辛かったら学校も会社も行かなくていいんですよ
この9月1日は青少年にとって最も自殺の多い日らしい。
学校に行きたくないそうだ。
会社員も月曜日に自殺するケースが多いが、責任感の強い会社員は自殺を選んでしまう話をある弁護士さんから聞いたことがあるのだが、私は思いきって言うが辛かったら、会社も学校も放り投げればいいと思う。
思い詰めて自殺のことばかり考えることを自殺念慮というがこれに取り憑かれるとやっかいだ。検索するのも、「楽に死にたい」とか自殺に関するキーワードばかりになるという。
学校で虐められて本当に辛いなあと感じていて居場所を確保できないと悩んでいれば、図書館や家で勉強するのもいい。
会社だってそうだ。大成建設の下請の会社が「新国立競技場建設工事現場」で若い現場監督をこき使っただけではなく、イジメの実態を今週の週刊文春に掲載されていたが、これは建設業界の闇でもある。
ハッキリ言うが建設業界は他産業と比べて自殺率が異常に高い。悪い根性論がまかり通っているせいだ。
学校や会社でのイジメの記事を見て思うことは、人間生きていればいいこともある。逃げることも大事だと思う。逃げるが勝ちという言葉もある。
たとえば戦国武将としては完全に失格だとらく印を押された今川義元の子である今川氏真のその後の人生は参考になる。一時は妻の実家の北条氏に頼るも、さらに北条氏と武田氏が同盟を結び、居場所がなくなると今川氏を攻撃していた徳川家康に頼り、浜松に逃げた。
並の神経であれば格下の人物に頭を下げて守ってくれと言うのは恥ずかしいことであるが、今川氏真は生きることに執着したのだろう。徳川家の家臣になった。
さらにその後、織田信長の庇護を求め、京都で会うのだが、自分の父親を殺した人物に会って、さらに信長が「蹴鞠」を所望するとそれにも応えるというのは中々できることではない。
今川氏真やその妻・早川殿は戦国時代をしたたかに生き延び、今川氏の子孫は徳川家の旗本になり、公家との折衝役である高家に取り立てられ、幕末には若年寄まで出世し、公家との人脈を活かし、明治維新後も生き抜いたのである。
死ねばそれで終わりである。また悲しむ人も多い。
本当に自殺まで考え思い詰めたら、逃げよう。逃げることは決して悪いことでも恥ずかしいことでもない。
最近、関ヶ原という映画もあったが西軍に属した宇喜多秀家は死刑を宣告されたものの、罪一等を減じられ、八丈島に流されるが、当時にしては珍しく関ヶ原に登場した人物の中で最も長生きした人生を送ったのである。
だから人生生きていればどう転ぶか分らない。中学は行かなくても大学に行くルートもある。
会社も本当に辛かったら、全部放り投げて新しくやり直すルートもある。
一度立ち戻って、再度生きる道を探そう。