ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

宗教団体のような会社ってこんな感じかな

ブラック企業は一種の宗教みたいなもので、サラリーマンもOLの多くも洗脳され、この仕事は大事とか経営者でもないにもかかわらず一種の使命感みたいなものを持ってしまうことはよくあります。

「経営者目線で仕事しろ」

という言葉が流行りましたが、意味が分らないです。経営者ほどの待遇もなく、権限もないのに、できるはずがありません。

要するに都合よく残業をさせる方便でしょう。

宗教ぽい会社って日本には不思議と山ほどあるのですが、社長が宗教団体の教祖のような存在で絶対視する方も多いです。

そういう会社であれば、一方的に奉仕することに生きがいを見いだす方もおります。

それが自分1人であるならばまだ良いのですが、それを全員に押しつける方も多いです。

宗教ぽい会社はどうも残業が日常化し、どこかに敵をつくり、その敵を打倒するために仕事をするというよくわからないことが多いです。

また社内政治も横行しますので内部ではあいつが悪い、いやこいつが悪いと生産性のない足の引っ張り合いもあります。

常にどこかに敵を求めているのでしょう。

もう1つ言うと、宗教ぽい会社は常在戦場でいつでも大きな仕事を抱え、休む暇もなく、戦うことになります。

たとえば、この業務が終わったら、来月は少し息抜きするとかそういう環境ではありません。常に戦いの場が待っています。

ただし常在戦場の会社は、敵を打倒しようとするため団結力は強いのも確か。

まあこういう会社の就職はオススメしません。

何よりも疲弊しますし、客観的に物事が見られなくなります。

あと特徴的なことを言えば、社長が教祖様ですから「朝令暮改」はよくあります。下手すれば「朝礼朝改」もあります。

なので生産性はものすごく低いです。生産性を補うために結局の手段は長期残業の常態化なのです。

鶴の一言でそれまでやってきたことが無駄になるわけですから、当然のことです。

こういう組織が会社なのかといえば疑問でして、会社を長く維持させるためには、個人の能力をそれぞれ活用し、みなで方向性を決めていく集団合議制に移行することが大切です。

しかし、それができず、教祖という社長が亡くなったときに方向性を見失い、倒産や急廃業の道をたどるわけです。

社長の寿命イコール会社の寿命なのです。

今、史上最高の大廃業時代を迎えていますが、実態は教祖様が亡くなったことで会社の存在意義もなくなったところも多いのかなと想像しています。