ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

私は友達らしい友達はいません

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私には友達らしい友達はいません。

カネもないので、金目当てで近寄ってくる人もいませんし、人望もありません。とはいえ、自分が不幸だと思ったことは一度もありません。

大学時代はともかくとして、心から信頼を寄せる友達に出会ったことはありませんし、会社を辞めれば、同僚や先輩からただの知り合いになるだけで、人生そういうものかなと思っています。

とはいえ、サラリーマン時代でもフリーランスでも仕事関係で会う方は多く、打ち合わせもいたしますが、そういう方を一方的に友達認定したことはありません。

とはいえ、仕事仲間については尊重し、リスペクトしております。

LINEはやっていますが、ほとんど妻との連絡でしか使っていませんし、ほかの方とわざわざLINEで「飯でも食わないか」と言うことに、自分にとって違和感があります。

シニアに近くなり、ミドルの花盛りの世代ですが、仕事はそこそこあり、それなりに忙しいです。

私が、釣り、山登り、ゴルフなどの趣味があれば、趣味友達もできるかもしれませんが、そういう趣味もなく、本を読むことが趣味らしい趣味でこれも1人で完結できるので、友達がいなくても本は読めます。

ただ、上記のプレジデントにあるような記事に全面的に賛同しているわけではなく、友達がいて仲良くしたければ友達を普通に続けてもいいのではないでしょうか。

とはいえ、この記事には一面真理があり、60歳を超えれば役員で残らなければ、その後の会社人生はなかなか厳しいのも事実。

島耕作シリーズ』の弘兼憲史氏は、こうも言っています。

「定年を前に、出世ルートを外れていると感じるならば、仕事以外の自分の幸せを考え直すよい機会と捉えるべきです。自分の身辺を見直し、不要なモノを捨てることで、身軽に生きられます。整理を始めるなら、早いにこしたことはありません。その分長い時間を“手ぶら”で生きることができるのですから」

問題はこの冷酷な事実を受け入れられるかどうかです。

たとえば会社を退職して、知り合いの業者とゴルフコンペを開いても誰も集まらなかったという話は星の数ほどあります。年賀状も激減した話も以前、書きました。

再雇用でいくら残りたいと言っても65歳を超えるとさすがに体力が続きませんし、いずれサラリーマン人生からの退場を余儀なくされます。

 

私は残りの人生を妻と一緒に楽しく暮らしてフリーランスの仕事で生きていくことに決めましたが、サラリーマンを辞めるに当たって、手ぶらで生きようと決断したのも事実です。

私見を言えば、弘兼氏の言うように「友達を捨てる」というよりも自然に疎遠になっていくことが多いのです。連絡を取らなければ、やはり友達は自然消滅していくものでしょう。弘兼氏のように「捨てる」という言葉には違和感があり、大上段に構えなくとも、自然消滅という言葉が私にとっては一番ぴったり来ます。

それよりも妻が大事というのが私なりの価値観です。

私はサラリーマン時代から、「会社よりも妻が大事」とよく公言していましたので、なかには私のことを嫌っていた方もいたでしょう。

調子に乗ると時々、「いやぁ、私はマイホーム主義者ですから」とよく言っていました。会社第一の方からすれば、私の姿勢は好ましいとは思っていなかったのでしょう。

とはいえ、その妻が友達同士の女子会で家を空けると実はほっとする時もあります。

根本的に一人が好きな体質なのでしょう。

それはともかく、サラリーマンは現役時代は、「会社にいた」のですが、退職すれば、「おうちに帰る」のです。遅いか早いかの違いです。

おうちに帰ったとき、快く奥さんやご家族が迎えに来てくれるかは、みなさん次第です。