ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

ニコチン中毒は「病気」であり、中毒者は「患者」であると受け止めて

喫煙を始めたのは大学時代で筒井康隆氏の『最後の喫煙者』を読んだのもほぼ同時期でした。

当時、私はこの小説を読んで一笑に付していました。というのもこれだけ喫煙者がおり、吸えない場所が当時ほとんどなく、また未成年者がタバコを吸うシーンが少年マンガで堂々と描かれる日本で、喫煙者への弾圧というのはそう酷くならないのではと楽観視していました。

しかし、社会人になってから次々と禁煙場所が設けられ、逆に喫煙場所の指定があるものの、タバコが吸える場所が限られ、5chを見ていると喫煙者に対する敵意がむき出しのようになっていく中で、東京都受動喫煙防止条例案が可決し、2020年4月施行を受けて、「外ではもうタバコを吸うところがほとんどないからタバコを止めよう」と決断したわけです。

ちなみに、ニコチン中毒者に、家だけで吸えばいいと提起してもムダでして、ニコチンの効果はほぼ1時間で切れます。ですから、家だけでタバコを完結するのは困難でありまして、タバコを吸う人は家でも外でも吸います。

しかも、ニコチン中毒者はタバコが吸えなくなると不機嫌になります。個人が不機嫌だけであれば別に構わないのですが、おとなしい部下、奥様や子どもにあたりちらす人もいて、困った存在です。

ちなみに、国も改正健康増進法案を近く国会で可決しますが、都条例の方が厳しく、都条例案を見たとき、諦めもつきました。

小池百合子都知事個人を嫌う人もいますが、東京都受動喫煙防止条例について限定すれば、公平に見れば賛成の声が高く、「よくやった」という意見が多いようです。

これからほかの道府県でも都条例と同等な条例が可決されるでしょう。

大学時代は冗談で、「わたし最後の喫煙者になる」と言っていましたが、意外と早く脱落しました。

最近、この小説を読み返しましたが、30年後の日本をほぼ見通していたところに卓見がありました。

私見ではありますが、喫煙についてはハードルを昭和時代にもっと厳しくし、教育面でも喫煙の害を周知させるべきであったと思います。

大人になってから吸っても良いということではなく、大人になってもタバコは害が多く、吸うことについてはリスクがあると教えるべきであったかもしれません。そのあたり、緩かったのは否めません。

この昭和時代の緩さについては別項で書きます。

これを書いているのは7月12日ですが、ほぼ8日間禁煙していることになります。

禁煙は辛いですが、やむを得ません。

実際、東京五輪をひかえているなかで、喫煙者が多いというのは、健康面と国の威信双方を考えると好ましくないのでしょう。

そこでみなさんには余計なお世話かもしれませんが、これを機会にタバコをやめることを検討してもいいと思います。

2020年4月はまだ先と考えるかもしれませんが、これもあっという間です。その時にいきなりやめても辛いだけです。

「オレが法律だ」という方には何も申しませんが、ニコチン中毒は、自身で依存を解決できない「病気」と言ってもいいのです。そこでニコチン中毒者は、「患者」であると定義しています。

この「病気」は依存度が高く、1人では戦えません。まず、ニコチン中毒者はご自身が「患者」であると認識して欲しいですし、周囲のご協力も必要だと考えています。

奥さんであれば、依存と戦うダンナとともに歩んで欲しいですし、友達であれば、励ますことも必要です。

今回、禁煙でわかったことは、自分自身がニコチン中毒と戦う「患者」であるということです。

そこでブログを書いている中で多くの方から禁煙に対する応援の言葉をいただきました。これは大きな励みになっています。

本当にありがとうございます。