ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

「派遣やフリーランスの生き方は世間が許さない」「許さないのはあなたでしょう」

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「世間」「学校」「世の中」「社内」「業界」。。それぞれ言い方はありますが、曖昧な表現を持ち出して、こんな生き方は許されないという方は時としております。

これは昔からあるようで、太宰治の『人間失格』でも主人公に対して、「世間が許さない」と指摘し、主人公は言葉を飲み込みつつも、「世間世間というが許さないのは君じゃないか」と反論しそうなシーンは有名です。

私は派遣やフリーランスの方は好きで生きていると考えています。生き方は人それぞれなので干渉して欲しくないのです。

時として、「老後はどうするんだ」といらない心配までしてくれます。

いろんな見方もありますが、その方から見れば私は満員電車に乗らず、取材するときだけ外に出て、ライティングの作業をしていることに不快感を抱いたのでしょう。

私も言葉を飲み込みつつ、「余計なお世話です」と言いたかったのです。

働き方、生き方について多様性を認めて、もっと言うならば、ほっとおいて欲しいのです。

私も正社員に対して、「あなたはフリーランスになり、幸せになるべきです」とワザワザ言いません。

なぜ、人間はほっておくということができないのでしょうか。

その方は、私に汗水働くことの尊さや意義を説いていただきましたが、逆に私は、働くことは必要であると前置きしつつも、「汗水垂らさず、苦労をしない働き方や生き方も選択しても良いのです」とやんわりと伝えました。

その方は正社員至上主義で、男は毎日、朝、満員電車に揺られ、定時に出勤し、仕事が終わるまで残るという生き方こそ人生だと、私に説いていました。

それに対して、世の中は、必ずしも定時に出勤する必要の無いテレワーク、短時間労働である「プチ勤務」など働き方はさまざまありますと私は今の社会情勢を説明しました。

しかし、「そんなの世間が認めない」と再度憤慨していました。

会社というのは、誰が言い出したか分かりませんが、「会う社(やしろ)」ですが、会わなくても仕事が出来る時代です。

私が会社を辞めるとき、ある方が、「君の生き方は世間が許さないだろう。いつか酷い目に遭うぞ」とワザワザ忠告してくれた人もおります。

私はいろいろな経験をもとに話しますが、世間は思ったほど他人に対して関心が無いものなのです。関心があるのは自分と家族くらいです。

「世間」などとという極めて曖昧模糊の表現を持ち出す人は結局の所、その個人が面白くないだけであり、「オレ(ワタシ)が許さない」という表現では厳しくなることから、「世間」という言葉でごまかしているだけに過ぎないのです。

だから、人が世間という言葉を使うとき、オレ(ワタシ)と同義語なので、あまり気にする必要も無いのです。