ライター 長井の気ままな生活

気ままなライター生活を綴ります

フリーランスが一杯食わされた後の対処法

nagaisan00.hatenablog.com

フリーランスの立場が弱いという話は昨日書きましたが、なぜかふだんより読まれました。

はてなブックマートから多くのお客さんがいらして読んでいただけましてありがたいと思います。

そして激励の言葉もいただき、明日から仕事するぞーという気になりました。

フリーランスはやや孤独な面があり、励ましの言葉をいただくことはあまりないのですが、こうして会ったことがない方からいろいろと激励されますと嬉しくなります。

だから、私は本当に感謝しています

実は、日曜日は原稿執筆するのですが、腹が立って記事が書けませんでした。昼寝したり、気分転換に図書館に行ったり、好きなピアノやバイオリンの音楽聴いて気を紛らわしていました。

さて昨日の記事を読んでいただければわかりやすいのですが、あらためてフリーランスの立場は弱いなあと思います。

結局、編集者からは期待だけさせて最後は、「言い値」を受け入れざるを得ないのですが、こういう話はライターだけではなく、ほかのフリーランスでもあるのだろうなと想像しています。

ほかのフリーランスの方のブログを見てもだいたいは泣き寝入りで、抗議をする方はほとんどいないのが実態です。

結局のところ、こういう編集者と関わり合いを持たないことがベストなのですが、それをどう判断できるか分らないのです。

ただ、今年は3件ほど酷い目に遭いましたが、共通していることはふだん連絡がない編集者が突然連絡してこれこれ記事を書いて欲しいという案件が多かったです。

想像するに、他から断られた案件を持ってきたと言うことかも知れません。

自分もフリーランスをはじめたばかりですべてがわかっているわけではありませんが、おつきあいのない編集者から依頼が来た場合は、本当に気をつけなければならないなということを肝に銘じたいところです。

今回、私の感想は、

「一杯食わされた」に尽きます。

あらためて仕事で大切なことは、「真摯」と「誠実」だと思います。

そこで対処法というのは残念ながら、私も多くを語ることはできませんが、その2点が欠けている編集者とのおつきあいは、一切しないと言うことです。

私は性格上、声をあらげて抗議をするタイプではありません。

静かに、今後、この原稿を執筆することはできませんと淡々と伝えるだけに留めています。

あまり参考にならないかも知れませんが、私がいまいえるのはこのことだけです。

うーん。騙された。しかし、次はない。

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タイトルではよく分らないですね。

最初の依頼は2,000字執筆とのことでした。実は、私は指定以上に執筆することが多いです。

しかし、編集者がその原稿を追記し、結局、私の執筆した分量はおおよそ1,000字に削られ、ペンネーム記名もなくなりました。

そこまではいいのですが、当初予定していた原稿料も半分に削減させられました。この原稿、国や企業・団体にの広報に連絡し、資料・写真及びコメントを取り寄せたので、とてもこの金額では割に合わないのです。

「美味しい内容だけ取られたか」と憤慨はしないにせよ、内心、今の私の心情は穏やかではありません。

手間がかかるところを安価で調査させて、楽な部分を編集者自身が取材し、それを追記し、依頼原稿を大幅に削る。そして原稿料も大幅に減らす。

「こういうやり方があったのか」と逆に感心もしました。そして、タイトルである

「うーん。騙された。しかし、次はない」とつぶやいたのです。

実はこの原稿はシリーズモノ初弾だったので引き受けまして、当初指定された原稿代が悪くないので、「やってみるか」と始めましたが、結局、裏切られた結果になりました。

編集者の立場からすれば大幅に安くできたのですから御の字でしょう。

しかし、ライターの立場からすれば、この金額では二度目は絶対ありえません。

「難しいところをライターに調べさせて、原稿料を安く上げ、しかも手柄はすべて編集者が取っていったか」

本当にフリーランスの世界は魑魅魍魎の世界であり、私のように騙されるケースも少なからずあります。

私は騙した編集者については二度と信用することはありません。

編集者に対して恨み節を言うつもりもありません。ただし、その編集者と一緒に仕事をすることはありません。

一度騙した編集者は二度も三度も騙すからです。

 

 

 

富岡八幡宮の殺害事件について思うこと

私は時事ネタについてはあまり本ブログで取り上げることはありません。

しかし、今回の富岡八幡宮ではやるせない思いもあり、書くことにしました。

色々と報道されていることをチェックすると根っこは姉弟喧嘩でもあり、東京都内では格の高い神社宮司の跡目争い、神社にまつわるお金を巡る資産争いなどさまざまな面が浮かび上がってきます。

これが田舎であれば、神社だけではなくお寺も貧乏なことも多く、お子さんや娘婿も継ぎたくない方が多く、今は後継者不足の問題が進行中ですが、都心部でお金のある神社となるとこうした問題も起るようです。

私はあまり神も仏も熱心に信じるタイプではなく、まあ何かあった時だけ、お参りに行くタイプです。実は富岡八幡宮も何回かお参りに行っています。

その時、富岡家の姉弟宮司の地位を巡って大げんかをしている最中であることは知ることもなかったのですが。

それにしても弟が姉を日本刀で殺し、運転手も刺し、最後は弟夫婦も自刃する顛末を見て、人間はお金や名誉を目の前にすると、世の中神も仏もないなと思います。

なまじ、資産や地位があると人間は欲が絡み、見失ってしまうのか。

それとも弟視点からすれば、「オレの方が宮司にふさわしい」という自負があったのか。

今となっては知るよしもありませんが、私はサラリーマンを退職する際に、こうした「自負」や「欲」などから背を向けた人間です。

実は、サラリーマンにとって、「自負」や「欲」は必要で出世するためには、

「オレは優れた人間だ」と思うことも不可欠なのです。

そういう意味で、私はサラリーマンとしては「負け組」です。

ただしそれが極端な例で人への悪意や殺害に向けてくる現実を見ると、「負け組」でもいいかなと常々感じます。

それでも隠居することをせず、ライティングという生業をこなし働いているのは、世の中でさまざまな経済的、社会的、政治的事象があり、好奇心が強い私にとっては、この世の中から隠遁することについてはまだ早いのです。

この富岡八幡宮も一つの社会的事象でありますが、多くの識者が分析することでしょう。その中で私も取材することがあるかも知れません。

サザエさん一家はどこに行ったのか

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長谷川町子さん原作の「サザエさん」の舞台は、世田谷区・桜新町ですが、サザエさん通りもあり、「長谷川町子美術館」もあります。

近隣の公園にサザエさん一家銅像もありましたので撮影しました。

まあ、取材での帰り道に同博物館の裏手にひっそりとたつ銅像を見て、

「昭和も遠くなったなあ」と感じました。

昭和から平成へそして今度は新しい元号となり、また時代が変遷していきます。

そして、「今こういう家族がなかなかいないだろうな」と感慨にふけりました。

何しろ核家族化が進み、昔は大家族で一つの家に住んでいたライフスタイルが、少数の家族が同居する方向に変化し、今後は単身者が増えるというデータもあります。

私の時代でも核家族化は進展していまして、基本うちは4人暮らしでした。

それから姉の独立、両親の死、私自身や甥の結婚などさまざまな風景の変化を見つつ、

サザエさんのような一家を見つけるのは難しい時代になったな」

という感想を持っています。

私は、昭和時代が必ずしも良いと思っていません。核家族化も時代の必然だったのでしょう。それに安易に、私は、「昔は良かった」というタイプの人間ではないのです。

親戚同士のつながりが希薄になることも、国の先進化とともに進展していきます。

「寂しいか」と聞かれますと、「いやむしろ気が楽です」と答えます。

せいぜいつきあいと言えば冠婚葬祭くらいでしょうが、それも代が変ると、だんだんとつきあいも薄くなり、最後は年賀状のみの交際くらいでしょうか。

今は私には知っている親戚はいるにしても、親と違い積極的に付き合おうとするタイプでもありません。

姉とは年1回会食して、話し合いますがほかの親戚となると、特にこちらも用件がないので無理に訪問することはありません。

姉以外の親戚が家に訪問したいという意向があればそれは一大事でよほど強いお願い事があるときですが、今のところはそういうこともありません。

サザエさん銅像を見ながらいろいろと自分の身辺を考えることがありました。

 

今年は何回まとめサイトで転載されたか数えきれませんね

bakuhatujinnsei.hatenablog.com

私が拝読しています、『人生にありがとう!!!! 』では、まとめサイトに転載されていることに憤慨する記事を書かれていましたが、まあ同感ですね。

私はwebニュースでいろいろと執筆していますが、提携しているニュースサイトが転載するのはこれは当然なことで、ライターとしてもほかのニュースサイトでの転載はむしろ光栄だと思っています。

しかし、よくわからないまとめサイトに転載されて、勝手に議論されても困ります。私が抗議したくも抗議の先が分りませんし、いつから日本は著作権にこんなに緩くなったのかなと憤慨しています。

私は、新聞を読んでその中から「これはいいネタだ」と思えば、編集部に企画立案し、通ることもあり、通らないこともありますが、その中から企画が通れば今度は企業や団体に企画書を送り、先方さんが了承すれば、今度はインタビューです。

インタビューが終わればテープ起こし。それを整理して記事化する。結構手間がかかっているのに、まとめサイトの人は、なんの苦労もなくコピペしてサイトに掲載します。

自分で言うのはなんですが段取りを踏んで丁寧に取材執筆していますが、まとめサイトの方はそれをなんの罪悪感もなく、泥棒するわけです。

まあ許せませんね。

ただ許せないと言っても今はどうにもなりません。

しかも中にはまとめサイトでいい収入を得ている話も聞きます。

この収入のニュースを見ていますと、私よりもはるかにいい金額でした。

記事泥棒する方が収入が高く、コツコツまじめに記事執筆しているライターが収入が低くなると、モチベーションにも関わってきます。

 

 

 

12月6日は姉の日 姉へ伝えたい言葉

kihaseason2015.hatenablog.com

私が読んでいます「風に吹かれて旅するブログ」によりますと、本日は姉の日で、民俗学者柳田国男が提唱したとのことです。

そんな私にも姉がいて、私は姉の人生はうらやましく思っています。

とにかく自由闊達で、組織人には向いていません。しかし、ありあまる才能があり、とにかく語学面やピアノの才能に優れ、一時は音楽大学に行こうと夢を持っていた人です。

親は私にも期待を寄せて姉がピアノの才能があるから弟にもあるのではと思いましたが、弟の私はまるでダメ。それどころかすべての才能で姉に勝てる部分はなく、親から見て、賢姉愚弟で、私にはあまり期待しませんでした。

姉はそんな愚弟には厳しくピアノを指導しましたが、当時、幼かったせいもあり、泣き出しました。

そんな姉と弟を比べて世間様や親戚は、

「姉は優秀なのに、弟はポンコツだ」との評価でした。

ただ弟からするとそう評価されますと面白くなく、姉弟喧嘩も増えてきます。

一時はまったく口をきかない日々が結構長く続きました。

姉との和解は妻との結婚が契機で妻が姉と私との橋渡しをしてくれたことです。

今なら私は素直に姉に対して言えることは、

「あの時、いじわるしてごめんね」と素直に謝ることです。

そして今は私は、YouTubeなどでピアノ音楽を聴いていますが、もし時間を巻き戻せるならば、素直に

「ピアノをまじめに取組めば良かったな」と姉に伝えることです。

私がライターになって、さまざまな方にインタビューしている姿を見て姉は影ながら応援してくれます。

そういう姉には感謝しています。

柳田国男は、女性の霊的な力を「妹の力」と表現しましたが、姉の応援も「妹の力」と言えるのかも知れません。

姉とは年1回は会食して近況報告します。姉はある時、「わたしは姉らしいことが今までできなかったから、このくらいはさせて欲しい」と言って奢ってくれました。

私は嬉しかったです。姉と私との関係を一言では言えませんが、今なら素直に「ありがとう」と言えます。

 

サラリーマン時代で嫌いだったのは飲み会でした

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実は、私はお酒が飲める体質ではありません。

身体が受け付けないのでしょう。妻もそうです。

ある日、妻の友人たちと一緒に飲んだことがあり、ホストの配慮でノンアルビールを飲みましたが、妻も私も身体が火照り、酔っ払った感覚に近い状態になったことがあります。あれは不思議でした。

ましてや、本当にお酒を飲んだら、頭は痛くなりますし、翌日仕事に差し障りがありますので酒の席というのは本音を言いますと困っていました。

サラリーマンとお酒というのは切っても切り離せない関係で飲み会にこまめに出席することが出世の道であり、お酒の席の効用は私も認めています。

ただ、ホンネはそこまでして出世したくなかったのです。前職の社長は、自身がお酒を飲まない方でも飲み会には積極的な方でした。

社長主催の飲み会は出席しなくてはなりません。

サラリーマンの飲み会については、そんな面白いものでもないです。日本の悪しき伝統です。

生産性が何一つありません。しかも中には会議なのか飲み会なのかよく区別が付かない会もあり、飲み会なのに、社長の話をみんな一糸乱れず、聞いて拝聴する場面もありました。

「こんなの昼間やればいいのになあ」

と心の中で思ったこともたくさんあります。それで社長の今後の方針を聞くわけですが、こういう場というのは、何のためにあるのかつかみきれないこともありました。

そして一方、サラリーマン時代はサラリーマンは大変だなと人ごとのように思っていました。よく質問を受けたことは、

「お酒を飲まないでどうやってストレス解消しているんですか」

ということでした。私は、

「別に酒飲まなくてもストレス解消法は人それぞれで行なっているのでは」と

回答しました。

個人事業主になりまして酒の席はめっきり減りました。たまに出席することもありますが、やはり自腹でお金を出すというのも痛く、酒の席からますます遠ざかっています。

しかし、飲み会に呼ばれることもめっきり減ったことで実はホッとしている自分がいます。