ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

60歳から始める個人事業主~つながりは大事に

私はほかの個人事業主はわかりませんが、フリーライターの最大の財産は、個人的な人脈と考えています。ですので、直接の依頼があれば、会社にうかがい、仕事が立て込んで断る場合であっても礼儀は欠く行為はいたしません。

また、普段からお世話になっている編集者に対しても、急ぎの仕事があれば、同様に仕事が忙しくてもなんとかやり遂げます。

私自身の心情としては、「どこでお世話になるか分からないので人間関係は大切にした方がいい」ということをモットーに丁寧な対応をしています。

個人事業でせっかくできた縁ですから大切にしたいです。今はネットでの依頼も多いですが、それからの人間関係をどうつくるかはフリーライターの腕の見せ所でしょう。私への依頼の多くは、実を言えばほとんどが人間関係によるものです。

50代を過ぎた人間関係は想像以上に貴重です。

逆にサラリーマン時代にできた人間関係は会社を離れるとその名刺はほとんど使えなくなるというのも悲しい話ですが私もその経験があります。

これはサラリーマンは会社と会社とのつきあいですので仕方がないことです。会社を離れると関係性も希薄になるというのは当然のことです。

ところが個人事業で培った人間関係はクライアントが私を指名し、私個人との関係性を持ちたいという希望がありますので、ここがサラリーマン時代と個人事業でのつながりの違いとも言えます。

そういうことを考えると、仕事についてはどのクライアントに対してもまんべんなくこなすやり方が一番いいのかも知れません。

そこで、仕事が偏るのもどうかと思います。とはいえ、建設業界の仕事の依頼がかなり増えてしまい、現在、仕事のボリュームが8割がこの業界なので本当は好ましくありません。しかも、さらに増える予定です。

こうなりますとほかのwebニュースでお世話になっている編集者に対して義理を欠くことになりますので自分ながらいかがなものかと悩んでいるところです。

現段階では仕事のボリュームをこれ以上、増やすことは難しいです。そうなると調整が必要になります。

調整は簡単ではありませんが、人間関係を大切したいと考えている私としては、思案中です。

ところで今のテーマは、「60歳から始める個人事業」ですが、その歳で新しく人間関係を構築するというのは面倒くささを感じる人もいるかも知れません。

その面倒くささを乗り越えることが必要で、私もかなり努力しました。相手は30代の編集者や広報で50代の私が履歴書を携えて売り込む姿を想像して各人がどう感じるかは分かりませんが、「私には無理だなあ」と思うのであれば、個人事業主として独立するのは難しいでしょう。

フリーライターで独立した経験を言えば、まんべんなくつながりを持ちつつ、若い世代の方に敬意を忘れずに接し、何かの折については、「是非よろしくお願いします」という腰の低さが大切で、逆にプライドが高すぎると扱いにくいという評価になります。

ここを乗り越え、何らかのスキルを持っていれば実は独立も成功するのです。

続きます。

60歳から始める個人事業主~世間の目

私は50代で退職しましたが、社会や近所の目というのはほとんど気にしたことがありません。

確かに、朝出勤せず、昼間に背広を着て出かけ、夕方帰宅する姿を見れば奇異に映るかも知れません。

私は近所に対してライターの仕事やっていますとあまり言っていません。妻の仕事関係の人は「ダンナさんは、なんの仕事しているの」と聞きますが、その際、ライターと答えましたが、具体的にはどんな記事を書いているかについてこちらも話していません。

基本、ひっそりと暮らしたいという思いが強く、多分、近所の人も私の記事について目に触れることはほとんどありません。

親族でも私の記事を読んでいるのは姉くらいです。

ひょっとしたら、ニートみたいな生活をしていると勘ぐる人もいるかも知れません。

ただし、50代から個人事業主の仕事をしているなかで、あまり世間の目というのは気にしても仕方ないです。

一般的な世間の目としては確かに朝会社に行き、夜帰宅するのが普通の社会人としてのありようと考える人もいるでしょうが、世間というのは思った以上に、個人事業主にそれほど関心がないものです。

私は50代~60代まで会社に尽くしてきた方にあえていいたいのですが、かなり頑張ったと思います。胸を張っていいことです。

しかし、そろそろ個人や家族の幸福感を追求しても良いのではないでしょうか。いずれサラリーマン人生は終わりを告げる日がやってきますが、どんなサラリーマンでも、「おうちに帰る」日がやってくるのです。

その「おうちに帰る」時に、「お帰り」と言ってくれる家族がいて、個人事業について応援して仕事もそれなりに軌道に乗れば悪くない人生であり、高い幸福感を得ることができるのではないでしょうか。

確かに社会的地位や収入は下落するかもしれませんが、家族の幸福度という観点からすればむしろそちらの方がずっといい人生です。

こちらもいずれ書きますが、自民党も定年のない社会について検討を開始したニュースが流れてきましたが、私も定年という概念がなくなると考えています。

しかし、会社としてもどこまで面倒を見るのかは不透明であり、再雇用についても65歳が限界でそれから先、どう働くかについて問われるのは個人の働き方です。

この項さらに続きます。

 

60歳から始める個人事業主~専門性の強み

私はいろいろと記事を書いていますが、その中で自分が長く働いてきた建設業界の記事が今は圧倒的に多いです。中には建設専門ライターであると勘違いされ、連絡される方もおります。

現在、ライターとしての仕事の8割が建設業界の記事です。紙の媒体、web建設ニュース、さらには新たな建設webの立ち上げなどです。

先日終わった11Pの記事も同じく建設業界でしたがこれのメドが立ちましたらすぐ同じ会社から新たに4Pの依頼が来ました。これはいずれも紙媒体です。

また、建設関係の仕事は立ち上げ時点から上流のコンサル業務を行なうなど、これだけ忙しくなるとは正直想定していなかったのです。

個人事業をスタートしたときは、いろいろな仕事を行なうことを考えていましたが、今は専門性の強い仕事の方に力を入れているというのが実情です。

自分は約30年間、建設業界で働いてきましたがそれなりに水の合う業界だったのでしょう。嫌だったら別の業界で働いていたはずです。

前職は15年間、広報業務をつとめてきましたが、主に機関紙の作成で、関係者にインタビューし、対談原稿を作成していたので、実際今の仕事の延長です。

ただ前職で不満だったのは色々と取材を希望しても、社内で反対意見もあり、自身の中でフラストレーションも溜まっていたのも事実です。

そのフラストレーションを今の仕事でぶつけていることも否めません。今、各社から、「智恵を貸して欲しい」と言われると、こちらも惜しみなく、アイディアを無料提供しますが、編集者からは最終的には「この仕事をお願いしたい」と依頼されることが多いです。

また、同じ会社の編集者の仕事が終わると別の編集者からもお願いされることも増えてきました。

私としても建設業界の依頼は、仕事がよほど忙しくなければ断ることはなく、金額さえ合えば、引き受けることが多いです。建設業界におけるインタビュー記事を執筆するライターは限られていますのでありがたいことにお声がけをいただくことが多いのです。

そうなるとますます建設業界の仕事が増え、仕事の8割を占めたというのはそういうことなのです。

これはどんな個人事業にも言えるのかも知れませんが専門性は一種の強みになります。私の場合は前職で培ってきたスキルがそのまま活用できましたが、ほかのサラリーマンにも汎用性がありつつも専門性が高いスキルがあるはずです。

そういうスキルや人脈はどこへいっても重宝されますし、個人事業主になっても十分活用できると思うのです。

 続きます。

 

 

60歳から始める個人事業~かぼちゃの馬車で思うこと

かぼちゃの馬車がどこまで事案化していくか分かりません。それは新聞やテレビが今後とも報じていくことを追っていこうと思います。

前日、ガイアの夜明けを見ていたときに、被害者であり、かぼちゃの馬車のシェアハウスオーナーが匿名でこんな話をしていました。大手メーカーで50代男性が登場しました。年齢的には私と同世代です。

「老後のことを考え、生活レベルを落とさないためにも、投資をしたというのが本当のところ」

と語っていました。実は、かぼちゃの馬車が狙っていた世代はまさにわれわれ50代で小金を持っている中小企業部長職、大企業課長職以上の男性がターゲットにされていたのです。

こうした投資話に耳を傾け、残ったのは1億円~2億円の借金です。とても返せる金額ではありません。

銀行や運営会社を「悪」と断じることは簡単ですが、私が気になったことは、60歳以降になっても、「生活レベルを落としたくない」との発言でそこには欲も垣間見られました。

かねてから、私は60歳になったら生活をコンパクト化し、一兵卒として働くことが最も老後不安に陥らない生き方と提案してきましたが、やはりシェアハウスのオーナーとしての地位はそれなりに高いことから、このような甘言に乗ってしまったのかなと推察しています。

大手メーカーの50代ですと役職定年でもなければ年収800万円くらいは行くかも知れません。ところがこの後の人生は借金返済か破産の道が待っています。

人生、上り坂下り坂に加えて、まさかの坂が待っているというのは小泉純一郎氏が政治家時代に発言していたのですが、勝ち組と思われていた方にも、まさかの坂が待っていた事例とも言えます。

仮にこの方が年収800万円だとしても定年退職になり、再雇用になると250万円~300万円。本人からすると自己防衛のつもりで投資をしたのかもしれませんが、やはり地道に長く働くことが老後における最適な人生設計であると繰り返し述べたいのです。

加えて、本人からすると、60歳になって一兵卒で働くことについてプライドが許さなかったのかも知れません。そこに銀行や運営会社がつけこんだとも言えますが、つけこまれた側にも問題があったと私は言いたいのです。

「あなたもシェアハウスオーナーになればカネと地位が得られます」

という運営会社の甘言は想像が付きますが、50代にとっては承認欲求を満たす言葉だったのかも知れません。人生の秋を迎える50代は将来に不安を抱えて生きています。

オーナーになれば、一兵卒で働かなくても済むという計算が合ったのかもしれません。ただし世の中そうそう甘い話はなく、このような結末を迎えたわけです。

私はあんまりプライドもなく、若い広報や編集者に頭を下げるのも自然体でかつ一兵卒で働くことにもまったく抵抗のない仕事の仕方をしていましたが、60歳以降はこういう仕事の仕方を受け入れることが大事であり、「いやオレにはプライドがある」という深層心理を持った方につけ込んだ事案とも言えます。

中年はこれから役員に登れば別ですが多くの方は一兵卒になって働くことをいずれ余儀なくされます。つまらないプライドや承認欲求を捨てて、甘い投資話に乗ることのないよう生きていくのが一番いいと思います。

まだまだ続きます。

 

 

60歳から始める個人事業~働き方改革

個人事業主は基本、休日はありません。休日も睡眠もすべて自己の判断です。

5月は普段の倍を稼いだので6月は少し休もうと思っていたのですが仕事の依頼がいろいろとあり、まだそうそう休めなくなりました。

ただ原稿を書きすぎると頭痛もしますのでこういう時は年も年ですから無理をしないことを心がけています。

現在もライティングマシーンのように原稿を書いているにしても、やはり無理をすれば頭痛がします。こういうときは、「明日が締め切りだよ」ではなかったら、休んだ方がいいです。

ほかのフリーランス業はよくわかりませんが、人間書ける分量は決まっていて、それを超えると脳みそに不具合をもたらすのではないかと考えています。

頭の中が整理整頓できなくなった感覚です。パソコンで言うとゴミファイルが溜まっているので最適化する方法を第1に考えた方がいいです。

こういう時にどうするかというと、みなさんは驚かれるかも知れませんが昼間から寝ることにしています。

個人事業の働き方はさまざまありますが、私は毎月の給料が一定数入るような月給方式のような働き方をしています。たとえば30万円稼いだメドがついたら、お休みします。

ところが5月末入稿11本というオーダーになると休むことはできません。ただし、終わった後に一定の期間休まなければ、持続的に仕事を続けるのは無理だとも思います。

たとえば普段30万円を稼いでいる人がたまたま今月大量発注で60万円稼いで、来月も60万円稼げるかと言えばそういう働き方は持続可能ではありません。

若ければ可能であるかも知れませんがそれは集中して頑張ったから可能になったのですが、それを続けることはなかなか難しいです。

個人事業の働き方のポイントのキーワードは、「持続可能かどうか」で判断すべきです。これはサラリーマンでも通用する考え方で、営業目標数値を立てる際、現実的な数字を考えるべきです。

今年度は前期比10%増だから、来期は20%増を目指そうというのはこの低成長時代では現実的ではありません。それを可能にするのは一部の限られた会社であって、多くの企業では達成は困難です。

もう一つの観点は、「生活費はいくらかかるか」もポイントであり、この金額を稼げば十分という数字であれば、個人事業を行なう際にはまったく問題がありません。

さらに続きます。

 

 

60歳から始める個人事業~低姿勢で寛容な精神を

私の仕事は機関紙を作成し、それを発送する業務でしたが、この発送先も多く600部でした。当然、1人でできることではなく、他部署の女性陣に手伝ってもらいました。

その際、各部に低姿勢でお願いしたことは前コラムで書きました。雑談もしつつ、送付作業をするというのもそれなりに楽しく、よく恋バナもしました。

オッサンと女性社員が恋バナするというのはどうなのかと思われるかも知れませんが、既婚者なので適切なアドバイスはしたつもりです。

終わったら缶ジュースを奢ってお疲れ様の一言は忘れませんでした。あの作業は1人では不可能なので手伝ってくれた女性陣にはいまでも深く感謝しています。

私はそれほど能力があるとは考えていませんでした。小さな会社ですし、同情で部長になっただけで本格的に期待されたことではなかったのです。

どこにでもいる風貌の冴えないオッサンでした。

 私の性格の問題ですが、強気に出るとか、威張るとか、煽るとかそういうことがサラリーマン社会ではまったくできなかったのです。ですから多くの方から、「もっと強気でいけ」とアドバイスを受けましたが、それも無理でした。

ですから私はサラリーマン時代から自分のことを偉くもなんともなく、たまたまこのポジションにいるだけと自己評価についてはかなり低かったというのが実情です。

「情けないオッサンだな」「なにこの負け組オッサン」

こういう感想を抱く人もいるかも知れませんが、私はそれは否定しません。ですから元々、低姿勢であったので、個人事業主になっても20代や30代のクライアントに対してもあまり変わるところがなかったのです。

「じゃお前なにやっていたんだ」

という質問もありますが、雨の日も風の日も淡々と文章を書いて、新聞作成などの業務をしていました。

相手からすると低姿勢と受け止められるかも知れませんが、私としてはこの低姿勢が自然体でしたので、相手からするとめんどくさくないオッサンと映り、仕事がやりやすいという感触を得たのかも知れません。

やっぱり最後は、仕事のやりやすさであり、低姿勢というのはサラリーマン時代にはまったく武器にはならなかったのですが、第二の人生ではおおいに役に立っています。

ただ、若い方はともかくとして個人の感想ですが、50代を超えた方は威張ったり煽ったりする人がとても多かった印象があります。

私は50代はそれでいいかもしれませんが、60を過ぎるとそれでは困ることになると言いたいです。

個人事業や再雇用にしても、役職を離れますので、その際、最後に残るのは、スキルと人柄です。

私のカウンターパートナーは20代~30代ですが、その方々にも丁寧に接し、頭も下げ、お互いにリスペクトする関係ですが、若い方へこのような接し方ができるかが人生の後半戦でも戦える手法です。

過去の栄光にすがりつくばかりでは、60歳以降の人生を生きる道は困難です。

この項さらに続きます。

 

60歳からはじめる個人事業

私は50代前半で退職し、個人事業を開始しましたが本来は60歳の定年退職まで働くつもりでした。まあ、どうしても我慢ができないことがあって退職しましたが、とはいえ前職に恨み辛みを持つつもりはないです。なぜかと言えば、そういう感情は時間のムダですし、カネにもなりませんのでサバサバと忘れています。

ただ時折、会社から、「あの書類どうなっているか」という基本中の基本の問い合わせが来ることは辟易します。

私は転職はしてもいいですから、60歳までサラリーマン人生を全うするのがコスパ的には望ましいと考えております。

それは何もしなくても給料は振り込まれますし、自分から営業しなくてもいいので、何度も申し上げているように中小企業で部長職ですとおよそ年収650万円です。これは悪くありません。

そして定年退職の60歳からは自由の身です。この解放感は何にも増して人生の大きな経験になることでしょう。実際、私も退職したとき、大きな解放感に包まれたことは確かです。

そして個人事業主をはじめる3年前から私はなにができてなにをすべきかを模索すべきでしょう。なるべくなら前職の延長の仕事が望ましく、私の今の仕事もそうです。

脳内で理想の仕事を探して、これで行こうと決断するのは定年前の1年前。それから、関係会社に回って仕事しながら営業活動するのもいいでしょう。

ちなみに、私が退職前2ヶ月くらい有給休暇を取りましたが、いろんな出版社などを回り営業活動を行ないましたが、この時履歴書を携えたので気分は新入社員のようでした。

50代からの営業活動ですが、こうした地道な宣伝活動が必要なのです。というのも個人事業を開業したとは言え、すぐ仕事が来るとは限りません。やはり足を運んでの営業は必要です。

ここで間違ってはいけないのは孔明のような軍師は不要なのです。一兵卒からやり直すと言うことです。方針は編集者が定めますのでそれに沿って取材し、記事を書きます。

勘違いされる60代は管理職気分が抜けずビル清掃でも、指示ばかりして手を動かさない人もおり、高齢者同士でもめ事になったケースもあります。

60歳を超えたら自分は管理職ではなく一兵卒だと気持ちを切替えることがすごく大事で、ただし若者ができない部分をサポートすることに徹するべきです。

私は50代の個人事業主ですが、一兵卒です。企画案を編集や広報に提出、それを受諾する権限は相手にあるので、立場的には相手が上です。管理職は逆に部下が企画案を提示して、それを修正させるのが仕事ですが、60歳を過ぎると立場逆転しますので、それに耐えられるかが問題です。

個人事業の成功の成否はまさに立場逆転しても冷静でいられるかがポイントです。

「オレは60人の部下を率いてきた」「あのプロジェクトを成功に導いたのはオレだ」

これはそうかも知れませんがたまたまその立場にいたからこそであって、自分1人でできたことではないのです。社長などの役員や、部長職にいたとしても創業者でもない限りたまたまであって、言い方は厳しいかも知れませんが、偉くもなんともないのです。

60歳を超えたら個人で何ができるのかが問われるのです。たとえば、ワード、エクセル、パワポもできない、ではできることはと聞かれると、「部長ならできます」というのでは笑い話です。

 この腰の低さはすぐにはできません。私はもともと腰が低く、機関紙を送付する際にも、部署には部下がおりませんでしたので、他部署の部長に、その部長の下にいる女性にもさらに頭を下げて、「仕事を手伝って欲しい」と御願いしてきました。

女性や年下に頭を下げることはプライドが許さないという人もいますが、プライドで仕事はできません。

長すぎたのでこの項は次に持ち越します。