美しき流れの源を思い出す
NHKの大河ドラマで「King ofJipang信長」を昔、放映されていました。その時、印象に残った言葉として、「美しき流れの源(みなもと)」がいくどとなく語られました。
その時、私はどのような人であろうとも「美しき流れのみなもと」があると考えました。
いい言葉です。誰であろうと「美しき流れのみなもと」があります。
今、私はフリーライターをしていますが、自分にとって「美しき流れのみなもと」はいつであったかと想起していますが、高校時代だったかなと考えていました。
実は、私は本に接することが増えたのは高校時代です。その前は勉強も本も大嫌いでした。文章を書くのも嫌いでしたが、高校時代でいろいろ性格や好みも変わりました。
勉強嫌いだった私が変わったのは高校の先生の強い影響でしたのでしょう。当時、私の学力ではとても大学に行くことは難しかったのですが、指導が良かったのです。
高校時代は文学に接し、本に耽溺しました。ただ性格は当時で言うネクラでした。
なんとか大学に入ることが出来ました。
ただし、大学で怠けていたので、就職も酷いところでしたが。
その後、いろいろと文章に関する仕事にかかわることになりましたが、私にとってほかの仕事に携わることは無理だったでしょう。
たとえば営業をやれといわれていてもとても無理。
営業をやったことは一度もありませんが、フリーランサーになってから自身の売り込みをしたのがはじめてのことでした。
営業ではやはり誠実さが大切だと思っています。
私の源流は高校時代の先生でしたが、年齢的には相当年を経ておられるので今は退職していると思われます。
さまざまなことを教えていただきましたが、今、先生は何をされているか時々思い出します。
私にとって「美しき流れのみなもと」は高校時代の先生でした。