わたしサラリーマンの味方です
私は、長い間、サラリーマンをしていてその苦労もよくわかっている。
会社というのは理不尽な部分がかなりあって、その会社独特のルールや空気もあり、大変なのだ。
日本の会社はもっと合理的に業務を進める余地があると考えるがそうはなっていない。無駄な業務が多すぎるなって感じることが多い。
そしてその無駄な業務の犠牲になるのは意外と社内の中でもごく一部でそういう役割になると大変だ。
私は長く会社で文章系の仕事に従事していたが、書くことよりも根回しや了解を取る方が面倒だ。横やりはいくらでも入ってくるし、会議の時には何も言わなくても「後で話がある」と行って呼び出し、「オレはこの内容についてはこう思う」と私に言ってくる人が山ほどいて本当に困った。
「文章書いて給料もらえるんだから楽でいいじゃん」
と言われそうだが、そんなことは決してない。
対外的に発表する内容であるため、色々と各部や偉いさんに了解取る根回しというのが本当に大変だ。
むしろ、文章執筆が仕事の2割だとすれば根回しと了解は8割くらいか。
ただし、社内でライターを抱える会社はほとんどない。私のような存在が逆に珍しかった。社内ライターという存在は会社にとって金食い虫でもあり、少なくとも社内ではそれほどよく思われていなかったこともよく理解している。
そこで社内の文章たとえば広報誌などの業務をすべて丸投げする作業が必要になる。
企業系ライターは広報誌やホームページ、社史などの文章を一手に引き受ける職人ライターだ。
私は通常は、web系ニュースのライターだが、企業のある特殊な分野のライターを行なっている。
話を聞いていくと、担当者は私と同様な相当苦労されているなという感触も理解する。
そこでこの仕事はどうすれば合理的に仕事が進むかという視点から、ライターの業務を超え、全体像の進め方を進言することがある。
そういう時は、私はwebニュースの仕事を一時的にストップし、ほとんどの業務をその担当者のために執筆する。
その担当者の苦労をなるべく無くすのがライターの仕事であると考えているからだ。
去年までサラリーマンをしていた私にはこうした担当者の苦労は察するにあまりある。
私が一時的にニュース記事を書かなくても困る人はいないが、企業系記事は締め切りがある。
締め切りを破ればその担当者が上司から怒られる。そんな悲しい思いをさせたくない。
そうした時、いつも
「わたしサラリーマンの味方です」という立ち位置で仕事をするのだ。
ライター同士の思想対立
ライターにはジャーナリストほどではないが立ち位置がある。
私の場合でも若干あり、在日外国人やマイノリティーに寄り添うような記事が多く、働き方では労働者に、夫婦関係では妻側に立つことが多い。
ギャンブルを推奨する記事も絶対書かない。
先日、取材した方に、私が執筆しているとあるwebニュースのことを論評されたが、
「あそこ面白いよね。マッチで火をつける役割のライターと消防の役割をするライターが共存しているよね」と言われた。
そこで、私は、「火消しの役割のライターです」と話した。世間ではそれをマッチポンプというのだが、このwebニュースの編集は絶妙なバランスで両ライターを活用している。
これが雑誌だとこうはいかない。
例えば保守系論壇の「正論」などは保守の人間で安倍首相を擁護するが、革新系の雑誌である「世界」だと批判記事であふれている。正論の書き手は世界には書かないし、逆もしかり。
このweb系ニュースはどっちもありだが、ライター同士は思想対立についてどう考えるかと言えば私はまったく興味がない。
おそらくほかのライターも同じことを考えていると思う。
Twitterで思想がどうのこうので喧嘩するのも面倒くさいし、ネットで討論しても不毛であると保守リベラルライター問わず考えているからではないだろうか。
何よりもカネにもならないことはしたくないのだろう。
そんなかんやで私の場合は極論は言わない。なるべくバランスの取れた記事を心得つつも、若干自分の思想もテイストする。
ただ世間でのライターの存在はどっちも必要なのだろう。まあ思想が違っても飲み会の席では仲良くしたいと考えている。
ライター・編集のお手伝い人が欲しいというものの
仕事が忙しい。困った。
私の仕事は単純に言うと、インタビューをして、それからテープ起こしをし、原稿にまとめる作業なのだが、まあ仕事は結構ある。
webニュースが中心だが、正直言うと自分1人で仕事をするには少々辛くなってきた。
仕事は序列があり、韓国・朝鮮関係のライターであると生ものであるため、そちらを優先することが多く、「これはいつでもいいな」と判断した際は、後日に回すことも多い。
ただし、取材した人はいつ掲載するか期待するのは当然であり、しばらく放置しているとある日、「どうでしょうか」という連絡が来る。
そうすると私も必死にいついつまでにあげますと返事をするのだが、やっぱりしんどいと言えばしんどい。
今心の底からお手伝い人が欲しいと待望しているのだが、そうなるとライターというよりも1人編集プロダクションの仕事になるし、好きでライターの仕事をやることで独立したのでこれでは本末転倒になる。
仕事の一部をランサーズかクラウドワークスに頼んで委託すれば良いかも知れないが、その人たちも顔も見えない人であるし、頼むことには躊躇するのが本音。
ただ、せめてテープ起こしだけでも誰かやってくれないかなあと思う。
そうなるとやはり現実的には仕事を減らすしかない。
各社とも最低このくらいは書いて欲しいという要望があるが今は本当に難しい。
ただ私も自分でいっちゃいけないが人がいい性格しているので頼まれると断れないことも多い。
そしてまた書くことが好きなため、次々とネタが浮かび、企画書を立案し、提出してしまう。気がついたら、1人では手に負えなくなってしまったという状況だ。
現役時代は文章を執筆しつつも、くだらない根回しや稟議書や事務作業に追われていたため、ストレスはおおいに蓄積されていたのだが、今の悩みは仕事をどうやったらさばけるかということだ。
確かに好きなライティングに専念できるのは嬉しいことだが、一方、分量は現役時代の数倍になっているため、頭を抱えている。
こういう時はライターか編集のお友達が入れば、何とかなるのだろうが独立したての私にはそういう人もいないし、頼れる友人もいない。
ほかのライターは、クラウドワークスやランサーズを活用しているのだろうが、今どうしようかと思案しているところだ。
率直に言うとテープ起こしでも助かる。
取材した相手から、「あれいつ載りますかね」と言われると良心が痛むのは本音。
さてどうしたものかなあと朝から悩んでいるのである。
定年後やフリーランサーになったら冠婚葬祭は避けた方がいいね
お世話になった人の冠婚葬祭はなるべく出席するというのが世の常だけれど、定年後やフリーランサーになると収入は減るし、積極的に参加するというのは、結構支出が多く、ちょっと考えた方がいいというのが私の考えだ。
フリーランサーで大儲けしているというのであれば話は別だが、そうではない私のような零細個人事業主や定年後で収入ががっくり減った人は身の丈のあった生活をしないといけない。
サラリーマン現役時代の私は、葬式や結婚式だと3万円ほどつつむがやはりその出費は痛い。相当お世話になった人、あるいはこれから仕事でつながりのある人であれば別だがそうでなければやめた方がいい。
これはもうシビアに考えるしかない。冠婚葬祭は一種の義理だが、その義理をどこまで果たすかと言えば、自分で考えれば良いのだが、範囲を広くしていけばお金が持たない。
ただ、フリーランサーの場合、冠婚葬祭に呼ばれるのは高齢者によりも少ないのが実情。
だから気楽と言えば気楽。
呼ばれなければ寂しいと思うよりも「ラッキー」と考えた方がいい。
ただ、定年後で再雇用された場合の社員は呼ばれることが多いが、これも限定した方がいい。何しろ手持ちの現金はがくんと減るわけだし、どうしてもその人の冥福を祈りたければ黙って心の中で手を合わせて祈れば良い。
「世話になった」という気持ちも分るがその度合いによって出欠を決めれば良い。
ちなみに、私の場合は、早く亡くなった母の葬式はそれなりにやったが、父の葬式は家族葬。会社の人にもお花も香典もいりません、家族だけでやるので出席しなくてイイですと伝え、ごくごく少数の葬式で行なった。
今思えば母の葬式は失敗だった。
父の葬式でも70万円はかかったので冠婚葬祭はお金がかかるのは事実だ。
「まだまだワシは頑張れる」と思う人に対するアドバイスは死ぬ前の終活は大事。
身辺整理もしっかり行ない、人間関係も年を取るごとにリストラしていくようにしていく方がいい。
同じくフリーランサーは私のように生活できるお金はあっても義理を行なうお金は少ないというのが実情だと思う。
そこで私は冷たいようだが冠婚葬祭関係のリストラをオススメしたい。
たとえば仕事関係の飲み会は出た方がいいと考える一方、全くの遊びで仕事と無関係な飲み会だと欠席した方がいい。
以前にも書いたが異業種交流会の飲み会は仕事とはほとんど直結しないのだからでる義理もない。
フリーランサーは孤独であるし、家族の協力がなくてはとてもやっていけない。原稿執筆しているときも妻がたった1人の話し相手ということもある。
これが会社であれば雑談相手もいるが、家で原稿書きの時はまったくひとりぼっち。
だから冠婚葬祭よりも家族とコミュニケーションを高め、場合によって旅行に行ってリフレッシュした方がいい。
すべての冠婚葬祭に出席しないというのも厳しいが、冷たいようだが、なるべく欠席するというのもこれからの生き方だと思う。
ブラック再雇用制度
昨日も同じようなことを書いたが、日本の再雇用制度というのはどうもよく理解できない。60歳を超えると定年で、それから再雇用することが多い。
一度、まとまった金額の退職金が入るのでラッキーと考えるがそれも一瞬。
それまで部長職だったのが営業部営業2課付という特に役職がなく、仕事も楽になるが、大企業であれば給料はおおむね半分くらいに減る。
特に前の部下が上司になるため人間関係にも苦労しそうだ。別に偉そうな態度で接しているわけでもないが上司から見ると、けむたい存在のようで助言をしてもイヤミっぽく聞こえるようで、中々、再雇用後の人間関係は難しい。
まだ、子会社の役員になれれば幸いでその辣腕を振るえるかも知れないが、今はどこの大手企業もシビアで天下りも難しい。
60歳後の人生設計は色々と考えなければならない。この間、「スーパーサラリーマン左江内氏」というドラマをやっていて、原作を読んでみてみると私も左江内氏と同じような年で、大企業勤務で課長を目指していたようだが先は厳しそうだった。
ちなみに中小企業はさらに厳しい。
たとえば60歳まで事業部長という役職だと仮定しても、再雇用でも引き続き事業部長の職に留まり、給料だけは60%ほど減額する。中小の部長であれば、役員でなければ600万円~700万円ほどだが、それが一気に300万円以下になるということだ。
それに中小企業は天下りがないため、子会社の役員になるのも不可能。
会社って結構冷たいなと感じるのは長年馬車馬のように働き、貢献した社員でも、給料を下げるだけではなく、会社側の社会保険負担を回避する契約を結ぼうとする動きが横行している。
なので再雇用後の1年間は当然、給料も下がるので社会保険も全額負担と言うことで多額な出費が必要になる。
家や車のローンを抱えている人は大変だろう。さらにお子さんが大学に通学したいという希望もあれば、とてもやっていけない。昨今、流行の銀行カードローン問題も根っこはここにあるという話もある。
私はこうした再雇用は「どうなのか」と色々と周囲を聞いてみると大手も中小企業のトップはもちろん、社員までが「仕方がない」と受け入れている。
コストを考えると再雇用制度があるだけマシともいえると思っているのが実情だ。
再雇用制度が違法かどうかというと適法であるのだが、それにしても会社側はもう少し考えてもいいのではないかと思う。
長年の働きに報いるために、少なくとも社会保険についても半分は会社側負担、あるいは、再雇用時の給料減額の比率についても再検討しなければ、あまりにも労働者に不利すぎる。
とはいえ現状を変えようという動きもないようだ。
正直、中小企業の部長職を60歳を超えても行なうとなると実務とマネージメントの併用であるため、かなりきついのは本音。
部長と言っても実務を丸投げするわけにはいかず、多くの実務を抱えつつ、部下の指導も合わせて行なう。
しかも、トップからの距離は非常に近く、要求されることも大きい。
トップ側も心得たものでこいつは辞めないだろうから無理言っても大丈夫だという安心感もあることから、さらに無理を言う。
トップはやはり人件費を考えるため、辞めないと考えている人間はかなりの無理を要求し、社員も会社に引き続き留まろうと考えると、その無理に応えようとする。
中小の場合、この再雇用のケースが一番きついのではないかと思う。
ただ現実的にはこのような再雇用のケースが多く、再雇用後の人生がブラック化するのはそのためだとも言える。
定年後の人生、給料、人脈
早期退職をしてライティングの仕事を開始して、はや9ヶ月。仕事は中々順調だ。
もともと書くことは好きというか、ストレス解消にもなっていたのでこの仕事は、自分には合っている。
多分70歳を超えてもこの仕事はできる自信はある。
人からは、「ずいぶん思い切ったことをされましたね」とも言われることも多い。
ただいつの日かライターの仕事の専念したいと考えていたのでちょうど良かった。
私はあの会社にもっと長くいれば、心も病んでいただろうし、いい区切りでもあった。
予想はしていたが、前の会社の人とはほとんど連絡を取っていない。こちらも用事もないし、向こうも用事がないのでこうなることは分っていた。
しかし、これは私のケースが特別ではなく、定年後、会社との連絡はほとんど取らなくなるらしい。
会社というのは用事があるからお互いにコミュニケーションを取るがそれがなくなると取らなくなるのは当然のことだろう。
一応、前の会社は60歳定年。定年延長の話もあるがまだまだ普及していない。実際、60を超えると再雇用。ただし、現役時代色々な人から話を聞いていたが、中小企業であれば、執行役員クラスでも大幅に給料は削減され、新入社員よりも少しいい程度。
しかも、建前上は週三回勤務だが、そうもいかず、定年前と同じ仕事量。なおかつ社会保険も切られる定年後のブラック雇用も多い。
ここまでして再雇用されることはないだろうと思うのだが、「お世話になった」「妻も子もいる」という様々な理由で、再雇用を選ぶ人が多い。
しかも給料は大幅に減っても肩書きだけは、参事など責任が重い。役員に残らないと再雇用については考えもの。
技術やスキルがあれば個人事業の道やフリーランスも選択しても良いと思う。
60過ぎると本当に人生の分岐点が来る。
私の場合は、とりあえずサラリーマンを続けていれば60歳まで部長級の年収はもらえていたと思う。ただし、中小企業の部長級の年収は570万円~600万超あたり。
所得税や社会保険など引かれると手取りは400万円超あたりだ。
中小企業の部長は役員でもならない限りこんなものだ。
60過ぎると肩書きはとりあえず部長級が維持されるが、再雇用になった年収は300万円あたりがいいところで働き方はフルタイム。朝9時に出勤して、6時に退勤だが、事情によっては残業も多い。社会保険は多分加入されないことになっていた。
定年後はもらえる手取りは推測するに250万円あたり。
部長としての仕事はたぶん変わらなかったと推測している。
「厳しいですねえ」という声もあがるかも知れないが、これが現実。
実際、中小企業の中には再雇用した社員でもっている会社も少なくない。
だから以外と中小企業は再雇用に積極的なのだが、どんなに美辞麗句を重ねても理由としてはキャリアのある人を安く使い倒せるというものだ。
中にはこんな再雇用はイヤだという人もいるがそれでも働いた方がいい。
働き方は様々でどのような理由があっても良い。
それと人とのつながりはもっておいた方がいい。
私も取材で人と色々と話すがやはりこれがハリになっている。
だから事実上、人生の定年をなくすことも大事。
自分が好きな仕事で働き続け、世間とのつながりを深くしていけば、人生は楽しくなると思う。
その道のあり方としては、必ずしも再雇用でなくてもいいし、フリーランスの道も選択肢だ。
ちょっとした観光地だと外国人がイッパイ
これから日本は観光でも食べていかなければならないと思うので、私は国の観光立国プランを支持しているのだが、それにしても尋常ではないレベルに外国人が増えている。
外国人に一番人気のある都市は大阪だと言うが京都も東京も続々と外国人が来日している。東京メトロの駅員も外国語研修を熱心に受けていて、中国人が「トイレはどこ」と質問すると、鮮やかな中国語で「右を曲がったところです」と回答している姿を見るとこれから日本は色々と変わっていくのだろうなあと想像している。
それに外国人は日本の良き古き文化も好むので、東京であれば浅草も人気だが、ちょっとした古い風景が残っている都市でも外国人が多く来る。
外国人観光客のイメージは、中国人と韓国人だが、最近は東南アジア系のよく分らない言語も耳にするし、白人系では少し前は英語を耳にしていたが、ポルトガル語かスペイン語か区別が出来ない言語も話す人が増えた。
観光地のバスだとフリーカードで乗り放題にするのだが、そこでも外国人が本当に多い。中国語圏でも普通語だけではなく、広東語も耳にするし、観光地に居住している人は大変だろうなと想像する。
日々使っている社会インフラであるバスが満員になることが多く、時として思うことは都市のキャパを超えているのではないかと思う。
それでもバスは10分か5分に1回は来るが、常に満員。
日本は「おもてなし」国家だが、今でも2000万人くらいの外国人が観光で来るがこれからどんどん増えて、4000万人という声も出できた。
観光地で飯を食べるのも常に満員でお目当ての店は、30分待ちが当たり前だ。
今の社会インフラで倍の外国人を「おもてなし」することが現実的に可能なのだろうかと思う。
今は日本の物価は諸外国と比べて安い。
私は外国人に日本の良さを知って欲しいし、犯罪者でなければ受け入れることは大切だと思うのだが、今宿泊施設と社会インフラで常はホテルと食事先は満席ということになる。
ビザも緩和することも賛成なのだが、一気に緩和すれば、泊まれるホテルがなくなる可能性もある。
観光立国として日本がやるべきことは交通の利便性の向上や民泊の推進、ホテル建設なのだが、日本もまた外国語の研修を実施していくこととかいろいろやることがある。
とにかく、これからの観光立国日本には課題は多い。