ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

「新潮45」休刊のウラ側。売れない論壇雑誌

同性愛者について「生産性がない」と記した寄稿文を掲載した杉田水脈レポートから端を発した「新潮45」での議論は、左右の言論人を巻き込みました、新潮社はあっさりと休刊を決めました。私が雑誌で関心を持つことは言の左右ではなく、部数です。

部数を見て驚いたのは1万9,000部くらいで、論壇雑誌は本当に商売にならないなとあらためて感じました。これがどこかがスポンサーになって、まとめ買いしていれば、商売としても成立していたのでしょうが、これでは新潮社としても「新潮45」はお荷物だったことがよく分かります。一応、「新潮」と名が付く雑誌でこれしか部数が取れないというのは今の活字文化の厳しさです。

実際、編集部は炎上商法を否定していますが、本当のところどうだったか。会社としては体のいいリストラができて安堵していると思います。少なくとも雑誌形態ですと5万部は欲しいところでそれ以下ですと、休刊を検討する段階に入ってきます。

これが一般人からはほとんど知名度のない業界雑誌のビジネスモデルは特定会社や業界のPRをする代わりに、まとめ買いしてもらうということで生き残っています。業界専門雑誌というのはそういうところで需要があるんです。

ところが「新潮45」は一般人がお客です。最近、流行の保守思想を全面に出して、右寄り論壇を起用すれば、売れるだろうと判断したのでしょう。

かくいう私も論壇雑誌を左右問わず読んでいません。高いですし、そんなお金が無いですし、読むのであれば実務に即した経済雑誌で、「ダイヤモンド」「東洋経済」「エコノミスト」あたりです。

それに論壇のような話はネットでいくらでも読むことができます。しかも無料で。そういう意味ではわざわざ論壇雑誌を買う時代ではありません。

それと論壇雑誌が厳しいのはスポンサーが付きにくいんです。割と字数が多く、写真も娯楽も少ない雑誌は、読んで楽しいというものではありませんから、広告を派手に出そうというスポンサーも表れません。

それに昔のような、保守思想VS進歩思想の二項対立が激化していればまだ読まれていたかも知れません。

今は、進歩思想という言葉自体が死語になりましたが、こんな中、あえて保守論壇をどれだけの読みたいかという意欲があるかは疑問です。

今の時代、私たちが論壇から教えてもらうことは本当に少ないと思います。これが昔であれば、知識人がわれわれ庶民を良い方向に導く意味もあったのでしょうが、これだけ論壇がネットにあふれているので論壇雑誌の意味もないです。

この文章を書いてみて、久しぶりに使った用語があります。「進歩思想」「保守思想」「論壇」の言葉は多分、20年間使っていませんでした。そういう意味では懐かしさを感じたコラムでした。