ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

60歳から始める個人事業主~50過ぎたら勝負事はやめるべきだし人と比較してもしようがない

私はギャンブルはしませんが、若い時は痛い目に遭って、勉強することは反対しません。ちなみに、日本にカジノをつくることは反対です。マカオに行った私たち夫婦は、実はカジノも楽しんでいません。

日本人はパチンコ好きですが、タバコよりもパチンコを取り締まるべきかと提起したいところです。私は医者ではないのですが、パチンコやカジノにしても、勝つと脳みそのドーパミンが、大量に放出すると想像しています。ですから、中毒性が高いのは理解できます。そんなギャンブル好きな日本人にカジノを与えると、ギャンブル中毒患者が増えるだけだろうとみています。

さて50を過ぎて個人事業主をやっていますが、こういう勝負事や出世争い、あるいは他人との比較を一切止めています。基本、今の考えは、「人は人、自分は自分」として淡々と生活しています。

他人と比較したら切りがありませんし、人生下り坂の生活している今、比較すれば当然、見栄も生まれます。その見栄からなにが生まれるかと言えば、何もないでしょう。

私の書いているブログの読者層は分かりませんが、基本的に浪費もしなくなり、出世思考も諦めることになり、成果主義や成長主義の呪縛から解かれていくような気がします。

私は何も成長主義が人間を幸福にするとは思っていないのです。社員同士を競争させればなにがしかの成長は生まれ、会社の売上げや利益を確保しますが、個人の幸せにつながるかというと、それは個人によるでしょう。

たとえば個人が出世すればそれなりに達成感は生まれます。しかし、昇進というのはそうそうあるものではありません。

主任⇒係長⇒課長⇒次長⇒部長

私の場合は、このルートで最後の会社を一応つとめましたが、まあ実はやっている業務内容は、主任時代と部長時代は変わりませんでした。結局、役職にしても名前だけで、部長だから部下がいるかといえばそういうことはありません。実務を進化させることはあってもずっと実務から離れることはありませんでした。

まあ典型的な名ばかり役職でした。

「しょうがないな」と思いつつ、仕事をしていましたが、他の部署と比較しても意味がないので淡々とこなしていました。前職の会社は1人を除いて、すべて名ばかり部長でしたので、勝負にこだわり、人と比較しても意味がないという境地に至りました。

諦めの境地に至ると人生は楽になります。これが大企業であれば、役職定年もあり、中々心の折り合いがつかないかもしれませんが、たいていのことを諦めると楽になります。その後の人生は家庭や家族の充実に力を入れていくと、人生は楽しくなります。