ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

義理チョコバレンタインに思うこと

 私もオッサンですから、義理チョコバレンタインで一喜一憂する歳でもありません。サラリーマン時代、女性事務員も義理チョコの差配は面倒くさいと思っていたと想像しています。男性、女性いずれかは思い出しませんが、義理チョコをやめようと言って双方がほっとしていたことを思い出します。男性側もホワイトデーで商品券をお返しするので面倒でした。一番面倒だったのは、総務のとりまとめ役でしょう。この点については同情していました。

 私も甘いものが好きですから、チョコは好きです。むしょうに食べたい時があります。ブログで結構高価なチョコやケーキを見ると、「これいいな」と食べたいと思います。

 義理チョコっていつごろから発生したかわかりませんが、私の大学生時代にはありました。ですから30年前から確実に義理チョコの概念はあり、結構長い習慣です。私は、当時、女性の知り合いが存在したわけでもないので、チョコをもらえる当てがないのもよく分かっていました。これがサークルで顔役の人とか、顔が広い人であればもらえたことでしょう。

 こういう義理チョコは基本、お菓子メーカーの宣伝で後に、友チョコとかいろいろと派生しましたが、単なるチョコがさらに面倒くさくなりました。

 バブルの時は意味のない儀礼がはやり、私のようなものぐさタイプの人間にとっては面倒なことでした。そういえば、「アッシー、メッシー、みつぐ君、キープ君」などの用語もこの頃、流行っていましたね。

 今の時代はとてもいいです。というのもこうした意味のない儀礼から降りても別に問題がないからです。やりたい人はやればいいですが、特段、流行りに乗らなくても普通に生きていける時代が到来したことはとても良いことです。

 生き方というか、人生を考えるうえで、今の私は軽快そのものです。私たち夫婦は見栄からは下りた人間ですので、意味のない儀礼、冠婚葬祭からは遠ざかっています。その代わり、実利的に美味しいものや心から癒される旅に出ることがとても多くなりました。

 隠遁生活というわけでもなく、取材やライター業務を通じて少しばかり社会とのかかわりあいは持ちつつも、いわゆる一般常識から距離を置いた生活をしています。人間好きなように生きていくというのはとても大事で犯罪でなければ問題がないのです。

 いろんな人が常識を振りかざして生き方を指導しようとする人もいますが、人はそれぞれです。あまり周囲に振り回されず自分の生き方を模索してもいいです。

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