ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

働き続けることこそ老後のリスク回避

巷で出版されている本では、老後必要な金額は5,000万円、いや1億円などさまざまな諸説がありますが、大金を要するから投資をしましょうと煽る本がとても多いです。

まあ、この手の本は銀行や証券会社がスポンサーになって、出版しているので話半分に聞いた方がいいです。真に受けて、手元にあるお金をつぎ込んで投資する方がリスクが高いとみています。

また、また新書でも「下流老人」なども出版され、老後不安をこれまた煽る本が多いのですが、私は普通に60歳までサラリーマンを送り、その後も淡々と働けば「下流老人」になることはないと考えています。

どうも日本人は心配性で老後についていろいろ悩むようです。いつか執筆しますが、父の資産を私と姉とで分配するかについて相談したいと持ちかけたところ、80歳を超えていた父は、「オレはまだ老後じゃない」と言っていたのがとても印象的でした。

それはともかく、高齢者になってもお金に困らず元気でいられる方策は、「働き続ける」という1点に尽きます。これが最大のリスク回避です。

これは、お金が入るだけではなく、足腰も丈夫になり、健康体でいられるからです。

60歳以降、収入は大幅に減少しますが、毎月仮に夫婦合わせて30万円を稼ぐことは難しくありません。普通に頑張れば40万円くらいはいくでしょう。

60歳を超え、夫婦ふたりで働けば10年間で4800万円の収入になります。これがさらに75歳まで頑張れば、7200万円です。

私は高齢者でも働き続けるべきと提起しているのはこのためです。年金制度についてはいつか述べますが、一応、国の制度であるため破綻することはありません。ただし、現行運用ではとても維持することができないことから、消費税増税、70歳から支給、支給金額の減額は考えられます。

いずれにしても年金+収入で贅沢をしなければ十分暮らしていけるのです。

ライターは収入が低いですが建設業では現場監督の収入は多く、今は70歳まで余裕で需要があります。どこに需要があるか見極めて、60歳まで会社の仕事をし、それからなにで食っていくか現役時代に考えていくことが大切です。

ですから、老後不安についてそう難しく考えることがないのです。

定年退職したらやってはいけない3つのこと

私は前にも書きましたが、定年退職すれば結構なお金が入ってきます。私も退職してそこそこの小金が入ってきました。まあ退職金ですが。

実はこの退職金についてはまったく手を付けていません。これは病気になったとか、火急の時に使うつもりでいます。

そこで定年退職後、これは私の感想でやってはいけないことを自分ながらに感じていることですが、①ギャンブル②投資③起業の3つを上げたいと思います。

人間暇になって小金を持つとギャンブルに走る傾向にありますが、ギャンブルは依存症が強く、パチンコなどは特にその傾向が強いです。ギャンブルをやめたくてもやめられない状況にあるのは、困ったものですが、暇つぶしにギャンブルをやるのは反対です。

せっかく長い間サラリーマン生活で稼いだお金をギャンブルに費やすのはご自身だけではなくご家族も不幸になります。

実は私たち夫婦も退職後、香港・マカオの旅に行っていますが、ギャンブルは一切やっておりません。まあマカオの風景を楽しんだくらいで、もう1つはギャンブルをやる人々の一喜一憂の表情を観察したくらいです。

私たち夫婦がギャンブル嫌いなのは共通しています。

次に投資ですが、もともと保有している株などは問題ないのですが、本来、株は年中売り買いするモノではなく、その会社を応援する意味合いで保有するべきと考えています。私は長く建設業界で働いてきましたのでゼネコン株を一定数保有していますが、それ以上は特に持っていません。

売り買いはせず、ただ持っているだけです。株も投信もその程度に留めた方が賢明でしょう。これが日々、パソコンの前に座って売り買いを繰り返すというのもバクチと変わりません。聞くところによりますと個人投資家の90%は損しているとのことです。素人が手を出す世界ではありません。

次に起業ですが、これはよほど旨味のある商材があれば別ですが、倒産取材を手がけている私にとっては60歳以降の倒産が多いと感じており、一国一城の主になりたい気持ちも理解できますが、商売はそうそう甘くありません。

それに倒産すれば、周囲も巻き込んで不幸になり、60歳を超えて再起を期すというのも難しいです。個人事業で細々と働いた方がいいと考えています。

私は60歳以降はなにをするべきかといえば、「働いた方がいいです」という結論です。もちろん再雇用の道もありますが、繰り返し述べているように個人事業の道を模索して欲しいのです。

いや「私は旅行をしたい」という希望もあるかも知れませんが、私も働きながらも旅行しています。年中旅行するのも現実的ではありません。

7月あたりには、長野に行きたい希望がありますが、これも働いても可能なのです。

しかも格安で行けます。

うぬぼれではなく、社会における私の役割は終わっていないです。まだまだ、社会から求められている以上、個人事業主として頑張っていくつもりです。

リリーフとしての役割

今月はずいぶん仕事しました。スポット的に11Pの取材・執筆の仕事が入ってきてそれを5月中に完了するという依頼でしたので、普段の倍以上執筆しています。

5月にどのくらい書いたかと言えば、ざっくり6万字はゆうに超えたでしょう。この11Pものだけでもおおよそ3万字を軽く超えていますので、通常取材も含めると疲れました。

この文章を書いているのは5月26日ですが、さすがに文章を書くのも飽きました。ちょっとした小冊子の執筆です。

5月はゴールデンウィークでしたが、私には休暇はありませんでした。通常のweb記事執筆をゴールデンウィークにあて、それから本格的に11Pモノに取りかかりました。これは会社に取材し、その後執筆しますが、短期間での依頼でしたから大変でした。締め切りがなければそれほど問題はないのですが、間に合うかなと心配していました。

原稿入稿にもメドが付きましたが、50を過ぎた自分で言うのもなんですがまだ私は若いです。

個人事業主で必要なことはいろいろありますが、若さを失わないことかなと今月感じたことです。

私が生まれる前に、巨人にリリーフの草分け的な存在の宮田征典さんが8時半に登板することが多かったので、アナウンサーが「8時半の男」と命名されました。

そして私が野球を見ていたときは、鹿取義隆さんがその役割を担っていました。

地味ではありますが、いないと困る存在でした。巨人の王監督から、「ピッチャー 鹿取」と言わない日がないほど毎日登板していました。

この11Pにしても、社内で作成が可能であれば外部に委託することはなかったのです。しかし、人手がいないなど諸般の事情で私にこの回ってきました。広告はすでに決まっている時に、それなりの紙面を埋めないと会社にとっても収入減につながることから、死活問題でもあるのです。

なんでも記事を載せればいいというのであれば簡単ですが、私は基本、広告出稿先が関心が持てる原稿にする必要があると考えていましたので、それに沿った企画を立案しました。アポ取りから取材、執筆まで一気通貫で進めましたが、リリーフピッチャーのような役割は果たしたと思います。

フリーランスは抑えの切り札のような存在だなと感じた5月でした。

 

フリーライターって食べていけるんですか?

フリーライターって食べていけるんですか?」という質問は実に多いです。

サラリーマン、個人事業主さまざまな方からこの質問に答えてきました。

中には勘違いされる方もおり、私が名刺を提出すると、「悪い政治家や官僚を追求する仕事ですか」と聞かれますが、私は「それはジャーナリストでちょっと違いますね」と答えることにしています。

ちなみに、先日、とある編集者と一緒に仕事をし、ライター業界についてうかがったのですが、抱えているライターは30代と予想外に若かった印象がありました。

ライターも単独で食べていくのは難しいようで私もそうなのですが妻との二馬力です。

あとは借金がないことも大きいです。

家のリノベーションを済まし、子宝には恵まれない人生でした。これが子の成長でもあれば、子どものためにサラリーマンを続けていたかも知れません。何しろ学費がかかりますので学費のために働いていたでしょう。

以前の同僚は、「子どもが大学行きたいと言えば国公立大、それ以外は無理」「うちはカネがないので、できれば子どもは高校卒から市役所勤務になればありがたい」と言っていましたが今はどの家庭もシビアです。私は私立高校から私大文系でしたので親には結構迷惑をかけたかも知れません。しかし、当時は学費は安かったのです。

聞くところによると、私の卒業までのルートで今の学費に換算するとおおよそ2000万円、もし公立文系大卒でも1,000万円はかかる時代です。

医学や理系はもっとかかります。そうなると仕事を辞めるどころか副業しなければ子どもの学費は無理です。子どもは欲しかったのは事実ですが、こればかりは授かり物ですのでどうにもなりませんで、いろいろと葛藤もありました。

子どもを諦めた後、私たち夫婦は2人で楽しく生きていこうと方向をチェンジし、漠然とジョブチェンジの道を模索していました。

ジョブチェンジ後の私と妻との収入を合わせれば、そうそう食うに困らないレベルで世帯収入を考えると悪くありません。それと大きいのは旅行に行くにしても、繁忙期を外せるので安く行けます。

妻が気が向いて旅行に行こうと言えば、スケジュールを調整して行くことが可能です。サラリーマン時代は忙しくなかなか旅行に行けなかったのですが、今はそういうこともありません。

私が1人で生活し、ライターの仕事をすれば食べていくことはなかなか難しいのですが、夫婦ふたりで力を合わせれば困らないというのが実情です。

収入が減るとともに生活をコンパクトにしていますが、50歳を過ぎて支出を下げることによって食べていくことは可能です。

これもいつか書こうと考えていますがサラリーマンの労力を100とすれば、同じ時間働いたとしても個人事業主は60です。この差は大きく、父がなぜ個人事業を80歳まで続けられたか今ならよく理解できます。

細いながらも長く働いた人生でしたが、やはりサラリーマンはどこかで金属疲労を起こすのでしょう。

そしてライターとして食べていくためには一定の専門分野が必要で他のライターとの差別化も必要です。私の場合は、建設業なのですが、食べていけるライターも同様と想像しています。

 

60歳以降のギャンブル

建設業界は比較的にギャンブルする人が多く、私も若いときは徹マンをしたことがありました。断っておきますが、今はまったくギャンブルはしていません。

ギャンブルは生活に刺激を与えますが、私は一定の年を取ればギャンブルから足を洗うべきかと考えます。

というのも生活自体、コンパクトにしていく中で、むしろギャンブルは拡大志向であることと、ギャンブルにはまりますとパチンコも含めて、とてつもなくお金をつぎ込むことになり、生活に困窮することになるからです。

私はトイレを借りにパチンコをせずにパチンコ屋に入ることがありますが、高齢者が漫然とパチンコを打っている中で、少しいらだちを感じることがあります。

先進国で都市部の駅前にこれだけどうどうとカジノに近いギャンブル場があることはとても恥ずべきことです。それにパチンコなどは1時間で1万円くらい消えてなくなるとかで、まあ1万円があればなにができるかをよく考えるべきです。

50歳を過ぎた私も生活のコンパクト化を提唱していますが、ギャンブルはコンパクト化から真逆なものと言えます。使えるお金もかなり限られてきます。

趣味の本や映画など健全な趣味には一定数使うことはあるでしょう。あるいは家具など身近な生活用品にお金をかけることがあってもいいのです。

しかし、ギャンブルはなんのスキル向上にもつながらず、刺激にはなっても生活に潤いを与えずまったくのムダです。

ギャンブルをする時間があれば働いた方がいいです。サラリーマンのお小遣いが3万円くらいですが、せいぜい昼飯代と書籍代で消えてなくなりますが、みなさんそのくらい慎ましやかな生活をしており、私もこのくらいのお小遣いです。

特に個人事業主になったので収入はがっくり減ったこともあり、結構節約はしています。

とはいえ、生活にはメリハリが必要で本代やアニメ関係にはそこそこ使っており、まったく潤いがないかと言えばそうではありません。

わたしは若くないのでいいますが、50を過ぎたら生活に刺激よりも潤いを大切にすべきと提起したい気持ちがあります。

若いウチは、刺激が欲しい気持ちは理解できます。ただ一定の年を取れば、刺激から潤いにシフトしていくことが自然ではないでしょうか。

広報という仕事~日大広報の問題点

今、日大アメフト部の問題が世間を騒がしていますが、私も内田前監督や井上前コーチに対する憤りはあります。

特に若い選手の将来の芽を潰すことをしながらも責任感がまったく感じていないことについて腹立たしく思います。

これについてはみなさんが多くのことを書かれているので割愛しますが、今回の日大の司会であり、広報の仕事の仕方についていろいろと問題点が多かったのでそれについて指摘したいと思います。

私も広報の仕事は15年ほど経験し、現在も広報とはおつきあいがありますのでその視点から申しますが、広報はまず「黒子に徹するべき」というのが私の信念です。

会社には社長なり、カリスマ的な人物がおりますが、その人物を輝かせることが役割の一つです。自分が出しゃばるべきではありません。

ただ、中には、代表と近い関係にあることから、自分も偉いと勘違いする人もおります。そうした広報は自分がしゃしゃり出てしまうのです。

そしてもう一つは、「腰の低さ」も大事であり、やはりいい記事を書いてもらうためには、記者やライターに対しては低姿勢になることも大きな役割です。

これは別に卑屈になれと言うことではありません。いい仕事をお互いにこなすために、お互いをリスペクトする精神が必要なのです。

ただ、今回の広報は記者上がりだったので、「オレが出張れば、若い記者なんかすぐ黙る」と思い違いをしたのでしょう。ただでさえ、日大アメフト問題で炎上している中で、広報がさらに炎上させてどうするのかと記者会見を見て感じていたことです。

写真を見ると司会者の年齢的には70近く。退官する頃です。しかし、記者会見であまりにも司会の進行が酷すぎたため、「日大ブランドは落ちますよ」と迫った際、司会者が「落ちません」と答えたのは司会者としての役割を逸脱しています。

そもそもこの会見は最初から炎上するという案件でしたので、司会者は淡々と自らの職務をこなし、低姿勢であるべきでした。

ただ記者にも問題があり、同じ質問を繰り返し続けることについて私もいらだちがありました。とはいえ司会者がそのいらだちを前面に出せば、記者から反感を買い、翌日のワイドショーや新聞などでは司会者についても酷いという意見が多数寄せられたのは自業自得です。

これは日大という日本一のマンモス校であり、少々のことでは揺らがないというおごりがあるのです。そのおごりがあの記者会見という結果だったと私は考えています。

 

50歳以降は仕事と生活のコンパクト化を

50歳を過ぎた今、目指しているのは人生のコンパクト化です。50歳は季節にたとえると秋になりますが、それまで拡大志向であった人生が縮小志向に変化していきます。

これは仕事も生活も同様です。

仕事も出世を目指し、30代~40代までは椅子取り競争で仕事も派手に行なっていた方も、この時期出世レースに敗れる方が多いです。みんながみんな勝てるわけではないのです。

同期みんなが部長になったらポストが余りますし、会社が潰れます。

このあたり、心の中で折り合いを見つけていくべきでしょう。同期が活躍しているのを尻目に自身を客観視すれば、衆目一致するところ、次はあいつが部長だなとまあわかるでしょう。

「となるとオレは次長止まりか」

ということも分かって来ます。場合によって役職定年で55歳あたりで任を解かれる可能性もありますが、その際、現在の仕事も次々と部下だった若者に仕事を譲り、仕事をコンパク化していったほうがいいです。

そして心の折り合いがつけば、今度は、定年後何をすべきかを考えた方がいいでしょう。この時期は、出世競争など拡大志向であった人生はじめて縮小するのですから、納得いかない人がとても多いのです。

私も実は心の中で葛藤がありました。心の中にモンスターを抱える気持ちも理解できます。

しかし、考えようによってはセカンドキャリアを活かし、第二の人生の準備ができる期間ということでなにができるを模索する時代に入ったと見てもいいのです。

正直、30年もサラリーマン生活をされた方はみなさん頑張ったでしょう。辛い思いをされた方も多いですが、このあたりで折り合いをつけて人生の後半戦を生きる道を探っていくことが大切です。

人生前半戦だけではなく後半戦も大事です。その際、「これはもう30~40代のあいつに仕事に任せてもいいな」というメドがつけば、権限や責任も付与し、相談を受けた場合、快く部下の成長を促すために適切な助言をするコーチのような役割を果たした方がいいでしょう。

こういうサラリーマン生活であれば、部下からも好かれますし、その後の少ない期間のサラリーマン人生も悪いようにならないです。

この時期は仕事をコンパクト化しますので、後輩の成長を促進するお手伝いをする役割に徹した方がいいです。後輩や部下は5年もあれば十分育成されますので、定年を迎える時と重なります。

定年を迎える時、請われて再雇用という道もありますが、自分が本当にやりたかったこと、あるいは、このキャリアであれば食べられるスキルを持っていって挑戦することをお勧めします。

前半戦では夢破れたことが多かったかも知れませんが、人生はまだ分かりません。後半戦という前半戦とほぼ同様な期間が待っているのです。