ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

60歳から始める個人事業主~会社と共同幻想

私は会社というのは共同幻想を社員で共有しなければ成り立たないと思っています。私はある会社で働いていたとき、共同幻想を構築するためのプロパガンダの役を仰せつかっておりました。

人間は希望を得ることはすごく大事なことであって、あることが実現するかしないかは別として将来こうなって欲しいと言うことをみなで共有することは社員の幸せにつながるのです。

ですので会社はお金儲け以外何か、イデオロギーやスローガンが必要になってきます。人々を幸せにするとかどんなことでも良いのですが、なにがしかの世間に訴えかけるものを建前でもいいのでつくらなくてはいけません。

イデオロギーやスローガンをみなで共有するとそれなりに仕事はやる気になりますし、この商品を販売することが幸せにつながると真剣に考え込むようになります。それを共有することでやる気は出ますし、家族のような一体感が生まれます。

これは一種洗脳という作業に近いです。日本が新卒一括採用を好むのはまあ洗脳しやすいことと、共同幻想を共有しやすいからだとも言えます。

日本の企業が宗教団体のようなにおいがするのはこの共同幻想と無関係ではありません。

しかし、実を言うとほとんどの場合、スローガンは単なるフィクションであって、商品を売るための方便なのです。世の中には方便や共同幻想に満ちあふれているのです。

ただし、フィクションだから実社会でまやかしだということを言うと、村八分や会社八分になりますが、実は私は会社の中での共同幻想をつくっていたことについて幾分なりとも心を痛めていたことも確かです。

吉本隆明の『共同幻想論』はいろんなことに応用できますが、会社のトップはいろんなカタチで共同幻想に基づく理念をつくり、みなで共有しようと試みます。その幻想についていけなくなったとき、往々にして会社を辞める人も出てきます。

会社のトップが強いリーダーシップやスローガンを打ち出す際は、社員も割合に熱狂的になります。その熱狂が共同幻想のもとにもなるのです。

ちなみに私は会社には共同幻想が必要という考え方なので以前行なってきたことが誤っていたとは思っていません。

しかも共同幻想を共有すると言うことは結構気分がいいものなのです。自分たちが正義の立場であり、ライバル会社やそれに反する立場にある人物を悪と糾弾しやすくなるからです。

この共同幻想は極めてわかりやすいものが望ましいです。難しい理屈では受けません。

この共同幻想を熱狂的に共有できれば、社員をこき使う方便になります。やはり、社長からすれば、オレが儲けるためにみんな働けというのでは下品です。だから、共同幻想が必要なのです。

ただし、問題はその共同幻想を発信するトップが亡くなった後、それをしっかりと継ぐ人物が居なくなると、共同幻想や目的も失われていきます。会社存続の危機というのは共同幻想を共有できなくなったときに生じるのかも知れません。

ところで私は昨日、個人事業主は自立の大切さを訴えましたが、サラリーマンであれば共同幻想の共有は必須でありつつ、会社から離れますと共同幻想から離脱することも重要ということも付け加えておきたいところなのです。