ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

選挙に行ってきました。運命の分かれ道

古い言葉ですが、選挙に出るには、「地盤」「看板」「鞄」が必要です。

まあ簡単に言うと、団体や後援組織の応援、知名度の高さ、そしてお金をどれだけ選挙資金につぎ込めるかということです。

今はネットを使った知名度向上という手段があります。執筆した個別の記事には言及しませんが、うまく利用した候補者と政党もあるようです。

ある政党さんは、うまくネットを使った広報作戦に打って出たなと正直、感心もしました。その結果、私の記事がより多く読まれたメリットもあったのですが。ネット上での議論もありました。

プロパガンダという視点で私は記事を執筆しているわけではありませんが、私が政治記事を執筆する理由は、基本的には、「受けるか」「受けないか」という視点を重視します。

これは「受けるだろう」と考えれば編集部に連絡を取り、通れば、相手に取材をし、記事掲載するのですが、おおむね狙い通りでおおくの読者から読まれました。

ただし、私は候補者や応援者に対して感情移入が働かない部分もあり、淡々と相手の話を書き取り、悪意も善意もなく正確さを期しつつ、記事にします。

その結果、宣伝に使おうという候補者や政党があったとしても、それはその候補者や政党の活用方法であって、私の役割は記事を執筆し、公開されたら終わりなのでどのように使われようともあまり気にしていません。

宣伝で使われて光栄とも思いませんし、私の考えとは違うとも思いません。

「ご自由につかってください」ということです。

しかし、「使った方がいいです」とも思います。

実は、政治取材をする際にいろいろと政治家には運命の分かれ道や分岐点もあったのだなと思います。

もし、この政治家が、この党ではなく、別のこの党に入党していれば勝っていただろうなということです。これは東京だけではなく全国各地でよくあることです。

運命の分かれ道を感じさせることが大変多いです。これは同じような政治キャリアでも見ることができます。運命の残酷さをこの選挙で感じたことも多いです。

わたしは特定政党や候補者に対して力を入れて応援する立ち位置ではありませんので、取材時間は30分と限り、すぐにまとめます。

政治家や政党との距離感は節度をもってはかっていくのがスタンスです。あまりにも熱を込めて応援するのはそれはライターとしての本分とは少し違う気がするからです。

そして本日、選挙に行ってきました。

選挙のない国もあるなかで選挙権を行使することは国の命運を分けることです。

ですからどのような立場であろうとも選挙に行って欲しいと思いますし、面倒くさがらずに足を運んで欲しいです。

政治取材で疲れ切っているなか、丸1日寝ていた私ですが頭もすっきりし、どの政党を支持するかどの候補者に入れるかも明確になりました。

あとは、本日8時からの選挙特番のニュースを待つだけです。

どの政党を支持するかは私は明確にはしませんが、清きを一票をご自身の信じるがままに投票して欲しいと願っています。