ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

財務次官による女性記者のセクハラ問題に思うこと

財務省と言えば霞ヶ関の頂点であり、財務次官はそのトップに立つ優秀な人材が就任します。

無能では絶対につとまりません。

当然、記者たちも財務次官に食い込み、トップネタを狙うために、財務省記者クラブにはエース級の記者を投入します。

これはどこの省庁も同じですが、発表は公平性を担保しますが、発表以外のネタについては、記者を選別し、Aランク、Bランク、Cランクと振り分けて、記者ランクリストを作成しています。

中にはキャバクラで官僚も記者も羽目を外し、バカ騒ぎしている人もいますが、私はこれが一概に悪いとは思っていません。

このキャバクラの席ではネタが取れなくとも、別の時では、「あいつには世話になったから、ちょっとネタやるか」ということで思わぬところでスクープが出ると言うこともあるからです。

記者で重要なのはいずこも人間関係をつくることです。ただし、私は、記者と取材相手とはどこかで一線を画すべきだと考えています。あまりにも両者が親密になりすぎると、記者は取材相手に忖度し、記者が広報のようになってしまいますし、この関係はなかなか難しいです。

ところで今回のセクハラ問題で思うことは、財務次官はどこかで増長していたのでしょう。彼の脳裏に、「記者なんて呼びつければいつでもかけつける」という考えがあったと思います。

記者からすれば財務次官の誘いを断ることはできません。一つは財務次官との人間関係をつくる上で、飲み会は重要ですし、また断って嫌がらせをされて特オチにでもなれば、上司から叱責されるだけではなく左遷コースが待っているからです。

ですから両者の力関係では対等ではないのです。

人間関係で片方の力が強すぎると、片方に甘えが生まれ、「このくらいは大丈夫だよね」とセクハラが生まれることがよくあることです。だから財務次官がセクハラではないと否定しているのは、自身に甘えがあったからだと思います。

恐らく本人は心底、「あれはセクハラではない」と思い込んでいるのでしょうが、そこがセクハラの恐ろしさです。女性は嫌で嫌でしょうがないと思っているのに、本人は楽しく談笑しているつもりになることはよくあることです。

ですので、以前も書きましたが、権力を持つ人間は立ち振る舞い、行ないについて自身を厳しく律するべきです。

官僚もマスコミも甘えて一体になってはいけないというのは私の考えですが、今回は、官僚と記者クラブの甘えの構造が悪く出た現象の一つかなというのが私の感想です。