「新聞崩壊」に思うこと。
詳しくは上記のレポートを見て欲しいのですが、この10年間で新聞全体で1,000万部が消滅したと言うことです。
私は政治的に右翼左翼を論ずるつもりはありません。また、新聞についてもそういう記事は見ておりません。それよりも関心があるのは新聞全体のビジネスモデルの崩壊です。
私はwebニュースライターですが新聞は購読せず、図書館で見ています。しかし、忙しい時は毎日読むこともなく、図書館に行く時間があるときだけです。
新聞文化は思えば団塊の世代からその上の文化かも知れません。というのも新聞代は月4,000円くらいでコスパ的には最悪です。
コスパ王を自称する私としては新聞購読は最悪です。
私の家も両親が存命中の時は新聞を読んでいましたが、亡くなった後、あんまり読むところもなく、購読を中止しました。
「新聞くらいは読んでおくものだ」というのは昔の暗黙の了解でしたが、これだけスマホが普及し、仕事柄必要な人は日経新聞を読むかも知れませんが、金銭的にはシビアな時代です。
削れるものはなるべく削ります。新聞を読める層は今や余裕のある家庭でしょう。といいますのは新聞の広告は、結構長期間の旅行プランや、健康食品など高齢者でカネに余裕がある内容でとても若者向けではありません。
私もシニアに近いミドルですが、まだまだ働かなければ行けませんので、こんな余裕のある旅行はできません。想像するに大企業か公務員を定年退職され、奥さんと一緒に旅行する・・・そんなイメージの広告が多いです。
今、団塊の世代は70くらいです。その方々は再雇用を続けながらもそろそろ仕事も完全引退され、旅行も楽しむかと思われているのでしょう。
ただ、これらの高齢者が亡くなっていくと新聞文化は消滅していくと想像しています。
これは雑誌も同じです。週刊文春・新潮にしてもターゲットは70歳以上であと20年たつと、団塊の世代もしだいに消滅していきますので読む方はかなり限られます。
これは業界とともにある山ほどある業界紙も同じです。
業界紙もいつまで寿命が持つかというのも一つのテーマです。
最後には、官公庁、図書館など限定された場所で読むのが一般的になっていく文化になります。
これは右翼左翼に限りません。思想は別としては老いは平等でやってくるのです。
新聞文化は歴史的に大きな役割を果たしましたが、ビジネスモデルが崩壊した今、新聞を購読する方、執筆する記者、広告担当者など新聞関係者全員が老いているのです。
新聞文化自体が老衰を迎えようとしているのです。
ちなみに、もし一紙だけ無料で新聞をあげると誰かに言われたら、ズハリ日経産業新聞を読みたいです。