親の希望は会社員を続けて欲しかったのでしょう。
私の親はもう亡くなっています。
ですから親の話を聞くことはもうないのですが、もし親が生きていると仮定するならば、親の意見としては「会社員を続けていくべき」と想像しています。
まあそういう意味で私は不肖の息子で親は草葉の陰で泣いているかも知れません。
私がライター職をはじめたころは親はすでに亡くなっていますから、親に相談することはありませんでした。
ただ親からするとちゃんとした会社に勤務するのが常識という人でしたので、会社辞める決断については存命でしたら大反対していたでしょう。
昭和初期に生まれ、戦争を経て、高度成長の果実を味わい、バブルからその崩壊まで、そして今日の日本の衰退までを見届けました。
最後は認知症になり、私たち夫婦を困らせましたが親の立場からすると悪くない人生だったのでしょう。
そういう昭和の価値観からすると「フリーランス」という言葉そのものも分りませんし、そういう仕事をすること自体、理解できなかったと想像しています。
かろうじて理解している言葉は「フリーター」くらいで親からするとどちらも変りません。
朝ちゃんとした会社に出勤し、夜に家に帰り、仕事の勉強もし、また朝出勤するそういう価値観の人でした。
親は、「安定した仕事をしろ」というのが口癖でした。
もっとも父は、会社を辞めた後、晩年は個人事業主の仕事をしましたが。
ですから両親からするとせっかく大学まで出してあげたのに、フリーランスの仕事をするのは納得いかないという気持ちも理解できます。
それだったらここまでお金をかけず高卒で良かったと今ごろ、天国で両親は私に対して不満を漏らしているかも知れません。
私はそういう意味で親には申し訳ないという気持ちは少しあります。
ただ感謝の気持ちも忘れていません。
やっぱりライター職につけたことは親が教育にお金をかけたことも大きいですし、結構、私の希望についてはおおよそ理解を示してくれました。
大学も希望を示した文学部については反対もしましたが最後には納得してくれました。
ただ親はこうも言っていました。
「文学では食べられないから苦労するぞ」
実際、食べられなくて、就職では大変な思いもしましたが、そのあたりは親の言うとおりでした。
紆余曲折を経て会社に就職しましたが、ほかの方が一部上場会社二部上場会社の内定を決めている中で、私の就活は結構苦労もしました。
親の意見とすればいろいろと考えはあったのでしょうけれど、最終的には給料が安くてもいいので、会社の世界からおりて文化の道で食べていこうと決断したことを親が知ったら、どう思うかといろいろと考える日々です。