フリーライターの休日。オンとオフをしっかりと分けよう
フリーライターはいつ休むかと言えば個人の裁量による。逆に土曜日、日曜日は記事執筆が捗る。なるべくなら、休みたくないというのが本音。
一番の仕事の稼ぎ時だ。土日にはそれぞれ一本ずつ記事をあげる。
一本記事書いたら、このはじめたばかりのブログをどんどん更新していく。更新しないと宣伝にならない。フリーライターはアピールすることが大事だ。
いつ休むかと言えば家族サービスの時だ。ワイフがあそこいきたい、ここ行きたいという希望があれば、なるべくそれを優先して外出して遊びに行く。例えば、鬼怒川温泉に行きたいとワイフが言えば、取材日を外して行くことになるだろう。
そういう時は綺麗さっぱり仕事のことを忘れる。昔、歌手の南野陽子さんが「グリコのポッキー」の宣伝で、「本日はオフであります。そうとしておいてください」というセリフがあったが、オフの時はオフ。オンの時オンとしっかりと分けることが大事。
ただし資料写真で使えることがあれば、どんどん写真撮影すべき。これは何に使うか分らないがいつかは使えるモノもあるからだ。
こうして見るとフリーライターは土日が一番稼働日が多いかも知れない。ウェブ系の原稿は単価が安いので記事を書かなければいけない。こうしてみるとフリーライターの休日はあるといえばある、ないといえばとも言えるかな。
自動車整備士がいなくなる。奴隷のような待遇でパワハラも多発
これまで建設業界の人材枯渇は話題にしてきたが、自動車整備業界も内実は大変らしい。なんとなく、建設業界の高齢化に伴う人材枯渇よりマシだと思っていたが、ねとらぼが取材した現役自動車整備士の話を聞くとこのままでは整備する人がいなくなることが現実味を帯びてきている。
いわゆるブラックな業界は一定数あり、建設、IT、トラック物流、タクシーは給料が安く、怒鳴って言うことを聞かせるいわゆるパワハラ系業界も多いのも現実。
さらには、社会保険も加入していない業者も多く、先行きがないと若者から思われても仕方がないかも知れない。
本来、業界で処遇改善の底上げをすべきなのだが、そういう努力を長年怠ってきた。記事を見ると自動車整備業界も同じ構図なのだろう。
ただ、自業自得と言うのは簡単だが、自動車を整備する人がいなくなれ事故も多発し、結果的に我々に跳ね返ってくる。
整理すると給料が安い、残業が多い、パワハラが多いというのであれば中々若者にとって選ばれにくい職種だと思う。
今は確かに現役の自動車整備士がいるからしばらくの間はなんとかなる。しかし、自動車整備士が不足する時代は遠からずやってくる。今から対策を打つべきだ。
どのような業界にも言えることだが、これからは若者から愛される業界でなければ未来はない。別の言い方をすれば、若者から選択される業界に再生する必要がある。
高齢者や中年の自動車整備士が、若者の自動車整備士に怒鳴り散らし、パワハラを続ければ、その若者は、「ここの業界はブラックだ。次行こう」と言われるだろう。
そして実際、次もある。今度は、高齢者や中年の自動車整備士は、「近頃の若い者は根性がない」というのであれば自分で自分の首を絞めているのと同じだ。
氷河期時代やリーマン・ショックの時代であれば代わりはいくらでもいただろう。今はそういう時代でないことをしっかりと認識すべきだ。
若者に率先して技術や技能を丁寧に伝承し、一人前になったら自分のポストを委譲し、あとは、後見人として、その若者を守る体制にしていくべきだ。
ところが現実は自分の居場所を守ることに必死になり、パワハラを繰り返す高齢者や中年が多いのも事実だ。
この体制を替えなければ、どのような業界であれ、未来など存在しない。
新大久保で今話題の韓国チキンを食べた
今、韓国は、中間層が崩壊している。そこで目につけたのが韓国のチキン屋を開業するビジネスで、ソウルではあちこちにある。
以前、テレビで見たが韓国財閥企業に勤務していた人々が一攫千金を求めてチキン屋をはじめている。中々韓国で暮らすのも大変なようで、私のようなのんびり暮らすライフスタイルには合わないなと感じた。
ただこのチキンそのものは旨そうだと思い、日本で食べられるところはないかと検索したところ、新大久保にあった。
元々韓国人は鶏肉が好きで韓国人にマッチした「おふくろの味」と謳っている。
それがこれだ。
食べてみて公平な感想を言えば量が多い。何人かで来ないととても食べきれるものではない。私はワイフとふたりで食べたが食べきれず持ち帰りにした。
ただ、日本人には味が濃すぎる。最初の一口二口はいけるのだが、だんだんと飽きてくるのが本音のところで、韓国料理は嫌いではないが、味が濃すぎるから日本人に受け入れられないのではと思った。
タネを明かすと日本人にはケンタッキーフライドチキンの方が合うと思う。
それでもこの韓国チキンは韓国では盛況で若者がよく食べに行く。日本人のおっさんの私から見ればよくこんな濃い味が食べられるなーという感想があるが、この韓国チキン屋のビジネスはいつまで続くだろうかとも思った。
中年ニート120万人に。全体のニートは177万人
OECDのニートの定義は「働いておらず、教育や職業訓練を受けていない15~29歳の男女」というもの。それに対して日本ではニートを「15~34歳の非労働力人口のうち家事も通学もしていない男女」(厚生労働省)としている。
先進国特有の病気だ。
OECDは30歳、日本は35歳を超えると「ニート」には含まれなくなる。統計に表れるニート(15~34歳)は57万人。ニートが高齢化し、中年ニートとあわせると177万人。
ところで現役の時に働いていたときに、こうしたニートの人たちを建設業界に働かせればいいという意見もあったが、私は、「本人も望んでいないので無理でしょう」と答えた。
ライターをやっている私も傍目から見ればニートかも知れないと思うことがある。何しろ、つい最近まで朝、出勤して、夜遅くになると帰宅するライフスタイルだったが、今は取材するときに外出するか、近くのコンビニでコーヒーを飲む一息するというスタイルが身についた。
近所からは、「あのおっさん、朝出勤もしていないで何しているのだろう」と思われているかも知れない。
私の場合は高齢ニートと呼ばれるものか。ところでニートの人々は生活に飽きてこないかという疑問もあるが、それでも仕事をしたくないのだから、2ch、ゲームその他今は暇をつぶせるモノが多くある。
夏目漱石の時代には、「高等遊民」という言葉もあるが、これも今で言うニートだろう。ちなみに、この中年ニートの人口は岩手県に匹敵する。
ニートが食べていける事情は様々あるだろう。一番考えられるのは親が面倒を見ているか親の資産を受け継いで働く必要が無くなったなどだ。特に50代で親が亡くなって一定の資産を引き継ぐと、働き続けるか迷い、働きやすい職場であればそのまま続け、働きにくい職場であれば辞めて、なにがしかの別の仕事をしている両方のパターンを知っている。
貴重な労働力だから働かせろという意見についてはニートに合う仕事場が今日本にあるかそもそも疑問だ。そもそも中年ニートは就労支援も受けられない。
本来であれば活躍する場がいくつかあったのだが、それが見つからなかったこともやや気の毒に思う。
そうはいってもニートが増えるとただでさえ人手不足なのに、社会全体が労働人口が不足している中、生活保護の受給など社会保障の増加につながる。
甘えだと言われるかも知れないがニートから復帰してフルタイムの仕事をするのは非常に難しいと想像している。軽いアルバイトの仕事であればその仕事に誘導させるような支援システムが必要だ。
頭の痛い話だが、中年ニートが活躍できる優しい社会をもう少し考えられないかと思うことがある。
日本社会は、こうした中年ニートを自己責任と切り捨ててきた。なんでも自己責任と連呼する社会がいいとは言えないと思う。
中国が北海道を侵略する? ナイナイ単なる原野商法
日本人が外国の土地を買うのはいいが、いざ買われる立場になると騒ぎ出す人が多い。
上記にあるような山林は管理が大変だし、固定資産税もバカにならない。北海道や東北の山林が買われたとしても、開発許可が下りなければ何もできない。この記事のポイントは開発許可について全く触れていないし、危機を煽るだけの記事である。
産経系は、ナショナリズムを煽る記事が好きだが、公平性に欠けていて、あまり読むところもない。
日本では高度成長時代やバブル時代にも流行したが、北海道や東北の原野を都内の小金持ちに売りつける原野商法があった。確かに安いが何もできないことが分かって騙されたと訴え出る事案もあった。
もし、そんな取り越し苦労をするのであれば日本人が買えばいい。日本人だって、北海道や東北の山林の価値がほとんどないから、買わないだけであって、逆に買ってくれればありがたいと思うべきだ。
買ったところでなんにもできないけれどね。水源が取られるというのも妄想で、水利というのは単純なものでもない。
外国人に売ってはならないという法律でもつくるというのも非現実的だ。そんなことをすればアメリカその他のファンドが政治的圧力をかけてくるだろうし、そもそもそんな法律が可決するとも思えない。行政ができることも限られているようだ。
中国人が土地を買ったのは北海道に限らない。買える土地ならどこでも買うだろう。東京、大阪、名古屋などの大都市は言うに及ばず、日本だけではなく世界中に土地を買っている。
北海道の原野はその一コマに過ぎない。まあ、中国ではお金が余っていると言うことですわ。うらやましいことで。その余ったお金を貧乏ライターに回して欲しいものだが。
ただ、ちょっと抜け道があり、東京や大阪などで土地を購入し、法人を設立する。設立した法人でビジネスを行なえば高度人材として認定され、永住権が取りやすい環境にあり、中国では日本の永住権目当てに土地やマンションを購入することが流行っている。
まーこれもあながち問題とも思っていない。基本、法律に基づいて行なっていることであるし、違法行為でもない。むしろ、不動産を購入してくれれば、土地の価格もあがり、いいことずくめだ。
日本の大都市は様々な規制があるが国家戦略特区を活用し、どんどんビジネスしやすい環境に再生する必要があり、規制を緩和する方向に向かうべきと考える。
人手不足に対応できない企業は淘汰されても仕方がない
東京商工リサーチ調査の人手不足倒産数はまだ数としてはそれほど多いと思っていません。これが1,000~2,000社に及べば多いなと印象になりますが、100社程度ならそんなものかなと思っています。
ただ、人手不足は若年層が不足していることから、当分続き、不人気職種である建設や介護はますます厳しくなるでしょう。
建設業は特に高齢化により、この10年間で110万人が大量離職しますが、若年層である29歳以下の層はわずか10%。10年間放置すれば、この業界自体、衰退する可能性があります。
そこで処遇改善については総論賛成ですが各論反対でいざ自分の懐からお金を出すことに躊躇しているのが実態です。
ゼネコンは儲かっていますが、その下の専門工事業界までそのお金が滴り落ちていないのも問題で、口だけは新3K(給料がいい、休暇が取れる、希望の持てる)といいますが、それが実現するのはいつのことだろうかと思います。
私は建設業を例にして挙げましたが、人手不足に対応するにはやはり働き方改革と生産性向上をセットに行なうべきと考えます。
そして働き方改革ができない業界や企業は淘汰されても仕方がないでしょう。実際、若者は、ここは働きにくいな、次行こうと考えるのも当然で、結果、仕事のしやすい業界や業種、職種に人が集中するようになっていきます。
これはフリーランスにも言えることで、フリーランスはサラリーマンよりも自由人で、待遇もそうですが、こっちに面白い仕事があるよとクライアントから誘われると、そっちの仕事に集中する傾向があります。
ですから、これからの企業は人をいかにして囲い込むかその戦略が求められています。囲い込めない企業や業界は、そもそもビジネスモデルが間違っているので、その戦略を変えるときに来ています。
デフレ時代のように、「代わりはいくらでもいるから、大丈夫だ」との戦略では、いつの間にか人がいなくなり、結果、人手不足倒産に追い込まれるのです。
どうすれば、人を囲い込めるか。それが問われています。これからは人材争奪戦です。
この人材争奪戦に敗北した企業が淘汰されます。
韓国民団中央本部副団長の林三鎬(イム・サムホ)氏にインタビュー
今回、韓国民団中央本部副団長の林三鎬(イム・サムホ)氏にインタビューし、その内容の上編がビジネスジャーナルに掲載された。後編は、後日、掲載される予定だ。
長く日韓の懸け橋を行なっている民団について話を聞こうと思ったのは、やはり日韓問題は重要であり、今後とも交際していく中でどのように両国がうまくつきあっていくかそのヒントを得ようと思ったためである。
世の中に日韓は付き合わなければいいという人もいるがそれも現実的ではない。北朝鮮の問題もあるし、経済的な連携も強まっており、さらには観光での往来も盛んになっている。
どうせ付き合うのであれば、うまく付き合った方がいい。そう私は考えている。もちろん、日中韓FTAも行ない、なるべくであれば、貿易も盛んにしていかなければならないと考えている。
そんな中、文在寅氏が大統領に就任されたのをキッカケに、民団にインタビューを申し込んだのだが、実は難しいのではないかなとも思ったが、広報担当者の方は誠実な方でどのようなマスコミであろうともインタビューは断らない姿勢であった。
しかし、対応してくれる人が副団長というクラスでさらに驚いた。
事前に質問状を投げかけているのだがどれも答えるのが難しい質問であった。
林副団長も初対面の時、にこやかに笑いつつ、
「難しい質問ですなあ」と話した。
私はそこをなんとか、という話からインタビューが始まったのだが、林副団長はどの質問に誠実に答えて、この人は懐が広い人だなあという印象が強かった。
私は行政や政治家にもインタビューしたことがあるが、この質問はオフレコでお願いしたいと言われることも多々あった。オフレコの記事は基本書かないが、オフレコなしというのも驚いた。
後半は慰安婦の問題や少女像の問題にも触れるが、その回答も意外なものであった。
日韓問題で難しい局面は今後も続くだろう。そういう中、民団とのパイプができ、話が聞ける環境になったのは私のライター生活で大きな財産である。ライターにとって大切なのは、ライティング能力が第一ではなく、パイプ作りであると考え、この民団でのインタビューは私にとって大きな財産の1つになったと思う。