ライターは得意分野が必要だけれど
ライターは得意分野は必要だが、それだけで食べていくのは難しい。
たとえば、私にとっての得意分野は建設関係だが、建設に特化し、ライティングをして食べていくのは率直に言うとかなり難しい。
また、韓国・朝鮮ネタもよく執筆するがこれだけでも無理。
さらに、今、執筆中の社史だけではどうかというとこれもムリ。
まんべんなく記事を書いていかないと収入がアップしないというのが現実だ。
そのため、いろんなところにアンテナ張って、これは使えるという引きだしをもっていた方が収入はアップするのは間違いない。
そこで必要なのは、1つのことに思い込みが激しくなると、収入がダウンしてしまう傾向にある。
冷たいようだが、この業界はカネになるかならないか冷酷に判断することも求められる。
有名な会社で先進的な取組みであればカネになるのだが、一般消費者と近い業界でないと編集部の反応は鈍く、企画も通りにくい。
カネになるかならないかという判断はかなり重要。
田中角栄が目白の闇将軍と言われた時代、よくも悪くも書かれ、記者やライターが角栄に群がった。
それは角栄のことを書くと読まれるからと言う判断のためだ。
当時は、クリーンな政治家と言えば三木武夫がいたが三木のことを書いても売れなかった。そのため、自然と記者やライターは角栄の記事をぼろくそに書くか絶賛するか立ち位置を明確にして執筆していたのは、ライティングも商売であるということだったのだろう。
今、韓国について記事執筆すると売れる。まさに韓国バブルだ。
韓国の記事が多くなるのは、そのためだも言える。
これが売れなかったらまったく執筆していないだろう。
ただ自分の信条として、民族差別するようなライティングは絶対ムリで、自然と在日コリアンの考えや行動を代弁する記事になる。そういう立ち位置にいて、執筆する。
逆に、差別というか韓国にボロクソに書くというスタンスのライターもいるが、普段、実は交流したり、討論することも全くない。
今、ネットでは嫌韓が一種の流行でそうした作家やライターが山ほどいる。
それについてどう考えるかと言えば、彼らも「生活がかかっているからしょうがない」としか言えない。
フリーランサーとしての行動原理で、「カネになるかならないか」ということはかなり大切で、「カネにならないこと」に首を突っ込みすぎると、本当に貧乏になる。
読者の需要にこたえるという視点がなりよりも重要である。
ただし、自分でも韓国・朝鮮についてかなり執筆しすぎてライターとして色がつきすぎているのは問題かなと思っている。
「どうするかな」と今考えているところである。