ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

60歳から始める個人事業主~月見草のような人生でも幸せはあります

私は個人事業主に転身しましたら、ブログはやった方がいいと考えています。やはり宣伝になりますし、自身の考え方をアピールすることになりますから、ブログについては推奨しています。

ただ、私個人のブログで時々考えますが、このブログはどういう層の方が読んでいるのか分からないのです。正直、そんなに面白いものではありません。何かの役に立つと言うことでもありませんし、むしろ、読んで損したという人の方が多いかもしれません。

いわば私の独り言に過ぎないブログです。将来、青雲の志をお持ちになり、このブログを参考にしたいという方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながら私はそれほどお役に立てません。

それでも毎日、90人ほどの人が来訪して見に来ていらっしゃるということは大変、嬉しいことでブログを続ける原動力にもなっています。実は結構不思議に思っています。ただし、売れっ子ライターであればもっと多くの方が来訪されるでしょう。残念ながら、私の知名度ではおよそこれが限界です。

こんなことを言うのもなんですが、売れっ子ライターは個性があります。この個性はセンスと言い変えてもいいです。いろいろなライターをTwitterでフォローしていますが、売れっ子ライターは気の利いたことを簡易につぶやきます。

そんな時、「僕はこれは無理だなあ」と思っています。私にはそういう個性がないです。なので私は、ひっそりと野に咲く月見草という役割なのでしょう。

これはサラリーマン時代からそうでした。ひまわりのような役割を果たす人がいる一方、月見草という花で終わるというのも運命なのです。

私は時として運命論者なのですが、そういう役割の星の下で生まれついたものだと思っています。

ちょっと最後は湿っぽくなりましたが、月見草だからといって不幸ではありません。月見草なりの幸せを抱いております。

 

 

60歳から始める個人事業主~高齢化するとライター業務ができなくなる??

ここ最近、60歳以上の編集者と仕事をしていましたが、驚いたことがあります。

「実は、もう原稿が書けないんだ。だからよろしく」

また、別の時に、私が取材をセッテイングして、編集者に取材してとお願いして実現したことがあったのですが、その編集者も高齢化のためか、「実は書けないので、キミが書いて欲しい」と言われ、こちらも驚きました。驚きというかショックに近いです。

理由は、高齢になると文章は書けなくなるのかという単純な疑問です。そしていつか自分も文章が書けなくなる日がやってくるのだろうかという想いがありました。

ただし、瀬戸内寂聴さんのようにかなりお歳を召した作家でも書けるので、単に習慣の問題でしょう。年を取ると文章を書くのはおっくうになるもので、そこで若者に仕事を任せるようになるのですが、そうしますと自然と文章から遠ざかり、書けなくなったのかと推察しています。

ですからなるべく文章執筆を習慣化することが肝要で、あまり人任せにするとスキルが落ちていきます。

私も仕事の一部をクラウドソーシングで委託すれば簡単なのですが、それをやると自力が失われていきます。合理的に考えれば、クラウドソーシングを活用した方が仕事が早くなり、稼げます。

仕事の外注化や部下に委託するのは、サラリーマンであれば別に構わないです。出世し、下に仕事を降ろし、部下を管理監督すれば問題ありません。ただし会社が倒産すればその時、どうするのかという心配事はありますが、当面は何とかなります。

ところが個人事業主であればこれでは食っていけなくなります。

そこで私は、高齢化したサラリーマンでもスキルの研さんは怠るべきではないという考えです。

会社が倒産すれば、個人事業として再出発することもあり得ます。そこで味方になるのはやはりスキルです。今、サラリーマン社会は、OJTに力を入れておりません。会社によりけりですが、学びは自身で行なうべきと言うのがトレンドです。

今、ちょうど働き方改革でサラリーマンにも時間の余裕も生まれていることもあり、学びとスキル向上に力を注ぐときと思います。

スキルの「あるなし」では結構人生に大きく関わってくるものだなと最近感じていることです。

 

 

60歳から始める個人事業主~今は時代の過渡期なのかな?

禁煙シリーズはおおよそ書くことがなくなり、これからいつも書いております「60歳から始める個人事業主」シリーズを再開します。再度、よろしくお願いします。

これからは健康寿命が延び、悠々自適という隠居がなくなり、高齢者もまた「働き続ける時代」が到来し、働き続けるためには自身のスキルを活用する個人事業主が良いのではと提案しています。

ただし、闇雲に若いウチからの個人事業主になることには懐疑的でそれまでサラリーマンとして頑張り、そこで培ったスキルなどを活かしつつ、個人事業主として独立することが望ましいと常々、書いています。

テレワーク、在宅勤務、フリーアドレスなどなど働き方は続々と変化していますが、「働き方改革」の取材をしていますと、時代の節目であると実感しています。

これが10年も経てば、テレワークなどの働き方が当たり前になってくる時代を迎えていくでしょう。そして個人事業主という働き方もまた、同様です。

サラリーマンとして70歳まで働くとなれば、私はあえていいますが、「冗談がきついです」。年収が1/3になり、ボーナスも出ない、社会保険も怪しくなり、満員電車で乗るということがいかにばかばかしいか分かると思います。

私が何故、「60歳から始める個人事業主」を提案しているかと言えば、サラリーマンのメリットや旨味は60歳で失われるからです。それまではそのメリットを享受していくほうが良いでしょう。

今は、60歳後の働き方としては、再雇用が一般的ですが、これからは個人事業の時代だと強調しつつも、今の時代は過渡期なのです。

とはいえ、個人事業として「大商い」をするのはリスクが高すぎます。『終わった人』を読み終えたばかりで、60歳を超えて社長に担がれた主人公ですが、会社が倒産してしまいます。

この『終わった人』は優れた小説ですが、実はモデルがいるのではと思わせるほど人々がイキイキとして描かれています。

それはともかく、60歳以後の個人事業は、「大商い」よりも売り買いをしない「小商い」。「天下国家」よりも「個人や家庭のささやかな幸せ」を追求する方がいいでしょう。

実は大河ドラマの『西郷どん』を見ていて複雑な心境になったのですが、西郷隆盛明治維新を成功させつつも、西南戦争で悲劇的な最後を迎えるよりも、島で楽しく暮らした方がいい人生であったかも知れないと思いました。

実際、前例があり、関ヶ原の戦いで敗れた宇喜多秀家は、その後、八丈島に流されますが、誰よりも長命で84歳まで生き抜き悪くない人生を終えました。

禁煙鬱の憂鬱はかなり克服できました

一時期、禁煙鬱はひどく、布団に丸まっている日々が続きましたがここにきてようやく回復してきました。

何もできなかった日々が続きましたが、禁煙鬱の憂鬱は収束の方向に向かっています。実は、私は禁煙鬱はもっと長く続くと思っていました。2ヶ月くらいはまったく文章が書けなくなるのではと心配していましたが、昨日から憂鬱の感情が収まり、ほぼ前と同じような生活に戻ることができました。

禁煙鬱はいつまで続くか分かりません。人とおかれている環境によって続く人もいれば、おさまる人もいます。

禁煙鬱で辛いときはガムとお茶でごまかしていましたが、これは万能ではありません。

これもひとえにみなさまのお陰です。ありがとうございました。治ってみますと、「ああ辛かった」と思い返しますが、真っ最中の時は大変です。

これから禁煙にチャレンジする方もいらっしゃるでしょうけれど、この禁煙鬱の憂鬱を克服できれば、ほぼ禁煙できます。

この禁煙鬱の憂鬱は、特効薬がありませんから、心療内科に通うか、ご自身で解決するしかありません。

しかも禁煙鬱はいつまで続く分からないのです。私の場合はかなりの短期間でした。これは本当にラッキーだったと思わなければならないでしょう。

正直、個人事業主は禁煙鬱が続くと大変です。その間、文章がほぼ書けなくなり、生活ができなくなるからです。簡単に言えば稼げなくなるのです。また、編集者から、「あの原稿はどうですか」と聞かれてもいつ書けるか分からないので、返事も曖昧になります。

辛かったのは、憂鬱の真っ最中で編集者から急ぎの仕事の依頼があり、取材し、執筆したことでした。何とか終えたのですがこういう時は、憂鬱な脳を無理矢理にフル稼働させますから、楽ではなかったです。

禁煙鬱の時に原稿を書けたのはこの二本だけでしばらくもう原稿が書けなくなるのではと私はとても心配しました。こんな辛い思いをするなら禁煙を止めた方がいいのかとも思ったのも事実です。

とはいえ、妻は何とか私に禁煙してもらいたくて、「半年間収入がなくても、何とかするから、禁煙して」と励ましていました。

これを書いているのは7月14日ですが、ほぼ10日間禁煙しています。タバコの依存というのは身体的依存、これはニコチン中毒です。一方、心理的依存はタバコが習慣になっているため、一仕事を終えた後の一服というものです。

身体的依存はほぼ抜けていますが、心理的依存はまだ残っています。30年間ほぼタバコとともに暮らしてきたわけで、仕事が終わった後の一服はいい休憩になっていました。

心理的依存を解決すれば、禁煙についてはほぼ解決できると思っています。

禁煙生活で規制が緩かった昭和時代と香港旅行を思い出す

昭和時代は思えば規制が緩かったです。私はもちろん、覚醒剤が合法だった時代は生まれていませんが、製薬メーカーが広告を打っていた時代もありました。

今思えば、テレビもかなり規制が緩かった覚えがあります。ホームの下の線路には、タバコの吸い殻が山ほど捨てていたのですが、昭和時代はなんでこれが許されたのだろうかと思い起こします。

実は、これは本当はおかしいのではないかと考えたことはあります。タバコの吸い殻が線路上に捨てられる光景はやはり異様でした。

青春18切符で本当に遠いところまであてのない旅をしていたこともあります。ある田舎の風景を見て、「年を取ったらこんなところで隠居したい」とも思いました。旅に目的があったわけでもないのです。ただ感傷的な気分を味わいたかったのでしょう。

そんな在来線でもタバコが吸えて、旅のお伴はグリコのポッキーではなくマイルドセブンでした。

そういえば、当時、南野陽子さんや菊池桃子さんというアイドルがいて、グリコの宣伝に登場したことを思い出しました。

多分、その宣伝の影響で旅に出ていたのでしょう。

旅に出てすこしガラが悪い路線に入ると中学・高校の生徒たちが堂々とタバコを吸っていました。

タバコについての害悪は本人だけの問題ではなく、副流煙、そして日本全体の町の景観を乱していたことは否定はできません。

大人になったらタバコを嗜むことが一種の文化でした。男性の喫煙率は1966年では、83.7%とのことですが、どう考えても異常でした。2017年の日本人の平均喫煙率は男性が28.2%とのことです。かなり減りましたが、先進国としては高い率です。

昭和時代はタバコが安かったため、タバコ飲みも多かったのでしょうけれど、これだけタバコが高騰し、吸える場所も限られるとなると自然と禁煙する人が増えるのでしょう。

以前、香港・マカオの旅に妻と行った際、コンビニでマイルドセブンを求めたのですが、値段が高くてびっくりしました。中国本土は値段はマチマチです。

香港は、外ではタバコOKですが、室内では厳しいです。ただしタバコの値段が高いためか、香港人がタバコを吸う光景はあまり見ていません。

妻とも話しましたが、香港はタバコが高いため、香港人はタバコを吸わないのではと仮説を立てたことがあります。

中国本土は安いタバコもあるのでそこそこ吸う人もおり、タバコの価格がある程度、喫煙率を決める可能性があると考えています。

私は日本のタバコの価格はほかの先進国と比べて安いと考えています。欧州並みとは言わなくても、香港の800円くらいという価格設定により、相当、喫煙率は下がるのではないでしょうか。

 

ニコチン中毒は「病気」であり、中毒者は「患者」であると受け止めて

喫煙を始めたのは大学時代で筒井康隆氏の『最後の喫煙者』を読んだのもほぼ同時期でした。

当時、私はこの小説を読んで一笑に付していました。というのもこれだけ喫煙者がおり、吸えない場所が当時ほとんどなく、また未成年者がタバコを吸うシーンが少年マンガで堂々と描かれる日本で、喫煙者への弾圧というのはそう酷くならないのではと楽観視していました。

しかし、社会人になってから次々と禁煙場所が設けられ、逆に喫煙場所の指定があるものの、タバコが吸える場所が限られ、5chを見ていると喫煙者に対する敵意がむき出しのようになっていく中で、東京都受動喫煙防止条例案が可決し、2020年4月施行を受けて、「外ではもうタバコを吸うところがほとんどないからタバコを止めよう」と決断したわけです。

ちなみに、ニコチン中毒者に、家だけで吸えばいいと提起してもムダでして、ニコチンの効果はほぼ1時間で切れます。ですから、家だけでタバコを完結するのは困難でありまして、タバコを吸う人は家でも外でも吸います。

しかも、ニコチン中毒者はタバコが吸えなくなると不機嫌になります。個人が不機嫌だけであれば別に構わないのですが、おとなしい部下、奥様や子どもにあたりちらす人もいて、困った存在です。

ちなみに、国も改正健康増進法案を近く国会で可決しますが、都条例の方が厳しく、都条例案を見たとき、諦めもつきました。

小池百合子都知事個人を嫌う人もいますが、東京都受動喫煙防止条例について限定すれば、公平に見れば賛成の声が高く、「よくやった」という意見が多いようです。

これからほかの道府県でも都条例と同等な条例が可決されるでしょう。

大学時代は冗談で、「わたし最後の喫煙者になる」と言っていましたが、意外と早く脱落しました。

最近、この小説を読み返しましたが、30年後の日本をほぼ見通していたところに卓見がありました。

私見ではありますが、喫煙についてはハードルを昭和時代にもっと厳しくし、教育面でも喫煙の害を周知させるべきであったと思います。

大人になってから吸っても良いということではなく、大人になってもタバコは害が多く、吸うことについてはリスクがあると教えるべきであったかもしれません。そのあたり、緩かったのは否めません。

この昭和時代の緩さについては別項で書きます。

これを書いているのは7月12日ですが、ほぼ8日間禁煙していることになります。

禁煙は辛いですが、やむを得ません。

実際、東京五輪をひかえているなかで、喫煙者が多いというのは、健康面と国の威信双方を考えると好ましくないのでしょう。

そこでみなさんには余計なお世話かもしれませんが、これを機会にタバコをやめることを検討してもいいと思います。

2020年4月はまだ先と考えるかもしれませんが、これもあっという間です。その時にいきなりやめても辛いだけです。

「オレが法律だ」という方には何も申しませんが、ニコチン中毒は、自身で依存を解決できない「病気」と言ってもいいのです。そこでニコチン中毒者は、「患者」であると定義しています。

この「病気」は依存度が高く、1人では戦えません。まず、ニコチン中毒者はご自身が「患者」であると認識して欲しいですし、周囲のご協力も必要だと考えています。

奥さんであれば、依存と戦うダンナとともに歩んで欲しいですし、友達であれば、励ますことも必要です。

今回、禁煙でわかったことは、自分自身がニコチン中毒と戦う「患者」であるということです。

そこでブログを書いている中で多くの方から禁煙に対する応援の言葉をいただきました。これは大きな励みになっています。

本当にありがとうございます。

 

禁煙鬱はいつかは克服できます

禁煙鬱で丸四日間布団にくるまっていましたが、ようやく5日目から布団から出て、ブログも書けるようになりました。電話取材もし、執筆もしている時も辛いですが、なんとかなっています。

個人事業主なのであんまり甘えることができないのです。

禁煙鬱が辛いのは分かります。辛ければ、心療内科に相談するのもいいですし、「もう辛い」と弱音を吐いてもいいと思います。私は10日には散歩に出て、ようやく昼間の太陽も浴びましたが、これは効果があります。

実はブログで辛いと率直に書くのも効果があるのです。

また、なるべく太陽を浴びて散歩するのがいいでしょう。禁煙鬱の辛さは永遠に続きません。ある日、突然収まります。

辛いからタバコを吸うというお気持ちも理解できます。しかし、その一本がこれまで頑張ってきた禁煙の努力が無駄になってしまうのです。どうか我慢して下さい。

また、「オレはこれからもタバコを吸い続ける」と胸を張る人もおりますが、ですが待って欲しいことは、そもそも吸う場所がこれから自宅以外にあるのでしょうか。

1980年代は、在来線の電車でもホームで吸って下の線路に捨てました。大学の教室でもOKです。会社の中でも各人の机に灰皿がありました。職員室で高校生のタバコを注意する先生がタバコを吸っていました。深夜映画館でもタバコが吸えました。吸おうと思えばどこでもタバコを吸えたのが昭和の常識ですが、平成では非常識です。

今は旅行先のホテルや旅館でも禁煙化が進んでいます。私はあえていいますが、タバコは薬物だと思います。ニコチン中毒をここまで進行させるものが、「愛煙家」という言葉でごまかしていいものかどうか。

そんな私でも、禁煙中の時、寂しさを感じます。タバコが気分転換になっていたのも事実で、一つの作業が完了したら、一服というのはいい感じの休憩タイムでした。

一つの原稿が終わると頑張った私にタバコ一服というのは悪くありません。とはいうものの、タバコという薬物との決別を果たすことが私にとっては必要なのでしょう。

私の禁煙生活ももうひと頑張りです。