ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

4コママンガ全盛期時代の思い出

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4コママンガは好きでした。一時期はかなりの4コマ専門雑誌を買っていて、この「まんがタイムジャンボ」や「マンガタイムファミリー」も購読していました。

恐らくターゲットは暇な主婦層だったと思います。書き手も男性作家よりも女性作家が多く、主婦か派遣の方が副業で執筆することが多いと想像していました。

実はこの頃から専業作家は4コママンガ業界は何人いるだろうと思っていまして、これで食べていくのは相当厳しいと思っていました。

辛いサラリーマン生活の中で、4コママンガでの登場人物はいい人が多く、こういう人と出会いたかったという気持ちがあり、癒やしにもなりました。

私が4コママンガを読み始めたのはこだま学氏の『ナオミだもん』でした。

今、読むと遅刻魔で居眠りのシーンが多く、これが許された時代だったのだなとあらためていい時代だったと回想します。

こだま氏の手法は4コママンガをドラマ化するものでオチもありつつ、それぞれの人間模様や笑いがありました。

この人の手法を発展させたのは小池田マヤ氏でした。

一時期は、芳文社系の4コママンガすべてに両氏の漫画が連載されていた時期があり、看板作家でした。90年代~2000年代前半が4コママンガが乱立していたので想像以上に売れていました。

今回、両誌が休刊した経緯は簡単言うと売れないからです。もっというと雑誌そのものが売れません。芳文社とすれば売れない4コマ専門雑誌のリストラで人気のある作家だけを異動させたということです。

ですので4コマ漫画専業作家を長く続けるのはかなり難しいです。単行本一巻出して売れなければ2巻目は出さないルールですので、人知れず消えた作家が多い業界です。

一時期人気があった作家は今では作風が古くても当時は面白かったはずで、実体験の引きだしがないと描けなくなるのかも知れません。結婚されたか、普通の仕事に戻ったか、分かりませんがそれぞれ身の振り方は考えているでしょう。

ただ、時々、今、あの作家は何しているのだろうかと思い起こすことがあります。

ライターも引きだしが大事で、売れないネタを多発すると干されます。そのため、私も他人事と受け取っていません。

 

 

会社は学校だった気がしますね

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昔の上司から、「たまには飯でも」というお誘いが来ました。

ライターは結構人恋しさもあるので、会って食事しました。かつての会社であり、お世話になったお礼とともに、会社のことについていろいろと情報交換をしました。

その際、私は、「恩義は感じていますし、恨んではいませんよ」と伝えました。

私は会社は今思えば、お金をもらえる学校だったような気がします。もちろん働きました。

あの当時、私も若かったので夜の12時まで仕事しても平気でした。酒も飲み、今後の会社のあり方についても情熱的に意見を交わしていた時代です。

こんな時代があったのかと自分でも見まごうほどに情熱があったのでしょう。

その会社をいろいろあって辞めた訳ですが、一度は情熱を傾けた会社で、それなりに仕事はしてきました。

今日強い影響与えたのは紛れもなくこの会社であったと言えます。

そういう意味で私にとってふさわしい言葉は「退職」よりも「卒業」だったといえます。

そんな上司から正式な依頼でもありませんし、会社の上層部が認めるかは不透明ですが、仕事の依頼が本筋の話でした。

私は今の仕事でイッパイイッパイの状況を話した上で、「いざというときは一肌脱ぎましょう」と話しました。

私が断らなかったのは、この元上司から頼まれれば嫌とは言えません。この方の人間性によるのでしょう。

私は人に対して恨み辛みというのはあまりありません。長く根に持つタイプでもなく、あの時はあの時、この時はこの時と発想の転換が割合にできます。

実は会う前に仕事の依頼でしたら断るつもりでした。これ以上の仕事は抱えたくないというのがホンネなのです。

ただいざ頼まれると、仕事のアイディアを出し、こういう企画を立てればいいのではとアドバイスしますので、私も自分でいってはいけませんが、お人好しであることにはあまり変わりありません。

本当はこういう性格は損することが多いのですが。ただ、一時はお世話になっていた会社が困っているときにほっておくほど悪人ではありません。

フリーランスとして力を貸して欲しいという依頼であれば断る筋合いでもなく、仕事が増えると言うことでもありますが、まだまだ私も役に立つのでしょう。

 

 

サラリーマンも官僚も逃げる勇気をもとう

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サラリーマンを辞めて思うことは、日本がいかに自殺大国であり、官僚もサラリーマンも思い悩んでいることが多すぎることです。

どのようなことで悩んでいるかは各個人によって異なりますが、おおくは借金、パワハラ・セクハラや特殊な事項では、政治家の思惑に巻き込まれるなど、自殺を試みる方は多くいます。

ホームドアは私は効果があり、是非、JR東日本は進めて欲しいと願っているのですが、ソフト面で言えば、あえて私はいいたいのは、「逃げる勇気」です。

パワハラ・セクハラが横行している会社は、私はその会社にいる価値があるとは思えません。しかし、困ったことに日本は、相談相手が少なく、日本弁護士会は、「一人で悩みを抱えている人が多いにも関わらず、約8割が弁護士に相談していない人という結果」を発表しました。

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どうも日本人はうちにこもることが多いようで相談する相手がいないというのは悲劇なのですが、弁護士に相談してもいいですし、身近な家族にも本当は相談した方がいいです。

そして、思い切って逃げることを考えた方がいいです。逃げることは私は恥ずかしいと思っていません。

会社からも逃げてもいいのです。理不尽な仕事を押しつけられ、場合によってトカゲのしっぽになり、全責任を押しつけられるような扱いを受けたりすることはサラリーマン社会ではゴマンとあります。

また、今回の官僚の自殺も同様だったかも知れません。

逃げるにあたって最後に頼れる相手は家族です。家族が最大の味方になってくれるでしょう。

そしてもう一つ。私はサラリーマン時代、ほかの仕事はともかく、一つの仕事に特化するような手法を行なってきました。

社内ライターという特殊な仕事だったのですが、この仕事は大好きでした。もちろん、ほかの仕事もあるのですが、この仕事が得意でしたので、会社から逃げるに当たり、このスキルをもって逃げることが出来たのです。

このスキルが無ければ逃げることはできなかったでしょう。

わたしもただ単に逃げるべきと提言するだけではなく、サラリーマンが逃げるためにはたった一つのスキルでもいいですから、逃げ道を確保すべきだと考えています。

「もうあかん我慢できない」

と思ったら、家族に相談すべきです。かならず逃げる道は開けるでしょう。

 

ブログに政治を持込まないワケ

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私はブログには、政治色を排除しています。政治に対する信念はそれなりにありますが、政治ブログを書けば一定の需要があることも理解している反面、政治や政局について書くことは前職でお腹いっぱいです。

前職の社長は人間的には、素晴らしい方ですが、「政治で変えたい」という思いが強すぎました。政治パーティーにもいろいろ出席しましたが、そんなに面白いものではありませんでした。

夜のパーティー、朝食会どちらにしても時間が食われ、サラリーマンにとっては残業代、早朝出勤代が出ませんので損するだけです。

政治パーティーではできるだけ前に陣取り、声を大にして応援する姿を見せつけるのが団体の仕事です。

それに政治の仕事というのはこういっては身もふたもないですがなんのキャリアにもならなかったのです。

特定政治家を賛美し、そういう文章を書いていましたが、耐えられませんでした。

北朝鮮プロパガンダとなんら変わりません。

「政治家と知り合いになれるからいいじゃないか」

という声もあるかも知れませんが、それはあくまで社長のカネと団体の票を当て込んでおり、政治家が頭を下げるのは票とカネであってその人個人ではありません。

それに私は、政治については距離感が必要だと考えていました。仕事として政治家と付き合うことがあってもその距離はほどほどでいいというのが私の考えです。

もちろん、私は現在でも政治の取材をしますが、特定政治家や政党に偏った記事は書いておりません。ポジショントークでの政治記事は執筆しておりません。

ただ、政治団体では中には勘違いしている人もおり、政治家と付き合うと自分も偉くなったような錯覚に陥ることがあります。

私はこういう方を多く見てきましたが、この錯覚を持つ方にはほとほと嫌悪感がありました。

政治家が偉い(これはまあ分かります)⇒政治家とつきあいがある⇒オレ偉い(これは違う)

まあこんな感じです。こんな姿を間近に見ていると嫌になります。

政治と関わると人間の醜い姿を見ることが多かったです。

 

 

青色申告会に入会した方がいいのかな?

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ズバリ、私のブログネタの風呂敷は空っぽになりました。

風呂敷がある時は、執筆時間はそれほどかからず、思いつくまま気の向くまま書いていましたが、ついにネタがなくなりました。

実は本ブログは深夜12時にアップするように予約公開するシステムですが、事前に原稿を書いています。

ところがここ数日、仕事の原稿を含めまったく何も書いていません。

ここ数日、確定申告で忙しかったからです。この作業は一切カネにならず、しかし、節税が可能になりますので、個人事業主の人はみなさん必死です。

やはりこの時期は混雑が激しく、青色申告会の方々もボランティアで説明しました。

私と妻が青色申告会の説明を受けましたが、私はふたりがなにを言っているかサッパリわかりませんでしたが、妻は理解していたようで、青色申告会の方は妻を褒めていました。

その後、健康診断を行ない、終わった後、妻と飯を食べ、それから急ぎの原稿を書き終えて、寝たのが深夜の2時で疲れ果てました。

個人事業主は確定申告時期が一番忙しいとよく言われる話ですが、今回、実感しました。

仕事もそれなりに気運に乗りましたので今年は昨年よりも稼げる予定です。そうすると税金の問題もあり、税金の指南について青色申告会に入会した方が良いのかなと思っています。

もちろん入会金などもあり、ただではないのですが、税金のことを考えるとメリットもそれなりにあります。

私は組合とか、なんとか会とかに入会することについてやはりメリットを考えます。

私は政治色の団体には左右問わず入会しませんし、政治団体は前職の関係で入会していましたが、本当は政治の仕事は嫌で嫌で仕方が無かったのです。

特定の政党や団体を応援することはためらいがあります。

ただ、個人事業主として考えることは青色申告会は入会を検討した方がいいです。それぞれの規模によりますが、今、検討中です。

 

 

確定申告は会計の達人である妻にお任せ

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確定申告については、私では手に負えないものですので、妻に助けてもらっています。

もちろん、事前の書類や具体的な収入・支出については私の方で準備をしますが、それをまとめる作業は私が行うことが出来ず、妻がテキパキとやっています。

おかげさまではじめての確定申告についても無事終わりました。

脱税(×)節税(〇)もバッチリです。

といいますのは私は数字にめっきり弱く、前の会社でも会計担当者に迷惑をかけていました。

そこで会計業務は数字に強く、もともと商売人の娘であった妻が担当していると言うことです。

個人事業主は頼れる相手というのはやはり家族であり、家族がある分野に精通しているのであれば大いに頼るべきです。

文章やイラストが描けても数字がダメという人はゴマンといますが、そういう人が自力で確定申告を行うのは大変です。

妻も個人事業主同士の情報交換をしており、女子同士で税務署の内実の情報交換をしております。

人付き合いが得意でもなく、私も商工会とかそういう組織に属していないため、妻からもたらされる税金関係の情報はありがたいです。

町内会や近所づきあいも妻に任せており、ここの地域は個人事業主も多く、それなりの情報交換もしています。

私もたいして稼いでいませんが、まあ税金は安くしてもらいたいですし、一昨年年末退職し、昨年払った税金は多額でしたので今年から税金は安くして欲しいです。

なるべくなら経費もいろいろと認めて欲しいです。

とはいえ、この地元の個人事業主同士の女子トークは、私から見るとどうでもいい情報ばかり話しているように思えるのですが、なかには貴重な情報もあり、意外と活用できるのです。

しかも、話している内容も個人事業主にとって税金や経費についてですから、私としては切実で、この経費は具体的などの金額まで認められるかという先輩からの意見はなかなか聞ける機会はありません。

個人事業主にとってはこういう頼れる先輩が必要です。

裁量労働制は滅私奉公を求める日本企業にはなじまない

www.nikkei.com

建設業は裁量労働制を採用している会社は少なからずあり、会社側が一定の金額を給料に上乗せすれば、個人の裁量によって労働時間が決まります。

しかし、長年、建設業の労働慣習を取材してきた私にとっては、体よく企業に利用され、定額使い放題になるのがオチだと見ています。

裁量労働制はヨーロッパや中国のように個の確立がしっかりしている国にとっては、良いのかも知れませんが、滅私奉公で、お互いがお互いを監視する日本企業にとってなじみません。

それに、日本は労働組合も機能していませんので訴える場所もありません。

ハッキリ言いますと、日本の企業が性善説に立てばよく運用できる制度だと思います。しかし、滅私奉公を要求する日本企業では、この制度は望ましくないというのが私の見立てです。

特に古巣の建設業界では悪用されまくりだろうなと容易に想像できます。80年代後半から日本企業の労働環境を見てきましたが年々悪化していますし、労働者の意識も同様に悪くなっています。

滅私奉公をしなければクビになるという恐怖のもとで働いていることと、少しでも楽をしている同僚を許さず、同様に同僚にも滅私奉公を求めるサラリーマンが多いのです。

そういう意識の変化も会社側もうまく悪用して、別にカネをもらえるわけでもないのに、言葉の上だけでは重用します。

会社にとっては憎まれ役や汚れ役は必要なので、うまくおだてて全社的に滅私奉公が可能な環境にすれば、望ましいことで経営者側がこの制度を強く望むのは、会社側にとって有利だからです。

本来の裁量労働制は、「今年のノルマを達成したので、あとは1週間有休取得する」と宣言し、会社側も認めればそれは良い制度なのです。

ところが仮にノルマを達成したところで休めるかと言えばノーです。さらに上乗せされたノルマを達成せよということになるでしょう。

裁量労働制は中国やヨーロッパでは恐らくうまく運用できるでしょう。しかし、日本と韓国のように労働者の立場が悪く、労働者同士で監視し合う社会ではさらなる監視社会が待っています。

日韓はお互いいがみ合う仲ですが、労働環境は驚くほど似ていて、兄弟姉妹のようです。

結論を言えば労働裁量制は決して万能ではなく、その国にあった働き方を考えるべきです。個の確立が出来る国では望ましいですが、日本にとっては悪用されるだけです。

「経営者目線が必要」という言葉に騙されず労働者は反対すべきでしょう。