ライター 長井の気ままな生活

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台湾弾丸旅行8~台湾の中の日本

 台湾弾丸旅行も三日目で最後の日です。ここで台湾旅行で一つ助言しますが、コスパ的には朝食がついているホテルがいいですね。いつも出発前に、私たち夫婦はホテルで朝食を取り、出発しました。

ちなみにホテルの中はこんな感じです。

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ホテルの中

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ホテルの外

 私たち夫婦の考えはホテルの中にいる時間は短く、睡眠と朝食を取る場と割り切っています。これどの旅行でも同じですが、なるべく安く済ませればいいと考えています。いつも安ホテルではありませんが、コスパホテルに宿泊しています。日本で言えば、アパホテル東横インコスパ感です。

最後の日は、台湾の中の日本がテーマです。

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西門

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台湾総督府

 台湾には様々な日本の痕跡があります。大日本帝国時代、台湾統治においてはインフラの整備、道路拡張など様々な事業を行なった痕跡についてもう少し目を向けてもいいでしょう。だからといって台湾人の好意に甘えて、日本の台湾統治は素晴らしいことばかりということを言うのもいかがなものかと思います。海外植民地統治には当然、光と影が生まれます。それを率直に受け止めるべきです。歴史学が政治の道具になっていることが日本歴史学の悲劇です。左右の思想により、植民地統治の善悪を語るべきではありません。それは歴史学ではなく最も私が嫌う政治の世界です。歴史を政治から解放したいという思いが私にはあります。

 さらに私は今の日本人がそのお国柄を親日反日の単純な二元論で語ることは慎むべきだと考えています。私も仕事柄、さまざまな外国人とのおつきあいがありますが、いずれも節度をもって日本やその国の未来についてゆったりと語ります。意外とステレオタイプではない様々なホンネが多く聞けるものなのです。

 ところで台湾に行くと、さまざまな日本建築物が威風堂々のたたずまいで残っています。たとえば、旧台湾総督府の建築設計をした人は、長野宇平治という建築家ですが、この方は、辰野金吾の弟子で辰野は、日本銀行や東京駅を設計した名建築家です。

 辰野は多くの後進を育てましたがそのDNAは多くの海外植民地の建築に残されています。植民地時代の海外建築の評価について、大陸進出の足がかりとみることもできるかもしれませんが、私は、建築家は海外に夢を抱いていたと思うのです。思うがままに実験的にのびのびと設計できたことは辰野もその後進の建築家も多くの満足を得ていたと想像するのです。かつての日本建築を日帝残滓と否定するのではなく、現代の系譜につながる見果てぬ建築家の夢はどこにあったのかと考えてみるべきでしょう。

 そこに私は建築の可能性、ロマン、夢を抱いているのです。建築設計の世界は徒弟制度ですから、辛抱しつつ、先生の行なっている設計を学び、自分の中で夢を開花させます。よくもわるくも、建築家にとって海外建築の設計は楽しかったと想像しています。

 そして最近の日本人における台湾の位置づけですが、台湾ブームであり、多くの関心を寄せることはとても良いことです。ネットでは台湾は、日本側か中国側に付くのかと二元論で語ることが多いですが、多くの日本人や台湾人にとっては実はどうでも良いことなのです。日本と台湾の異性同士が仲良くなって結婚するパターンもあると聞いていますが日台カップルは政治についてほとんど話すことはないでしょう。

 日本と台湾の往来が増えることによって相互理解が深まり、仲良くなっていくと思います。実はこの考え方は中国でも韓国でも当てはまると考えています。北東アジアはお互いに引っ越すことはできませんから、行ってみてどうだったかというそれぞれの国の感想があると思います。その感想で得たものが、みなさんにとってのその国のリアルです。

 私たち夫婦にとっての台湾は極めていい印象でした。人は親切でありますし、台湾人の表情も実に豊かです。トイレも日本ほどではありませんが整備されていますし、何よりも食べ物も美味しい。これはポイントは極めて高いです。

日本建築を一通り回った私たちはバスで桃園空港に戻りました。

 正直いい旅だったです。今回は、台北市が中心でしたが別の機会に高雄市を中心とした旅行プランを立ててみたいです。

 とりあえず台湾シリーズはひとまず終わりです。ありがとうございました。