サラリーマン時代と比べて1週間はあっという間です
サラリーマン時代は、今よりも生活や悩みが大変でして、今日みたいに出勤する日は、やはり憂鬱でした。
そもそも日曜日の夕方から、「明日から出勤」かと思うといい気分はしませんでした。
「自分は会社は楽しい。家にいるよりも会社にいた方がいい」
という方はかなり恵まれている会社人生ではないでしょうか。私には無理ですね。
私はサラリーマン人生が終り、個人事業主をやり、朝の日課はブログを書くことですが、あの出勤がないことだけでも相当、ストレスがなくなったと考えています。
これは人によるのかも知れませんが、ストレスがなくなると1週間というのはあっという間に過ぎていきます。
時として、日曜祭日の区別がつかない時もあり、
「そうか。今日は祝日だったのか」と気がつくことがあります。
カレンダーを改めて見ますと、今年の天皇誕生日は土曜日でして、事実上、正月まで休日がないことに気がつきました。
私の休日は、土日は原稿執筆していましてあまり休めません。一通り大きな仕事が完了したときに休みます。
ですから個人事業主にとって、休みを決めるのはご自身です。
ただ働きづめもよくないので、時々一服入れて昼寝をします。
これはサラリーマン時代に味わえなかった爽快感なのですが、昼寝するだけで結構長生きの秘訣かも知れないと今は思います。
なんかかんやで今週一週間がはじまりました。今週もリキ入れて頑張ります。
ライターとして独立できたのは運の良さを感じます
会社を辞めるというのは難しいことではありません。上司に「退職届」を提出し、引き継ぐ人を待ち、後任の方に引き継ぎ書を渡し、あとはサヨナラです。
難しく考えることは何一つありません。問題は辞める勇気があるかどうかです。決断はそれぞれ個人の裁量に委ねられます。
ですから私は、他人に対して「辞めるべき」「辞めない方がいい」のいずれも申しません。自分で決断すべきです。
問題は、退職後に仕事があるかどうかです。私がいろんなwebニュースに記事を執筆していますが、率直に言うと運の良さは否めません。
もちろん、現役時代から社内報みたいなものを書いていましたのでその延長線の仕事ではありました。ただ、それだけで力量を認められるかどうかといえば疑問です。
webニュースは一般紙とも業界紙とも違い、一般紙が800字の記事だとすれば同じ記事を3,000~4,000字を執筆するので、取材力・執筆力は全然違う世界であると自分では思っています。
前回、発表記事で自分が書いた記事と地方紙を見比べると、やはりボリュームがまったく違います。
webニュースですと記事が無限に広がりますが、一般紙や地方紙は紙面が限られていますからこのようなものでしょう。
webニュースライターとして独立できたのは、実力と言うよりも運の良さと人との出会いについての方が大きいかなと思います。
「もしこの人に出会っていなければ独立するのは難しかった」
そういう局面はいくつかありました。
また、取材先の窓口でも良い人に出会い、いろいろとグループ内の広報も紹介してくれたこともあり、取材の幅が広がったのも事実です。
さらに編集者が私の企画に対してかなりの部分、理解を示してくれたことも大きいです。
前職では、なかなか理解を示してくれなかった上司もおり、企画についても常にダメ出しされることが多かったのですが、今はまあかなり自由に執筆できる環境にあるのも人との出会いと運に恵まれた1年だったと総括しています。
それでも最初の頃は苦労があり、辛い面もありました。
前職の方とは当然、縁が切れていますが、今年1年、より幅広い方との出会いがありました。
縁というのは不思議なもので、ある縁が切れると、自分が積極的に動きさえすれば、新しい縁が生まれます。そしてそれが自分にとって運につながってきたのでしょう。
私はこの1年間、やってきたことを得意げに妻に話すこともあります。
妻は、「たいしたものだと思う」と率直な感想を私に寄せますが、内面、自分の実力だけではとても及ばなかったと反芻しています。
来年はどのような縁が生まれ、出会いがあるのか。サラリーマン時代には経験できなかった「ワクワク感」があります。
父の退職と年賀状の思い出
父がサラリーマンを退職し、個人事業主の仕事をした時の話です。
父のサラリーマン生活はあまり恵まれなかったようで、出世もあまりしませんでした。
父に対して愚痴るわけでもないですが、生活を維持していく分には困りませんでした。
ただ、父が寂しい顔を見せたのは、退職後の年賀状の時で、父は世代的にもかなり年賀状を出す人で、退職した後でも律儀にいろいろな方に出していたのですが、めっきりと減りました。
「私はこんなものでしょう」と思ってはいましたが、父からすれば、「オレの人脈からすればもっと来てもいいはずだ」と考えていたのかも知れません。
父に来る年賀状は年々減少していきました。ある年、父は、1月3日や4日にも、「オレあてに来ていないか」と私に言うと、私は、「二枚くらい来ている」というとさらに寂しい顔をしていました。
私は、以前から年賀状については退職すると激減する話を聞いていましたので、驚きもしませんでしたが、父からすれば寂しさもあったのでしょう。
会社に長く勤務し、息子の私が言うのもなんですが、それなりに忠誠を誓い、頑張ってきた父に対しての年賀状の数が減少していく姿を見ると、やるせない気持ちになったのも事実です。
私が昨日、「年賀状のリストラ」を執筆しましたが、そんな父の背中を見たからこそ世の中こんなものだと、割り切っているからです。
私の年賀状は親族関連、大学の友人、会社関連のおおむね三つに分かれていますが、この会社関連は前職の方には送りませんし、今年新しく出会った方に送ろうとすると膨大な数になりますのでこれまた送りません。
一部、本当にお世話になった編集者には送るつもりでいます。
数的には大幅に減るわけで年賀状がこなくなる寂しさはあまり感じません。
年賀状が人脈の力を意味するかも知れませんが、普段からメールなどのやりとりをしている私にとって、年賀状とはどのような意味があるのかということについて今ひとつ理解は実はできていません。
父が亡くなった後、その年の11月頃に一斉に父の死去を知らせる喪中はがきを出しました。
しかし、「線香をあげたい」と希望する人もおりませんでした。
正直、ホッとしたのも事実です。
これから私の年賀状の意味合いは普段合わない親族や大学の友人たちへの近況報告ということになりそうです。
今年1年間なにをやってきたかという内容を文章でしたためる年賀状を考えています。
年賀状のリストラ
年賀状についてそろそろどうしようかと考えています。
昨年までは、会社業務として年賀状を送る作業がありました。これは業務の一環です。
もう一つは、会社の職員に送ることですがこれは割合に私的な業務でした。
昨年、会社も辞めたことですし、前職の関係者に送る必要はもはやなくなりました。
ただし、今年、仕事上でいろいろな方との名刺交換がありましたがこうした方々に送るとそれはそれで負担であり、どうしようかと悩んでいます。
個人的にはもう年賀状送付についてはそろそろやめようかと思っています。
相手は会社・団体の方ですから相手の方が見るのは1月4日ですし、実は私は前職でも会社宛に送られてくる年賀状については特に感慨がなかったのです。
送られてきた年賀状については総務部にまとめて渡し、総務部が当たった年賀状を切手とかに買い換えていましたがそれはそれは私の預かりしらぬところでした。
年賀状をもらったから仕事を与えるかというとそういうことでもなかったです。
「ああ年賀状が来たのだな」と思うだけでした。
ほかの方は年賀状が来たのだから仕事を与えようという考えの人もいるかも知れません。しかし、私はそういうことはありません。
昨年は、会社退社の挨拶も兼ねて年賀状を結構な量を送りましたが、今年はその必要も無くなったかなと思っています。
恐らく、編集の立場からすると年賀状よりも、いい企画を立案し、いい記事を書いて欲しいと言う要望の方が強いのではないでしょうか。
ということで、今年、12月に送る年賀状は相当、リストラしようと思います。お金ももったいないですし、大学時代の友人や親しい方に近況報告をしたいと考えています。そのくらいでいいかなと考えています。
そもそも友達らしい友達もすくないですから、今年は10枚くらいでいいかなと。
友達が多い人は100枚でも200枚でも送るのでしょうが、それはそれでいいのでしょう。
ただ、私も今年、収入は後半はともかく、前半はがっくり収入が減りましたのでそこそこ節約をする必要もあります。
前職の手取りを超えたのは後半の月でしたが、前半はその半分くらいでしたので、トータルからすると年収全体は相当減ったというのが実情です。
その反面、支出も大幅に減りましたが。
私が今、ライターの仕事をしていますが、手取りで前職と同じくらいになるのは来年でしょう。
それでも社会保険を加味すれば、不利になりますから、いろいろと節約しなければなりません。
そこで意外と地味に節約できるのは年賀状で、とりあえずリストラをしようと考えています。
いろんな種類のライター
ライターとして執筆しているとほかのライターの方の記事を拝見することも多いのですが、タイプとしていろんな方がおります。
とにかく芸能関係に強い方、TwitterなどのSNSから引っ張ってきて執筆する方、また私のように企画、対面取材から執筆まで一貫して行なうライターなどさまざまです。
私が求められているのは、企画、対面取材、執筆までを担当することで、なんの企画立案もなく、先方から仕事が舞い込むということはあまりありません。
しかし、編集者と何ん気なしにメールや電話で話していますと、突然、編集者はアイディアが沸き、仕事が舞い込むこともあります。
そういう意味で私の場合は多作ではないですが、多くの方とお話しする機会が多いです。前職は建設業界のごく一部分の方に話を聞くことが多かったのですが、今はずいぶんと業界業種の幅が広がりました。
人脈の幅というのは実際、前職よりも多いと実感しています。
ただし取材というのは丁寧さが必要で、それが欠けていると次の取材を受けてくれない可能性があります。
なので1つ1つしっかりと地道に取材・執筆することがライターとして華やかさはないものの、生き残る道と感じています。
企業・団体・個人への取材に食い込みではやはり丁寧さかなと思います。
それでも一応、自分にもそれなりに考えがあり、建設・経済・政治がテーマであり、より細分しますと、経済では「働き方改革」、外国人問題では、「在日コリアンを中心とした外国人の生活のあり方や日本への提言」「建設業界をもり立てる」などに分かれます。
執筆している中で、非難の方が多いのですが、時々褒めていただける方がいるとそれはそれで嬉しく思います。
自分が執筆しているものが5chに転載されている時、一通り、意見を見るのですが、政治や在日コリアンの内容では辛辣な意見が並びます。
こういう時は結構神経的に参ることがあります。記名で執筆しているライターの宿命みたいなものでしょう。
ただ、それでも結構翌日には忘れていて、また別の原稿に取りかかっています。
今川氏真再評価 これも生き方の一つ
最近、戦国武将の1人である今川氏真について執筆しました。戦国大名としては完全に「負け組」かも知れませんが、生き方としては悪くないなと思っていて、私は再評価すべき1人だとこの原稿のなかで指摘しました。
一方、私に対しては、「社会的に見れば働き盛りなのだから、フルタイムに時間を使って社会に貢献すべき」と言う話もあるかも知れませんが、いろいろと諸般の事情で第一線を退くことに決めたのが去年の今ごろです。
サラリーマン、社会人的に見れば完全に「負け組」なのでしょう。
実は私は妻はいますが、子どもはいません。クルマや家のローンもなく、大きな負担がないので、アーリーリタイアを決めました。
前職では、70~75歳までバリバリに現役で働く方もおり、私にはとてもできないことだと考えていました。
体力的にも無理ですし、それにちょっときついと感じたのは、仕事は山ほど多くある反面、部長と言いつつも権限が全くない上で、働くというのは神経的にやや参るところもありました。
そこで、今川氏真の話ですが、政治の世界から離れ、文化人として生きていくことになりますが、和歌を詠んだり、文化人との交流を楽しみ悪くない人生であったと思います。
そこまで至る経緯は、エキサイトニュースに書きましたが、多分このような生き方の方が私には合っているのでしょう。
戦国武将と言えば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などが有名ですが、私はこういう華々しい生き方は、とても無理で、そもそものし上がるとか出世したいとかあまりそういう発想もありません。
あるいは社内での権謀術数や政治に長けているわけでもありません。
それに長けている人はそれはそれですごいと思います。
ただいい年をして、「フリーター」なのか「フリーライター」なのかよくわからない仕事をして、組織に属さない人間に対して、世間の目は厳しい面もありつつも、
「自分としてはこういう生き方が向いている」と納得すれば問題はありません。
また、いろいろと世間の人が言ったとしても、自分にとって近しい人が理解してくれればこれまた問題はありません。
「負け組」「勝ち組」という評価にこだわらず、飄々として、生きていくというのも一つのありようです。
そのことについて今川氏真の生き方も参考になると思います。
今川氏は戦国武将としては滅びましたが、幕府の中で旗本として取り立てられ、高家という幕府と公家の連絡役に取り立てられ、明治維新も乗り切り、直系の子孫は断絶しましたが、今川氏の分家は今でも健在であります。
ブログをはじめて六ヶ月たちました
はてなブログからブログ六ヶ月開設して六ヶ月が経ちましたというメールが届きました。時が経つのは早いなと感じました。
飽きっぽい私にとってはこのブログはそこそこ続いた方です。
実際、このブログは実務で役に立つとか、お金儲けになるとか、将来の気づきになるとかそういう大きな理念を打ち立てて執筆していません。
自分が肩の凝らない程度に思うまま、書いていますから、たいして勉強にはならないブログです。
一ヶ月くらいブログを執筆しない日々が続きましたが、また再開しました。
はじめはこのブログで執筆してライターとして宣伝になるかなと思い、始めましたが、まったく宣伝にはつながりません。
1年間、ライターとしてさまざまなメディアに執筆して感想はどうかと聞かれますと、
「楽しいね」と思う一方、
「なんで私こんなに原稿書いているんだろう」と不思議な感覚になります。
実は昨月末に日光と鬼怒川温泉で休みましたが、その後、休日らしい休日はなく、1日なんかの作業はしています。
今月は本当に何もしない完全休養の日はありませんでした。
ただあまりに作業しすぎるとしんどいので、一つ大きな作業が完了すると昼寝して、また書いていると言うことの繰り返しです。
昼寝はすごく気持ちが良いです。起きているのか寝ているのか区別が付かない感覚というか、異世界で別のことをしている夢を見るときもありますし、あるときは、前の仕事をしている自分がいます。
起きた時は眠気が残る一方、顔を洗うとさっぱりします。
もうすぐ来月を迎えますがおかげさまで仕事はそこそこあり、来月も完全休養の日はなさそうです。
ただライターとして、正月をどう迎えるかといいますと大掃除は別ですが、基本やはり執筆することが多いですから正月らしい正月はなさそうです。