ライター 長井の気ままな生活

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沖縄旅行記9~首里城を訪問すると琉球史が見えてきます

 

 3日目は、沖縄南部の旅です。本日で沖縄を離れます。バス観光ツアーの旅は、首里城→おきなわワールド→平和公園→道の駅の買い物→那覇空港のルートです。

 首里城守礼門をくぐった時、ふと大昔の大河ドラマ琉球の風』の冒頭シーンを思い出しました。本来、官職は朝廷が武家に授けるものですが、戦国時代になると権力のある戦国武将が遊び心で家臣に官職を与えることがよくありました。

 

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守礼門

 豊臣姓を賜る前の羽柴秀吉が家来の亀井 茲矩に恩賞にどこの国が欲しいかと聞いたところ、「琉球国」を賜りたいと亀井は答え、それに対して秀吉は、「亀井琉球守」と書いて扇子を渡した話があります。このエピソードは、『琉球の風』の冒頭に登場します。実は戦国時代のよくできたエピソードは後世のつくり話が多いのです。大河ドラマでは、よく登場する明智光秀の「敵は本能寺にあり」と叫ぶシーンは、初出が江戸中期の史料『明智軍記』に登場しますが、おそらくつくり話であると思っていいです。

 

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 琉球国の風OP いい歌です。隠れた名曲です。

 私はつくり話だからといって、大河で使うなというのは野暮だと思います。アメリカの西部劇、韓国の史劇もそんなにまじめに歴史考証したらつまんないと思うからです。

 ですからこれも疑ってかかるべきエピソードなのですが、後の朝鮮の役で、朝鮮水軍と日本水軍が戦う中で、朝鮮側の名将・李舜臣が亀井が乗っていた船を奪い、後に李が朝鮮宮廷に報告する中で、この内容が書かれた扇子を発見したことが書かれていたのです。ですからこのエピソードは史実であることが明らかになっています。

 実際、亀井は琉球征伐を申し出、一度は許可されていて、歴史の歯車が別方向で進んでいれば、秀吉による琉球の役により、首里城陥落が早まっていた可能性があったのです。ちなみに、政治家の亀井亜紀子氏は家系図上での子孫です。

 琉球国はもともと、三つの国に分かれており、統一後は、奄美大島まで版図に収めていました。収益はやはり貿易であり、日本・博多、朝鮮、中国、東南アジアとも善隣貿易を行ったことで栄えていました。

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首里城

 関ヶ原の戦いの後、薩摩藩は、琉球侵攻をし、抵抗らしい抵抗もなく、琉球薩摩藩支配下に置きました。やはり首里城を見ると、天下の名城である大阪城小田原城のように守備に堅固とは言えません。

 当時の琉球王家は尚氏でしたが、薩摩藩の支配を受けつつも対外的には、琉球国は存続し、明やその後継国家の清の冊封を受けつつ、日本、中国、朝鮮、東南アジア各国の文化吸収し、独特の琉球文化を形成することになります。

 

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琉球王の椅子

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行政の中心であった首里王府

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中国の皇帝の使者を迎える琉球

 しかし、明治維新後、明治政府は、琉球国琉球藩とし、併合します。最終的には、琉球王族は日本の華族になります。実はこの時あまり知られていませんが、清が琉球処分について抗議を行い、険悪な関係になります。中国からすれば、琉球国は、中国の冊封を受けているのだから、日本の自由にならないというのが中国側の解釈です。これが日清戦争の遠因になります。日清戦争終了までこの地域の領土の確定は日本と中国の間で綱引きが行われることになります。

 当時のアメリカ大統領も巻き込み、日本側は琉球本島は日本領、先島諸島は清領と提案していましたが中国側の実力者である李鴻章が反対したことで、一時期は棚上げになります。

 私が驚いていたことは当時の明治政府は先島諸島譲渡案を中国側に提案し、逆に中国側はこの案は飲めないと反対があり、先島諸島分割案は幻に終わっていたことです。

 ですから、もし日清戦争に日本が負けていれば、琉球国が復活していた可能性もあります。もちろん歴史にイフはありませんが。

 この沖縄旅行記では首里はもう一度登場します。

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