リリーフとしての役割
今月はずいぶん仕事しました。スポット的に11Pの取材・執筆の仕事が入ってきてそれを5月中に完了するという依頼でしたので、普段の倍以上執筆しています。
5月にどのくらい書いたかと言えば、ざっくり6万字はゆうに超えたでしょう。この11Pものだけでもおおよそ3万字を軽く超えていますので、通常取材も含めると疲れました。
この文章を書いているのは5月26日ですが、さすがに文章を書くのも飽きました。ちょっとした小冊子の執筆です。
5月はゴールデンウィークでしたが、私には休暇はありませんでした。通常のweb記事執筆をゴールデンウィークにあて、それから本格的に11Pモノに取りかかりました。これは会社に取材し、その後執筆しますが、短期間での依頼でしたから大変でした。締め切りがなければそれほど問題はないのですが、間に合うかなと心配していました。
原稿入稿にもメドが付きましたが、50を過ぎた自分で言うのもなんですがまだ私は若いです。
個人事業主で必要なことはいろいろありますが、若さを失わないことかなと今月感じたことです。
私が生まれる前に、巨人にリリーフの草分け的な存在の宮田征典さんが8時半に登板することが多かったので、アナウンサーが「8時半の男」と命名されました。
そして私が野球を見ていたときは、鹿取義隆さんがその役割を担っていました。
地味ではありますが、いないと困る存在でした。巨人の王監督から、「ピッチャー 鹿取」と言わない日がないほど毎日登板していました。
この11Pにしても、社内で作成が可能であれば外部に委託することはなかったのです。しかし、人手がいないなど諸般の事情で私にこの回ってきました。広告はすでに決まっている時に、それなりの紙面を埋めないと会社にとっても収入減につながることから、死活問題でもあるのです。
なんでも記事を載せればいいというのであれば簡単ですが、私は基本、広告出稿先が関心が持てる原稿にする必要があると考えていましたので、それに沿った企画を立案しました。アポ取りから取材、執筆まで一気通貫で進めましたが、リリーフピッチャーのような役割は果たしたと思います。
フリーランスは抑えの切り札のような存在だなと感じた5月でした。