ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

世の中は正義の味方があふれています

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世の中、正義の味方があふれています。正義の味方は、ご親切にも私のような、静かにひっそりと目立たないように暮らしているミドルにも、この世の正義を説く方がいらっしゃいます。

私は、同意見と受け止められるのも面倒なので、「まあそれも1つの意見ですねえ」とだいたい受け流します。

また、日曜日は原稿書いていることが多いのですが、どこかの宗教団体が、「大事なイベントのお知らせがあります」とワザワザ来て知らせてくれます。

私にいろいろと教えてくれる方は、「あなたは正義を知らないので気の毒です。正義の味方になるべきです」という使命感をもって、正義のなんたるかを教えてくれるのでしょう。

これって別に、今はじまったことではなく、団塊の世代学生運動時代もそうであったでしょうし、幕末には「尊王攘夷」が正義と訴えた志士たちもいて、昔からあるのでしょう。

私は武士でもなく、遊び人の町人なのですが、正義の味方が横行すると私のような町人には生きづらい世の中だなと感じています。

団塊の世代ノンポリ学生がどう過ごしていたか分かりませんが、回りからやいのやいのと正義の理論を押しつけられていたのかもしれません。それは大変気の毒なことだったでしょう。

幸い、私が過ごした大学時代は少々、立て看があるだけで正義を押しつける人はめっきりといなくなりましたが、宗教関係ではかなり困ったことがありました。

昔、『遠山の金さん』という時代劇があり、主人公の金さんが、「よせやい、オレはただの遊び人だい」という言葉が好きで、江戸の長屋で町人として暮らす生活に憧れていました。

大学時代、遊び人だった私でしたが社会人になると、会社にとっての正義を押しつける方があまたいて、閉口した時代が続きました。

実際のところ、約30年間が限界でした。

本当はもう10年間くらいは頑張る必要がありましたが、ここで白旗を揚げました。

そしてまた、50を過ぎて遊び人に戻りました。

私が個人事業主になった理由はさまざまありますが、社会人になると正義の味方が多すぎて耐えられなかったというのがそのうちの1つです。

正義というのはその人個人にとっては何事にもかえられないものですので、時として正義の押し売りになります。

4月になると、新社会人、フレッシュマンであふれ、生き生きとした方が街を闊歩しています。願わくば、新社会人のみなさんも正義屋さんに押しつぶされないよう祈るばかりです。