢は好ましいとは思っていなかったのでしょう。

とはいえ、その妻が友達同士の女子会で家を空けると実はほっとする時もあります。

根本的に一人が好きな体質なのでしょう。

それはともかく、サラリーマンは現役時代は、「会社にいた」のですが、退職すれば、「おうちに帰る」のです。遅いか早いかの違いです。

おうちに帰ったとき、快く奥さんやご家族が迎えに来てくれるかは、みなさん次第です。