ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

父の退職と年賀状の思い出

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父がサラリーマンを退職し、個人事業主の仕事をした時の話です。

父のサラリーマン生活はあまり恵まれなかったようで、出世もあまりしませんでした。

父に対して愚痴るわけでもないですが、生活を維持していく分には困りませんでした。

ただ、父が寂しい顔を見せたのは、退職後の年賀状の時で、父は世代的にもかなり年賀状を出す人で、退職した後でも律儀にいろいろな方に出していたのですが、めっきりと減りました。

「私はこんなものでしょう」と思ってはいましたが、父からすれば、「オレの人脈からすればもっと来てもいいはずだ」と考えていたのかも知れません。

父に来る年賀状は年々減少していきました。ある年、父は、1月3日や4日にも、「オレあてに来ていないか」と私に言うと、私は、「二枚くらい来ている」というとさらに寂しい顔をしていました。

私は、以前から年賀状については退職すると激減する話を聞いていましたので、驚きもしませんでしたが、父からすれば寂しさもあったのでしょう。

会社に長く勤務し、息子の私が言うのもなんですが、それなりに忠誠を誓い、頑張ってきた父に対しての年賀状の数が減少していく姿を見ると、やるせない気持ちになったのも事実です。

私が昨日、「年賀状のリストラ」を執筆しましたが、そんな父の背中を見たからこそ世の中こんなものだと、割り切っているからです。

私の年賀状は親族関連、大学の友人、会社関連のおおむね三つに分かれていますが、この会社関連は前職の方には送りませんし、今年新しく出会った方に送ろうとすると膨大な数になりますのでこれまた送りません。

一部、本当にお世話になった編集者には送るつもりでいます。

数的には大幅に減るわけで年賀状がこなくなる寂しさはあまり感じません。

年賀状が人脈の力を意味するかも知れませんが、普段からメールなどのやりとりをしている私にとって、年賀状とはどのような意味があるのかということについて今ひとつ理解は実はできていません。

父が亡くなった後、その年の11月頃に一斉に父の死去を知らせる喪中はがきを出しました。

しかし、「線香をあげたい」と希望する人もおりませんでした。

正直、ホッとしたのも事実です。

これから私の年賀状の意味合いは普段合わない親族や大学の友人たちへの近況報告ということになりそうです。

今年1年間なにをやってきたかという内容を文章でしたためる年賀状を考えています。