「総会屋長井」
昔、城山三郎の小説に『総会屋錦城』というのがありまして、株主総会のウラで暗躍し、ある時は企業の味方になり、株主総会の議事進行をスムーズに進め、別の時では敵方になり、総会進行の邪魔をするという総会屋の生態を描いた小説です。
まあ、企業からお金をもらうということでは共通しています。
ただし、企業にとっても便利な存在で株主総会をスムーズに進めるためには総会屋が必要だった面もあり、各社の総務担当は重宝していました。
今となっては総会屋というのはほとんど商法の改正でほとんど滅び去り、総会屋で食べていくことは難しいでしょう。
時々一般紙で総会屋のインタビューが掲載されていますが、生活には困っているようです。
そこで総会屋が次にはじめた商売が出版会社で情報誌を発行し企業のウラの内部を調べ、その企業に情報誌をまとめて買い取ってもらう商売をしましたが、こちらも今はコンプライアンスの問題もあり、この手の情報雑誌もほとんど滅び去りました。
今さら、このような総会屋や情報誌をはじめるわけではないのですが、私は前職の関係でゼネコン関係の株をいくつか持っています。
私のようなフリーのライターは普通、株主総会にはなかなか入れませんが、株主としてであれば、入れます。そこで質問し、取材したら面白い記事が書けるのではないかと思っています。
まあ、株主総会は6月に行なうことが多いのでまだ先なのですが、どこに出席し、どこで取材しようかと楽しみにしています。
迫真の記事が書けるかシャンシャン総会の実態をどこまで追えるかわかりませんが、株主総会記事を執筆したいと思います。
個人事業主のあり方 集中と選択
今回、企業系ライティングのプロジェクトに参画し、そして撤退したことに自身大きな反省点があります。
企画会社を通して企業から委託されていたライティングをこの1年間何回か行ないましたが、いずれも実のある成果が得られず、金額的のメリットは少なかったです。その反面、労力は多かったです。
今回、色々と企業ライティングと企画会社と打ち合わせをしましたが、失望することは多く、先方が論点がまとまっていない仕様書をもとに、ライティングを要請されたこと、2点目は労力と比較して請負金額が安すぎることでした。
これは別に、この企画会社だけではなく、別の会社も同様でした。
さらに一切、打ち合わせもなく、書類を投げられて「あとはこれでよろしく」という姿勢の企画会社とパートナーを組むことはやはり難しいと感じました。
そこで今回を機会に、企画会社を通した企業系ライティングからすべて撤退することとしました。
この2日間、企画会社との電話やメールでの話し合いと打ち合わせに労力を費やしましたがすべて徒労に終わりました。
そこでではなにをやるかといいますと、建設・経済・政治系webニュースライティングの深化。
強みはやはりwebニュースですので、その幅を広げつつ、深化していく方針をより強めるべきだと総括しました。
もう一つは、人事・不動産関係雑誌から時々依頼がありますのでその依頼にしっかりと応えていくこと。
3点目は、社史編纂です。社史編纂は通年かけて行ないますが、今、ノウハウも吸収しつつあり、得意分野を活かしていくことが、個人事業主として生き残る道かなと考えます。
ライターをスタートした時はなんでも請けるという姿勢でしたが、このやり方では方向性を見失いますし、ライター・長井としての得意分野を必ずしも生かし切れないことが分りました。
ライターもやはり個別の差別化が必要であり、差別化を拡大するのではなく、深化する方向で進んでいきたいと思います。
ですから、「捨てる業務は捨てる」「深化すべき仕事はより深化する」という方向で進んでいきたいと思います。
しかし、この「捨てる業務」を決定することは結構勇気があり、他のライターがうまくいっていればなおさらでしょう。
「ランチャスター戦略」の基本的な考え方ですが、こういう方向で進んでいきたいと思います。
原稿料が安すぎる企画会社について
私は今の企画会社の受注方法については分りません。
しかし、1年前は私は発注する立場でしたのである程度は理解しているつもりです。
ところで企画会社は、人材をすべて抱えるのはコストがかかりますから、原稿、絵、プログラム、ホームページの設計などすべて外注するところもあります。
企画会社の中には、「ウチは安くていいものを仕上げますから」をうたい文句にし、実際それで成功しているところもあります。当然その企画会社はダンピング受注しますから、外注費も極端に抑えます。あるいは外注を単なるコストと見なし、なるべく安いところに委託する企画会社も少なくありません。
しかし、かつてそのやり方で成功していた会社が今なぜ、漂流しているのか実体験を踏まえて説明したいと思います。
原稿料などのクリエイターに支払うお金が安い企画会社が存在する理由は二つあります。
①とりあえず目先のお金が欲しいからダンピング受注をして、原稿料を払うお金が無い
②会社の儲けをより大きくしたいため、原稿料をなるべく削減したい
想像できるとしたら、この2点です。
実際、それでなんとか運用できたプロジェクトもあったと思います。たまたま、食い詰めていたライターがいて目先のお金が欲しいために受注したことが成功体験になり、「ライターに払うお金はこれが固定だ」という考えが会社全体に浸透したことです。
しかし、これはライターに限らずクリエイターの仕事全般に言えることで、その金額では当然、食べられませんから、転職するか別の企画会社に営業をかけ、金額をアップする仕事にジョブチェンジしていくわけです。
そのライターに、「この仕事もよろしく」と頼んでも、ライターは別の実入りのいい仕事を優先しますので、丁重に、「大変申し訳ないです。今忙しいです」と断ることになります。
では、「原稿料をアップすれば解決するのでは?」と疑問を持つ方もいますでしょうが、企画会社は一度、コストを下げることに成功すると、いくら景気が良くてもコストを上げることについては抵抗があるのです。
その苦労は末端の企画会社の正社員に行くことになります。当然、その方はなんとしてもライター、ホームページ設計者を確保しなければなりませんから、あちらこちらに声をかけますが、忙しくなくても金額が安ければ、「申し訳ない。今、いろいろありまして」と断られるのです。
ただ、今ランサーズやクラウドワークスなど安価に頼めるところも多いです。実際、主婦の方のライターも多く安く請けるのですが、専門性のある分野はとても無理です。
これは主婦の方を馬鹿にしているのではなく、長く業界に勤務し、業務に精通していれば、そのライティングは可能かも知れませんが、「これから勉強します」という方にとっては、この分野のオリジナル記事を執筆するのは難しいのです。
私は今回の案件について、確かにかつて勤務した業界なので私に仕事の依頼が来たと考えていますが、オリジナル記事を執筆するには安すぎる金額でした。
コピペして、執筆するのであればこの金額で十分ですが、法規や技術も勉強しつつ、易しい表現でまとめるにはまったく割に合わなかったです。
ですので、企画会社に「せめてこのくらいの金額はもらわないとね」と強気に値段の再提示を要請しました。クライアントに聞いて見ると言うことでしたが断られました。
冒頭に申し上げました、「ライターに支払う金額はここまで」と固定しているのでしょう。
私は率直にその担当者の方に、「このライティングがこの金額で妥当だとお考えでしょうか」とぶつけました。その担当者から返ってきたのは沈黙です。
恐らく、担当者自身も妥当だと考えていないのでしょう。しかし、会社全体がこの方向で進んでいる中、自分1人で変えられないジレンマもあると想像しています。
ただ、そうなるとこうした企画会社とクリエイターとのおつきあいは極めて刹那的になります。
安いライター、絵師、ホームページの設計のクリエイターを求めてネットを放浪するということになり、長期的なスパンでの戦略は立てられず、このプロジェクトを安く仕上げることだけに全力を尽くすことになります。
担当者にとってはかなりの神経的な消耗を強いられます。場合によってはノイローゼになるかも知れません。
実はこの担当者の方と打ち合わせをしたのは夜の9時半でしたが、この時間帯までの働き方であれば、私であれば普通に持ちません。
「大変」だなと同情はしました。
しかし、ある程度、オリジナルを執筆できるライターをお金で囲えば仕事はずいぶん楽になり、「今回これでヨロ(よろしく)」と言えば「なるはや(なるべく早く)で仕上げますよ」という問答で済みますから、意思決定のスピード感がまったく異なります、
さらにクライアントにも迷惑をかけなくても済みます。
恐らく、デフレ時代であれば、このコストダウン戦略は成功していたかも知れません。
現在は、安い反面、専門性の高い記事執筆に対しては、断ることが多くなり、プロジェクト全体の遂行に関わってきます。
その一方、安くて専門性がない記事であれば請ける方はいます。
問題はこの企画会社がその誤りに気がつくかどうかです。過ちがわかればすぐ修正すべきです。それは会社の存続にかかわる大きな分水嶺になっています。
成功体験は確かに人や会社も成長させ、やりがいを生み出します。しかし、賞味期限の切れた成功体験は足かせにもなる危険な要素をはらんでいます。
実は人間は、メンツもあり誤りを認めることはかなり難しいです。
会社の社長であればなおさらです。
しかし、誤りを修正しなければ状況はますます悪化します。
結論を申しますと、この企画会社に対してのあり方については、一定の金額を払い、外注する方を徹底的に囲うことと外注者が逃げないようにコミュニケーションを密接にすることを提案いたします。
今のような刹那的な外注者とのつきあいでは現場に混乱を来たすだけです。
しかし、私にも今回の1件で分りましたが、自身にも大きな誤りがありました。次のコラムではそのことについて書きたいと思います。
嫌な仕事の撤退は早いほうがいいです。
1回断った仕事に再度依頼が来て一度は受注し、今週は忙しくなると思いましたが、結論から申しますとこの仕事は断りました。
理由はまず技術的なこと。
仕事を行なうための仕様書が届いていなかったので、待っていました。そして、遅れて届いた仕様書を拝見しましたが、技術的なことが網羅されていて、どれが重要なのか、分らなかったので頭を抱えました。
本来であれば、打ち合わせが必要な案件でありますが、この仕様書で執筆して欲しいというのは無理がありました。
その業務に精通されている方に話を聞き、かみ砕いて表現するのが私の仕事なのですが、この仕様書ではいかんともしようがないと思いました。
それでも何回か夜遅くチャレンジしようとしましたが、仕様書を繰り返し見ても、ポイントがつかめませんでした。
実はこの仕様書はお客様に提出するのであれば完璧です。
というのはお客様の要望を聞けば聞くほどさまざまなキーワードの羅列になります。
しかし、そうなるとポイントが薄れてきて何を書いて何を書かないかが分らなくなるのです。
このような仕様書は日本ではよくあることでライティング向けでなくとも同様です。
残念ですがこのような仕様書はライターからすれば使いものになりません。
すべての要望を取りようとするから大変なのです。
細かく要望を取り入れ、それをプラン化する企画はほとんど役に立ちません。
余分な要望や項目を捨てる勇気が必要なのです。
たとえば原稿で2,000字~3,000字の内容ですべての情報を取り入れることは不可能です。
率直に申しますと、この仕様書を書かれた方は「網羅思考」のワナにはまっているのです。
論点を考え出すとそれこそ100~200も出できます。それを1つ1つ、執筆するなど不可能ですし、論点を整理し、重要な点を5点にくらいに絞るのがよりよい仕様書だと考えます。
実は企画会社の仕様書は前職でも読んだ経験が多くありますが、このような仕様書が多かったのも事実。
会社全体の要望を取り入れるとどうもこのような仕様書になってしまうようです。
そのため、クライアントからすればすべての要望が取れ入れられたから満足しますが、それを実現化することなど不可能なのです。
技術的なことはこんな感じでしたが、「この仕事は無理」と思えば撤退戦は迅速にした方がいいです。
企画会社が何を言っても一切、聞く耳を持たず、頑なに撤退する態度が必要です。
こちらからすれば付き合えば時間の無駄になりますので早めに逃げましょう。
実はフリーランスにはサラリーマンと同様、「割の合わない仕事」を「極端な安価」で行なわせる方が待ち構えています。
それは決して悪意からでもなく予算がないなどさまざまな理由があるのですが、安い仕事ほど甘言を弄する方がおります。
その甘言に一切、耳を貸さず、撤退する勇気が必要です。
明日はお金の話です。
明日から1週間ブログをお休みします
明日から1週間忙しくなります。
本来であれば今月は少し楽に仕事をする予定でしたが、スポット的な仕事も入ってしまい、今は嵐の前の静けさです。
とある編集プロダクションから依頼で一度は断ったものの、再度連絡が連絡がはいり、「是非お願いしたい」とのことで角が立つので引き受けたのですが、締め切りはかなり乱暴な設定でした。
本来であれば余裕を見て設定するはずの納期なのですが、私から見てもかなり厳しいものでした。来週は記者会見もあり、即日入稿の必要もあり、正直しんどいと思いました。
それに企業系ライターの仕事は第一稿で終わりません。第二、第三と修正要望もありますので、担当者がOKを出しても役員がノーを出すとひっくり変えるのです。
そうすると再度やり直しが来ることは分っていますので、ものすごく手間がかかります。
ですから本来は、原稿料もそれなりに上乗せして欲しいと考えていますが、なかなかそれも難しいです。
そうなると夜遅くまで場合によっては朝から深夜までぶっ通しでライティングをすることになりますが、引き受けたからには責任を持って納期遵守で仕事をするのは社会人のつとめとして考えています。
それが1日2日くらいならなんとかなりますが1週間となりますと、この年ですとやはり厳しいです。
私は締め切りを破るというのは率直に言いますと自分が許せないので、なんとしても仕事を全うする気持ちではいます。それは別に威張ることではなく社会人として当然のことだと考えています。
それはフリーランスだとしても甘えは許されません。
ただ思うことは前職での悪行がたたったのかなと思うこともあります。
私の前職の仕事はプロパガンダの仕事でしたが、社長の指示の元、チラシなども作成していたのですが、社長はせっかちな方なので「急げ、安く、品質は落とすな」の指示を下していました。
私は印刷所に、「こんな無理な仕事は申し訳なく思うが、社長の指示なのでどうか許して欲しい」というのが常でした。
今思えば、申し訳ない気持ちも多々あるのですが、そういう無理なお願いをしたことが今になって私自身に跳ね返ってきたのかなと考えています。
恐らく、先方の担当者も辛い立場であることは十分想像しているのですが、上からの指示でやむをえずそうしていることなのでしょう。
前職の社長は、「そんなの簡単にできるだろ」という方でした。私は実務をよくわかっていたので、しばしば「この納期では無理ですよ」と進言したのですが、なかなか分ってもらえませんでした。
ライティングにしても印刷にしても適正な納期と金額は必要だと考えていますが、なかなか世間には理解してもらえません。
なので明日から1週間ブログをお休みします。ごくごく楽しみにされている方には申し訳なく思いますがそういうことですのでよろしくお願いします。
記事を執筆するには集中力が必要ですが
ライターの仕事は当然、記事執筆では集中力が必要です。
でも長時間書いていますと、当然、集中力が持続しません。
まあ率直に言いますと飽きますし、眠くなります。
ライティングの仕事を100%全力で行なえばほぼ無理が出てきます。
そのため、一定の遊びというか余裕が必要だと最近、思うことがあります。
70%くらいの力で仕事をするのがちょうどいいです。
前職関連で、知り合いのある社長さんが「ウチは少数精鋭全力投球」というのが口癖でしたが、そこの社員さんがちょっと心配になりました。
毎日、全力で仕事すれば糸が切れるような感覚になるのです。
私自身の仕事で言えば、再来週は少し休むつもりですが、来週乗り切れるかかなり実は不安です。
どう考えてもフルタイムで集中力を使って結構夜遅くまで仕事しないと終わらない分量で締め切りもきついのです。
年齢的にも1週間丸ごと集中して仕事するのは30歳代であれば可能ですが、50歳代を超えれば、さすがに頭が痛くなります。
本音言いますと、
「こんなの終わるわけないじゃん」といいつつも、
「終わらせなければいけない」という現実もあります。
明日の日曜に一日中寝て、月曜日~日曜日までマラソンみたいな仕事が続きます。
その翌週は多分抜け殻のようになっていることは十分想像できます。来週は
大丈夫かな。
一色いろはの口癖の思い出
一時期、流行ったライトノベルに『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』があり、アニメも二期までやりました。
中々面白くすべて一時期完結したと思いましたが、作者が今最終章を執筆しているところです。
その中の登場人物に「一色いろは」が登場しますが、その女性の口癖は、「無理です。お断りします」を主人公になげかけることが多く、この言葉が結構、私は好きでした。
話の本筋は、一色いろはの口癖ではなく、私の仕事なのですが9月から10月にかけて、選挙もありましたので、本当に忙しかったです。
その節に、ある編集プロダクションから仕事が舞い込み、その際、「仕事が忙しいので、今は対応するのは無理です」とお断りしました。
実は、今でも取材した内容を記事にしていない原稿が多く、早く執筆しなければならないと焦っていて今はあんまり取材を入れていません。
その中でちょこちょことこれとあれとこれをやって欲しいと雑誌からの依頼もあったのでこれは引き受けました。やはり紙媒体で執筆することは嬉しく、こちらは割合に優先順位が高いです。
私の今の本業はwebニュースなのですが、本心としては紙媒体掲載されると嬉しいです。
編集プロダクションの仕事をお断りしたのはライター名が載ることもありませんし、金額的にもどうかと思ったことと仕事が忙しいからです。
ライター名が載らないとあんまりやる気がないのです。
その話を忘れた頃に、再度連絡があり、「先方様から是非お願いしたい」との連絡がありました。
この連絡を受けたときにため息をつきました。
話を詳しく聞いてみると、結構な長期の仕事であり、その仕事を請けると好きなwebニュースの仕事が少なくなするという危惧もありましたが、まあ少し世間のために働かなければいけないのかねと思い、結局仕事を請けることにしました。
それに2回も依頼されてお断りすると角も立つだろうなとも思いました。
ただなんと言いいますか、サラリーマン時代にはいろいろと貧乏くじを引いてきたことが多かったです。
引いてきたと言うよりも押しつけられていたことというのが表現としては正しいかも知れません。
押しが強い人間がうらやましく思いますし、一色いろはのように「無理です。お断りします」とキッパリ言える人間になりたいと思うこともありますが、どうやら無理のようです。
フリーランサーになったら性格が変るかと少しは考えましたが、やはりサラリーマン時代の性格が色濃くいまでも反映されています。